たくさんの人に聴いてほしい傑作だが、もしかしたらLUNA SEAでもX JAPANでもない、SUGIZOのソロワークに初めて触れる人にとっては、その音楽性を意外に感じるかもしれない。
今回のインタビューでは、作品のことはもちろん、SUGIZOのソロワークの根幹にあるものや音楽性、今作でコラボレーションしたミュージシャンたちとの歴史についても深く掘り下げた。
-今回、キャリア初のライブアルバムリリースということですが、映像作品が主流となっている今、ライブアルバムって珍しい気がします。それぐらいこの2日間のライブが会心の出来だったと?
もともとライブアルバムを作ることは決めていたんですよ。この聖誕半世紀祭を作品として残したいというスタッフ側からの声があったのと、僕自身、ライブの映像作品というのはずっと出してきていたので、そろそろアプローチを変えたいなと思って。
今の若い世代だと、ライブアルバムってあまり馴染みがない気がするんですよね。YouTubeでもどこでもライブ映像がたやすく観れてしまう時代ですし。でも、僕らが子どもの頃は耽溺しているアーティストのライブ盤ってご褒美だったじゃないですか。例えば僕の場合はYMOやJAPAN、そしてPiL。マイルス(・デイヴィス)や(フランク・)ザッパに関してはライブ盤の方が多かったり。あと、僕は影響を受けてないけどディープ・パープルやピーター・フランプトンもライブ盤が名盤ですよね。そういうアーティストがいて、70~80年代はライブアルバムの存在価値がものすごくあった。
-なるほど。作品の内容に触れる前に、SUGIZOさんのソロの基本にある、いわゆるサイケトランスというような音楽との出会いっていつ頃だったんですか?
90年代後半ですね。もともとハードコア・テクノやミニマル・テクノにハマりだしたのは90年代初期で、アンビエントの世界でいうとThe Orbや808 STATEが出始めた頃とか、あの当時のシーンがとても好きで。それから数年後、自分がソロミュージシャンとして活動を始めた頃もヨーロッパのドラムンベースやアブストラクトなヒップホップがすごく熱くて、その辺のクラブカルチャーと音楽にはかなり影響を受けてきて、その後、自然とトランスに傾倒していきました。
たしか初めてレイヴに行ったのが2001年のVision Questだったんですけど、さらにそこからめちゃくちゃハマっていったんです。太陽が昇ると共に踊って、昼間はチルするような、宇宙の流れと音楽が完全にリンクする中に生活があるという感覚に、きっと太古の昔から人類はこういう音楽との付き合い方をしてきたんだと直感したんです。街や都会の音楽じゃなくて、自然に根ざした音楽。原始の音楽というか。そこに自分の音楽に対する大きな価値を見出したんですよね。
SUGIZOがテクノ・トランスシーンで得たこととは?
-それでその後、世界的なテクノ・トランスユニットJUNO REACTORのギタリストとしても活動されるようになったわけですよね。
いろんな関係や状況が重なって僕に白羽の矢が立ったんですけど、自分にとってすごく大きなステップになりましたね。
-具体的に、そこでどんなことを会得したのでしょうか。
4分打ちの真の魅力というのかな。BPM130~145くらいで4分打ちのアッパーなサウンドによって細胞が振動して、本能がすごく掻き立てられる感覚というか。電子音楽なんだけど、とても原始的な、オーガニックな香りがする……言葉では上手く言えないけど、世界中をツアーしながら会得してきたのは、本能的な部分が一番大きかったように思います。 ”これは気持ちいい”とか、”これは腹にくる”、”これは踊れる・踊れない”っていうのが全身で分かるようになりました。
それと同時に、精神的な部分での成長もあって。長年JUNOには南アフリカのパーカッションチーム、Amampondoがメンバーとして存在していたのですが、その中にMabiという素晴らしい伝説的なパーカッショニストがいて、彼はマイルスのバンドにも在籍していたブラック・グルーヴのオリジネイターの1人であり、その権化のような人。そんな人が白人が始めたテクノ・トランスの総本山と一緒にやっているという、その時点で国境やジャンルや種族を超えた地球規模のミクスチャーが起きていて、めちゃくちゃ学んでる感覚があったんですね。それで、ある時「MABIのグルーヴは本当に子どもの頃から憧れで最高だ」って言ったんです。そうしたら、「いやいやSUGIZO、お前のグルーヴは最高だ。
そこから10年以上経ちますけど、それは今も変わらないですね。日本人であるということをすごく誇りに思っているし、そこで自分が学んできた音楽性や精神性は、この十数年の自分のソロ音楽に反映されているはずです。
京(DIR EN GREY/sukekiyo)との出会い
-確かに。作品の話に戻って、今回2日間のライブの模様が2枚組で収録されていますが、今言っていた感覚を実感できる曲を挙げるとすると? SUGIZOさんのソロ入門編のような。
「禊」はJUNO REACTORリスペクトというか、自分がJUNOで十数年トランスをやってきた経験と、そこで学んだことをオマージュしています。
-1日目と2日目、それぞれゲスト・ヴォーカリストを迎えているのも注目すべき点ですよね。みなさんSUGIZOさんと普段から交流のあるミュージシャンですが、まず1日目のゲストである京さん(DIR EN GREY/sukekiyo)との出会いは?
もともとDIRのスタッフや仲間が僕と近しい人たちだったんですよ。それでライブを見に行って、紹介してもらって。
【画像】京(DIR EN GREY/sukekiyo)と競演するSUGIZO(写真)
-最初にDIR EN GREYの見た印象は?
初めて自分の後輩で脅威を感じるバンドでしたね。申し訳ないけど、ほとんどの若手に対して刺激や脅威を感じたことがないんですよ、このジャンルに関しては。なので、こんなすごい人たちがいるんだって驚きました。表現しようとしているもの、世界観が素晴らしくて。当時はまだそこに演奏や音がついてきていない感じはあったけど、それ以上に彼らの中から湧き出てくるものが強烈で、無限の可能性みたいなものを感じましたね。
中でも京ちゃんのことは”この人は天才なんだな”と思って見ていました。細かい理屈や理論なんて、彼の中では関係ない。ただ本能だけでやっている。でも、実は言葉の人で、絵もすごく上手いし、表現者として多方面に長けているんですよね。で、本人に会ったら至って純粋無垢で、全然欲もなさそうじゃないですか。”こんな天才がいるんだ”って衝撃でしたね。
-今回コラボレーションした曲「絶彩」は京さんが作詞をしていますが、SUGIZOさんからオファー?
そうですね。極力歌う人が書いてくれたらいいなと思ってお願いしてみたら快くやってくれました。最初にデモとして「こんな感じだけどどう?」って2Mix段階のものを送ったら、早くもそこに歌を入れてきたんですよ。詞もすでに出来ていて、「え!? これ本チャンなの?」って言ったら「はい、作っちゃいました」って言うの。DIRでもいつもそうなんですって。だからね、天才なんですよ。イメージが湧いたら待っていられないんでしょうね。その前のめり感がすげぇな!って。彼は本当に稀有で素晴らしいクリエイターですよ。
-聖誕半世紀祭でのライブではどうでしたか?
やっぱり本能のままの人だなって。先輩であろうと後輩であろうと、ステージに立って真剣勝負の時は全然関係ない。物怖じしている感じはもちろん無く、表現者としてデカい人だなって感じましたし、同時にお互いとてもリスベクトし合っている感覚もあって。これで終わりにしてしまうのは勿体ないなという感じでした。だから、このステージ上のコラボがこうやって音源にできたことは、すごく幸いだったと思いますね。
30代中盤、孤独感や異物感に苛まれていた時に書いた歌詞
-2日目はTERUさん、TAKUROさん(GLAY)をゲストに迎えていますが、そこでコラボレーションした「巡り逢えるなら」という曲は、SUGIZOさんが詞を書かれているんですね。
この曲は、2005年頃に僕が別のユニットでやっていたものなんですよ。それがすごく気に入っていたので、いずれちゃんと自分のソロでリアレンジして形にしたいなと思っていたんです。
【画像】TERU・TAKURO(GLAY)と競演するSUGIZO(写真)
―”僕は何を探していたんだろう? 僕は何を許せばいいんだろう?”と自身への問いかけのような詞が印象的です。
これを書いた当時まだ30代中盤で、いろんなことにぶつかって躓いて転んでということを繰り返していた時期だったんです。自分が生まれてきた意味、生きていく理由をいつも探していて、世界の中にポツンと独りぼっちでいるような、自分だけが世の中の流れから切り離されているような孤独感や異物感に苛まれていた時だったので、それが詞にも表れていると思います。
なぜ今回この曲をチョイスしたのかと言うと、その時の詞が今の時代とすごくマッチしていると思ったんです。学校でいじめに遭っている人や障がいがあって無力感を感じている人、病気を患っている人など、そういう生きることに躓きかけている人たちと当時の自分の感覚が同じ目線だということに気づいて、これをTERUが歌うことによって人々を救済できる歌になるっていう直感があったんです。TERUもまた稀有なヴォーカリストで、どんな状況でもそこに光を差し込む……なんて繊細な表現じゃなく、バーン!と光を当てちゃうんですよ。”ほら、こうすれば気持ちいいでしょ? 悩むことなんてないんだよ!”っていう、ある意味強引なポジティヴ男というか(笑)。無理矢理みんなを幸せな方向に引っ張ってしまう力があるんですよね。それってすごいことで、TAKUROをはじめメンバーが良い曲・良い詞を書いても、歌い手がこうじゃなかったら、GLAYは今のような存在には絶対にならなかったはず」
-もともとはSUGIZOさんの孤独から生まれた曲が、TERUさんが歌うことで救いの歌に昇華したと。TAKUROさんの参加も、SUGIZOさんとはまったくアプローチの違うギターの音が入って面白いですね。
そうそう。1人ブルージーな奴がいる。例えて言うなら、デヴィッド・ボウイの「Lets Dance」のハイパーな音の中にブルージーなスティーヴィー・レイ・ヴォーンがいるみたいな。そのミスマッチ感がカッコいいなと思って気に入っています。
人生の友、TAKUROについて
-TAKUROさんとも長く一緒にいる仲だと思うのですが。
人生の友ですね、彼は。
-何をきかっけにTAKUROさんとそこまで結びつきが強くなったんでしょう?
自然とそうなった感じかな。GLAYはデビュー当時からの付き合いで、当時は同じレーベルの先輩・後輩みたいな関係だったんだけど、彼も物怖じしない性格だからグイグイ来るんですよ。その感じが僕と似ていた。この前TAKUROと本(『CONVERSATION PIECE ロックン・ロールを巡る10の対話』)で対談したんですけど、そこで何十時間も語り合って思ったのが、実はTAKUROと僕は真逆なんですね、資質が。とても計画性があるTAKUROと、実はすごく感覚だけで動いちゃう僕。”こんな感じでいいんじゃないですか?”っていうユルいTAKUROと、絶対にそれは許さないストイックすぎる僕。家族や友人を最も大事に思うTAKUROと、人間関係がぶち壊れても自分の表現に邁進しちゃう僕。「よく一緒にいるよね」って話していたんだけど(笑)、そこがいいのかなって。
-ギタリストとしてはTAKUROさんってどんな存在ですか?
近年ギター弾きとしてすごく良いんですよ。90年代はソングライターとして素晴らしかったんだけど、この10年くらいはとにかくギターフェチ。良いタッチ、良い音、良い表現をギタリストとしてもっと極めたいという純粋なギター小僧欲が今TAKUROの中にものすごく強くあって、その感覚がまた、僕と合うんですよね。ギタースタイルは全然違うんですけど、ギタープレイヤーとしてもっと極めたいという欲望は同じなので、ギター話はよくしますね。
-ぜひギタリスト対談を! で、2日目のもう1人のゲストが清春さん。
清春とも古いですね。黒夢がデビューする当時だから93年とか94年とかですかね。実は黒夢を紹介してくれたのはhideさんだったんですよ。「SUGIZO、最近良いバンドが若手でいるんだよ。クロイユメって言うんだけどさ」って(笑)。ちょっと見に行ってみようってなって、黒夢が新宿ロフトでワンマンをやった時に行って、その時に初めて挨拶して。それ以来、近からず遠からずな関係が続いていたんですけど、急激に仲良くなったのはLUNA SEAが1回終幕した後くらいからだったかな。僕が清春のライブを見に行ったら急遽1曲参加してよって言われて、いきなりリハ無しで出たこともありましたね。
清春はステージ上での「種族」が同じ気がする
-SUGIZOさんから見て、清春さんはどんな表現者ですか?
唯一無二の人ですよね。”清春”っていうジャンルがある。もともとはヴィジュアル系の人なのかもしれないけど、とっくにその枠を超えてしまって、僕の感覚で言うと、ロックシンガーの最もカッコいい存在のし方をしている気がします。それは、声も曲も佇まいも歳の重ね方も含め。それに、すごくとんがったイメージがあるけど、本人は至って温厚な人。でも、表現には本当に厳しいから、そこには一切妥協しない。そういう意味ではすごく僕と似ていると思っています。なので、清春といるとすごくシンパシーを感じるんですよね。同志という感じで、余計なことを言わなくても一緒に表現をしたらバチッとベクトルが合う。
【画像】清春と競演するSUGIZO(写真)
-清春さんが言っていたのは、「俺はいろんなステージを立ってきたから誰とやっても負ける気がしないんだけど、SUGIZOさんとやると圧が違うんだよ」って。表現者同士、ステージに立つとスパークするものがあるんでしょうね。
それはRYUICHIとSUGIZOでも言えることで、ヴォーカリストとリードギタリストのぶつかり合いの火花にカッコよさがあるじゃないですか。それってある意味伝統的なロックの美学でもあって、清春とSUGIZOは、その火花のカッコよさを体現できる同士なのかもしれないですね。だから、ステージ上でのぶつかり合いにはすごく戦慄を感じるし、それと同時に溶け合うこともできる。京ちゃんとSUGIZOだと溶け合うのではなく、また別の感覚なんですよね。で、TAKURO・TERUとも僕は人種が違うんですよ。清春はステージ上での種族が同じ気がします。
-3組とも全然色が違うというのは面白いですね。
そうですね。本当にたまたま自分の出自としていたジャンルが近しい仲間で、これだけのメンツが集まれるというのもすごいことなんじゃないかなと思います。
-このコラボレーションはそれぞれクライマックスのひとつだと思いますけど、あとは何と言っても今回本当に音が良いですよね。
ありがとうございます。それはDub(Master X)さんが素晴らしいんです。日本のダブシーンの礎を築いた素晴らしい方であり、僕のライブのPAエンジニアをずっとやってくれている方なんですけど、やっぱり強烈な個性の持ち主で、ただのエンジニアじゃない。1アーティストとして僕はDubさんと表現をしてきているつもりでしたし、この10年ほどのSUGIZOの音楽をライブにおいて作ってくれていたのは、間違いなく彼なんですね。なので、今回ライブアルバムを作るにあたって、その張本人にミックスして欲しくて、お願いしたら喜んで引き受けてくれて。Dubさんが僕のライブで表現しようとしてくれている本当に作りたい音像をそのまま盤に落とし込んでくれたという感じです。
ライブを「盤」に落とし込む際に注意したこととは?
―音に関しては、ほぼお任せした感じですか?
どの曲も最初に上がってきたものですでに9割くらい完成していて、そこに各音の微妙なバランスはかなり細かくリクエストしました。というのも、僕の中で重要なのが”音の近さ”なんですよ。自分が好きなライブ盤って、みんな演奏がカキーンって耳に入ってくるんです。近年のライブの、特に映像作品って音が遠いじゃないですか。例えば3万人キャパでのライブ作品だとしたら3万人の中で聴いている感じより、僕の好きな昔のライブ盤はそのキャパでも数十人くらいの中で聴いているような音の近さがある。今回のライブアルバムもそういう音像にしたかったので、音像にかなりこだわりましたね。
-そこまでこだわり抜いたライブアルバム、完成してみていかがですか?
ライブ盤なんですけど、図らずして自分のベスト盤的な作品が出来たなという気がしています。一昨年に自分の集大成となる作品を出してはいるんですけど、やっぱりステージで音を鳴らすこととスタジオで音を鳴らすことは、同じ楽曲でも全然エネルギーが違うんですよね。ずっとステージで表現してきた身としては、そのエネルギーを初めて正式なアルバムとしてパック出来たということは、すごく嬉しく思います。演奏の精度はスタジオほど細かくはないんですけど、ステージにはそれを超えるエネルギーがあるから。
もうひとつは、ご承知の通りコロナ禍でライブがなかなか出来ない状況じゃないですか。僕も半年間ライブをやっていなくて、考えてみたらそんなに長くライブをやらなかったことって長い音楽人生で初めてなんですよね。だから、とにかくステージに、ライブに恋い焦がれていて。普通にやっている時は当たり前のことだったのが、こうして出来なくなった時にどれほど自分がライブに依存していたか、自分の人生にとってどれほど必要なものだったかというのを身にしみて痛感している中の制作だったので、実はこの作品の制作に没頭することで自分が救われていた感じがありました。もちろん、ライブアルバムが本物のライブに敵うわけはないんですよ。映像作品もネット配信も、その場にいる感動には到底追いつかないけど、数パーセントでもその感動をみんなで分け合えることができたら、という気持ちで作っていました。とにかく自分が子どもの頃からすごく影響を受けてきたライブアルバムという形態を制作できたということが本当に幸福なことでしたね。
<INFORMATION>

『LIVE IN TOKYO』
SUGIZO
ユニバーサル ミュージック
9月30日発売
DISC1(Day1 2019.7.7.)
1. IRA
2. MESSIAH
3. Lux Aeterna
4. Proxima Centauri
5. 絶彩 feat. 京
6. ENOLAGAY RELOADED
7. TELL ME WHY?
8. DO FUNK DANCE
9. Synchronicity
DISC2(Day2 2019.7.8.)
1. 禊
2. TELL ME WHY NOT PSYCHEDELIA?
3. NEO COSMOSCAPE
4. FATIMA
5. 巡り逢えるなら feat. TERU & TAKURO
6. Decaying
7. DO-FUNK DANCE
8. VOICE feat. 清春
9. The Voyage Home