●【動画を見る】1982年、TOTOが日本武道館で「アフリカ」を演奏
無期限活動中止を宣言してから1年後の10日19日、TOTOファンが寝起きに聞いたニュースは彼らの再結成だった。「未来に足を踏み入れる楽観的な情熱を感じてワクワクしている。この希望は2021年夏に実現し、私たちは世界中のTOTOファンと再会することになるだろう」とTOTOのギタリスト、スティーヴ・ルカサーは声明で述べている。。
しかし、今回のTOTOは2019年に活動中止を宣言したバンドと同じではない。キーボーディスト、スティーヴ・ポーカロがバンドを抜けたのだ。彼はTOTO結成後10年間在籍したあとに一度脱退して、ここ10年間バンドに戻っていたバンド創設メンバーの一人だ。また、TOTOの名刺代わりと言えるヒット曲「アフリカ」を一緒に作り、サビ部分でリードを歌うキーボーディストのデヴィッド・ペイチもいない。彼は健康上の理由でここ数回のツアーを欠席していたが、2019年の最後のライブにはゲストとして参加していた。
ルカサーと一緒にTOTOを再開するメンバーは、ヴォーカリストのジョセフ・ウィリアムス。彼は1986年から1988年までTOTOに在籍し、2010年から2019年まで再びTOTOで歌っていた。ベーシストはヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのジョン・ピアース、ドラマーはロバート・”スパット”・シーライト、キーボーディストはSteve Maggiora。
ポーカロ家出身者が一人もいないTOTOのラインナップは非常に珍しい。ルカサーは名前こそ出さなかったが、彼の声明から察するに再結成に乗り気でなかったメンバーがいたようだ。「現時点で、このバンドの終生メンバーの中で幅広い世代のファンたちに音楽を届けたいと思っているのはジョーと私だけだ。この45年間、オリジナルメンバーとしてTOTO伝説を慈しみながら、ライブにもアルバム制作現場にも必ず出向き、バンドの音楽をライブコンサートという形態で続けてきた唯一のメンバーが私だ」とルカサー。
アジアの国で、アメリカのバンドが、アフリカの曲を演奏
現在でもTOTOが多くの観衆を惹きつける大きな理由が、1982年のアルバム『TOTO IV~聖なる剣』という偉大なレガシーだ。この作品こそ”TOTO”であり、大ヒット曲「ロザーナ」が収録され、最優秀アルバム賞と最優秀レコード章を含む6部門でグラミー賞を受賞している。今回取り上げたビデオは1982年のジャパンツアーの日本武道館で「アフリカ」を演奏する彼らの姿だ。
このビデオの面白いところは、アジアの国でアメリカのバンドがアフリカの曲を演奏している点だ。この年、UKバンドのエイジアがリリースした「ヒート・オブ・ザ・モーメント」が世界中で大ヒットした。そして、1983年にはオーストラリアのメン・アット・ワークの曲「ダウン・アンダー」(訳注:英国から見て地理的にずっと下にあるかつての植民地オーストラリア、ニュージーランドを指す)が、アメリカのホット100で「アフリカ」と首位争いを展開し、エイジアはアジアに行って日本武道館で公演を行った。その一方で、スウェーデンのバンド、ヨーロッパがセルフタイトルのデビューアルバムをリリースした。
さて、TOTOの話に戻そう。1982年の「アフリカ」当時からバンドに在籍しているのはスティーヴ・ルカサーだけだ。ドラマーのジェフ・ポーカロは1992年に他界し、ベーシストのデヴィッド・ハンゲイトは2016年に引退し、ヴォーカリストのボビー・キンボールは2008年にTOTOを脱退した。キンボールはここ数年、のどの問題で悪戦苦闘しているし、ペイチも健康問題を抱えている。残るミステリーはスティーヴ・ポーカロが参加しない理由だが、2019年にYouTubeチャンネルRock History Musicでのインタビューで、彼は休暇を取るつもりだと明かしていた。TOTOはジェフ・ポーカロの未亡人との訴訟を抱えていて、これによりバンドはストレスと裁判費用で圧迫されていたのである。彼はこう語っていた。
「正直に話すと、この訴訟問題のせいで、TOTOが航海を続けるために必要な風の勢いが抑え込まれてしまった。長い間、相当の緊張を強いられていた。メンバー全員がボロボロだったよ。みんな、たぶん人生最大のストレスを感じているのが今だね。
しかし、TOTOという長寿バンドが長い間かけて作り上げてきた実績の一つは、彼らのファンのほとんどが、コンサートチケットにTOTOと記してあれば、スティーヴ・ルカサーがステージにいれば、「アフリカ」が披露されれば、細かいラインナップなど気にしない事実だろう。
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From Rolling Stone US.