プリンスのキャリアを代表する1987年の『サイン・オブ・ザ・タイムズ』が、名エンジニアのバーニー・グランドマンによる2020年最新リマスターに加えて、未発表曲、未発表ライブ、未発表ライヴ映像を追加収録した8CD+DVDからなるスーパー・デラックス・エディションでリイシューされた。プリンスのアーキビスト、マイケル・ハウが「宝の山」をどのように発掘したのか語ってくれた。


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「いつも最高の曲をレコード会社にあげたわけじゃなかった」と、2014年のローリングストーン誌のインタビューでプリンスが語っていた。この言葉がどれほど本当だったかを、元ワーナーブラザーズのA&R重役だったマイケル・ハウほど実感している人はいないだろう。ハウは2017年以降、プリンスの遺産のアーキビストとしてフルタイムで仕事している。プリンスの1987年の傑作『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のスーパー・デラックス・エディションがあらゆる制限から放たれ、マンモス並みに巨大になってリリースされた今、プリンスの未発表曲が多数保管された金庫の中で暮らすことの本質的な意味をハウが語る。各リイシュー・プロジェクトは胸いっぱいになるほど大量のアナログテープから始まり、録音内容を確認する前にすべてデジタル化する必要がある。『サイン・オブ・ザ・タイムズ』のボックスセットを語るとき、ハウは「手をつけるのを躊躇するほど大量のマテリアルだった」と言い、彼が「プリンスの芸術性が野獣並みにクリエイティヴだった時期」と呼ぶ頃に生まれた楽曲がこのボックスセットに収められている。

―このボックスセットにはたくさんの楽曲が収録されています。一体どこからこれほどまでのマテリアルが出てきたのですか?

ハウ:こういったスーパー・デラックス版を作るときの指針は、特定の創造期間に区切ってその空間にある可能性をまとめることだ。そして、まとまったら、そこから少しずつ削っていく。この時期のプリンスの人生は驚くほど多産で、1979年から1992年まではクリエイティヴィティの嵐が吹き荒れていたとも言える。実は彼の命が尽きるまでその嵐は続いたのだが、80年代半ばから後期までのプリンスの創造力はフルスロットルだった。そのおかげで、遺されたマテリアルの量も膨大だ。


私たちは一般的な指標を定めて、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』の創造プロセスに見合わないものはすべて外していった。つまり、派生的な作品は一切排除し、『Flesh』や後のMadhouseでやったインスト曲もほとんど入っていない。このプロジェクトは慎重に行う必要があった。というもの、慎重さを欠いたらとっ散らかった作品が出来上がることが予想されたから。そこで、基本的には(1986年10月の)ザ・レヴォリューションと、彼らがリリースするつもりでいたアルバム『Dream Factory』の構成要素を掘り下げてみた。この作品は完成したマスターが残っていたんだ。これをやったあと、3枚組アルバム『Crystal Ball』として制作された音楽を見てみた。この作品の楽曲が削られて『サイン・オブ・ザ・タイムズ』になったわけだが、この2枚の作品を時間のブックエンドとして使ったというわけだ。

―以前にリリースされた作品と今回のボックスセットで、やっと『Crystal Ball』と『Dream Factory』をプレイリストに含めることができるということですね?

ハウ:そう、両方とも聞くことができる。音楽配信という魔法のおかげで誰もがプレイリストを作られるようになったので、これらの作品も含むことができるわけだ。『Dream Factory』はプリンスがリリースしようと思っていた曲順で並べたプレイリストも作ることが可能だ。この作品の終わりの時期は1986年7月前後だと思うので、そんなふう時期を区切って聞くことができる。
それに3枚組の『Crystal Ball』のプレイリストも作成可能なわけだ。

貴重な別バージョンを発掘するまで

―「The Ballad of Dorothy Parker」の別バージョンが収録されていて、ホーン・アレンジの入った魅力的なバージョンです。このような別バージョンを確認するのにどれだけの時間を費やしたのですか?

ハウ:とんでもない量のマテリアルを確認した。バーニー・グランドマンにマスタリングを頼んだ曲は何百とあって、そこから徐々に数を減らしていったんだ。科学捜査をイメージしてもらうといいけど、それに似たやり方でまず3分の1を除外した。そこで残った3分の2が、当初ボックスセットとして考えていた作品に合うかどうかを精査する「可能性ステージ」(universe of possibilities)に上がっていったわけだ。

―その作業の最中に、最も啓示的な意味合いを持ったことは何ですか?

ハウ:かなりの頻度で「I Could Never Take the Place of Your Man」の1979年バージョンを聞き返している自分に気付いた。このバージョンは偶然発見するまで、その存在すら知らなかったものだった。最初、カセットに入っていたラフミックスを見つけたのだが、これには日付がなかった。だから実際よりも少しあとの時期の録音だと思ったわけだ。その後、このバージョンのマルチトラックとハーフインチのラフを見つけたら、その日付が1979年4月か5月だった。プリンスがこの曲を発表するまで6~7年も温めていたことに衝撃を受けたよ。


―この時期の作品として保存されていなかったこの曲は、どうやって見つけたのですか?

ハウ:正直なところ、完全なる偶然だった。このプロジェクトの最初の頃に見つけたんだ。

―「Power Fantastic」の別バージョンも収録されていて、この曲でバンドが方向性を見つけたのが分かります。この曲を収録しようと思った理由はなんですか?

ハウ:この曲でプリンスがバンド全員を創造プロセスに導いているのが分かると思う。みんな、スタジオのプリンスが非常に厳格で完璧主義なタスクマスターだと思っているが、ここでの彼は文字通り「間違った音なんてないから、なすがままに任せよう」と言っている。これは人々が知らなかったり、聞いたことのないプリンスの一面だ。

―あなたは毎日スタジオでプリンスの作品を聞かなくてはいけないわけですが、この時期の彼の進化はどのように聞こえましたか? 特にレヴォリューションから離れようとしていた頃の彼はどうですか?

ハウ:このスーパー・デラックス版の作業で、最後にダイブしたプリンスという海の最も深い場所が『1999』。これは彼のソロ活動最後の作品で、ザ・レヴォリューションのバンドリーダーになる出発点とも言える。そして、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』ではバンドを放り出してソロに戻ったわけだ。そんな時期を反映した音楽のダイナミクスを聞くのは非常に興味深いね。このボックスには2バージョンずつ入っている曲が幾つかある。「Witness for the Prosecution」と「Big Tall Wall」には、まずロック・バージョンがあって、これはレヴォリューション・バージョンと言える。
一方、同じ曲のソロ・バージョンはエレクトロニック風だったり、ファンク風なフィーリングが入っていて、これは時間的にあとのテイクだ。

ライブ音源とマイルス・デイヴィスとの共演について

―ボックスに入っているライブ曲はどのように選びましたか? また、映画での楽曲が入っていない理由は?

ハウ:このボックスセットにはいくつもの可能性があった。ただし、劇場公開された映画『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』で使用する予定だった楽曲に関しては収録不可だった。権利問題がさまざまに絡み合っていて、そのもつれを解くのは至難の技だった。映画で使用された楽曲も収録するように幾つもの方法にトライしたのだが、私たちが考えたベストな方法では解決しなくて、私たちはプリンスがそれを望んでいないと考えることにした。

そこで、ライブ曲の可能性を探ることにしたら、(1987年6月20日にオランダで行われた)ユトレヒト公演がいきなり浮上した。このライブはファンのコミュニティで特に愛されているもので、完成したステレオミックスが流通していたことを私は全く知らなかったんだ。観客が録音した低水準の音源がしばらく出回っていたことは知っていたけどね。とにかく、あのライブは扇情的で、あの頃の彼のライブでの芸術性にスポットライトを当てるものだった。また、DVD『Live at Paisley Park, New Years Eve 1987』を選んだのは、ライブ自体が驚異的だったことと、マイルス・デイヴィスが出演していたことが理由だ。

―マイルスとのスタジオ・コラボ曲「Can I Play With You」も入っていて、これがとても楽しいです。彼ら二人のスタジオ・コラボでの楽曲は他にどれくらいありますか?

ハウ:この曲のように完成していない楽曲がたくさんある。
二人がお遊び的にプレイしているものもあるけど、遊びの域を超えていないので、それが残念でもあるね。その一方で、ミステリアスな空気感や未来に何かが起きるかも……的な雰囲気は、明確な現実よりも人を焦らすと思う。

―リリースの大前提として、未完の作品は出さないということですよね?

ハウ:その通り。外されたものは、どのような形でも今後プリンスが戻ってきて完成することが決してないもので、プリンスの芸術性を尊重する意味で、リリース曲の決定段階でそのまま残すことにした。

『サイン・オブ・ザ・タイムズ』は2枚組で正解だったのか?

―すべてを聞いたということなのでお聞きします。当時のワーナーブラザーズが3枚組アルバム『Crystal Ball』をサイズダウンして、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』にさせたことは正しかったと思いますか?

ハウ:そうだな、うーん、これは良い質問だ。当時、その話し合いの場に私はいなかったが、(元ワーナー社長の)ラリー・ワロンカーとは何年も一緒に仕事をしたし、プリンスもラリーと懇意にしていた。プリンスに「このアルバムは大好きだが、3枚組じゃなくて2枚組にしてほしい」と言ったのがラリーで、このときのプリンスはそれを快く思わなかったのも理解できる。それでも、プリンスは編集した。今思い返すと、あの決定は正しかったのだろうと思う。3枚組の作品は消化するのが大変だし、同じバンド、同じ状況という設定では特にそうだ。だから、あれは正しいことだったと思う。
それに編集したことで、彼が本当にやりたかったことが芸術性を損なうことなしに正確に表れたと思う。でも、ほら、これに関してプリンスは絶対に異論を唱えるはずだ!

―今のあなたは80年代のプリンスが一気に作り上げた音楽の素晴らしさをはっきりと実感していると思います。その状況をどんなふうに捉えていますか?

ハウ:異世界のことのようだね。これまで多数の有名アーティスト、アイコン的なビッグネームたちと仕事をする機会に恵まれたが、その中でもプリンスはクリエイティヴィティの面でどんなアーティストとも次元が違う。彼のガイドヴォーカルは、他のアーティストが何テイクも録ったあとのマスター音源なんかよりも良い出来だ。彼は内側からとめどなく溢れ出る創造のエネルギーに満たされていたし、ジャンルの垣根など難なく飛び越えて、音楽性が変わってもファンが逃げることもなかった。R&Bの静かな嵐から、みだらでメカノイドなファンクまで、フルスロットルのアリーナロックからマハヴィシュヌ・オーケストラ的フュージョンまで、彼は変化し続けた。

つまり、あの男は、マジで、とんでもねぇヤツだった……ごめんね、下品な言い方してしまって。今の私は毎日そんな男の凄さに、誰よりも先に気づく幸運に恵まれている。音楽を愛する私にとって、こんなふうに素晴らしい音楽に没頭できるのは最高だ。19の頃の自分がこんな未来を予感していたら、驚きでアタマが爆発していたはずだよ。

―まだ名もない今後のプロジェクトにも参加する予定ですよね?

ハウ:ああ、その通りだ。現在、2つほど新たなプロジェクトを構想中で、まだ内容を話すことはできないが、この先も何かがあることだけは確かだね。

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From Rolling Stone US.
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