中野は、川島が1997年に初めて脳腫瘍を患ったときから4度の再発と闘い生命をまっとうし終えるまでずっと傍にいて、川島のボーカリストとして、そして人間としての変化をすぐ近くで見ながら、人生に対してどう肯定的であれるかというテーマと向き合って音楽を奏でてきた。そんな稀有な人生体験をしてきている中野は、THE SPELLBOUNDとして初めて発表した「はじまり」で歌われる通りどんな生命も”どれほど願ったって いつかは消えてしまうってこと”を知っている上で、「人間」と人間から発される「歌」の神秘に対する眼差しをとても深く持っているように見える。さらに言えば、この取材で小林が証言している通り、中野は音楽制作に対して超ストイックな姿勢の持ち主であり、他の誰も持っていない音楽的スキルと感性を持っている音楽家だ。
BOOM BOOM SATELLITESの頃から取材をさせてもらっていた筆者としては、そんな稀有な人生観・人間観と圧倒的なスキルを持ち合わせる中野が、BOOM BOOM SATELLITESとして28年間(結成から最後の作品リリースまで)の旅を終えた後、どういった音楽を求めるのか、そして人生や世の中に対してなにを思うのか、というところに非常に興味があり、川島のお別れ会で囲み取材が行われたときから「これから中野さんはどんな音楽活動をしたいですか?」と会うたびに問いかけてきた。きっと、他の人には見えていないものや、他のミュージシャンからは出てこない音を、体験させてくれるはずだと信じていたから。