
36年間の人生が詰まったエッセイの執筆秘話
―あとがきには「最初は小説を書いていたのに行き詰まり、結局エッセイを書くことになった」とありますが、もともとどのようなスタートだったのでしょうか?
川谷:最初は編集者の方から内容に関していくつかのパターンを提案していただいたので、その中から小説を選んで、実際に書き始めてはいたんですけど、やっぱりちょっと大変だったんですよね。その最中に編集者の方が会社を移られたタイミングがあったので、そこでエッセイに切り替えたんです。小説を書く話は2018年とか2019年くらいにも一回あって、打ち合わせもしてたんですけど、なかなか難しくて。そのあとに今回の本にも収録されてる『TV Bros.』の連載が始まったり、3誌くらいで連載をしてる時期があったんですけど、それが終わって、「最近あんまり文章を書いてないな」と思っていたタイミングで今回の依頼をいただいたので、それはありがたかったですね。
―川谷さんの小説もいつか読んでみたいですけどね。『夜行秘密』のときにカツセマサヒコさんがインディゴの楽曲をもとに小説を書かれたことがありましたが、もちろん川谷さんが書くとなるとまた違うだろうし。
川谷:実際にちょっと書き始めていた小説の内容が、わりと自分の歴史を書いていく感じだったので、そこからエッセイに転用した部分もあったりして。エッセイを書いてみようと思ったのは、小原晩さんの『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(実業之日本社)を読んだのも大きかったんです。それこそカツセさんに「間違えて2冊買っちゃったから」って、本をもらって、読んでみたら、めちゃくちゃ面白くて。
―小原さんのエッセイのどんな部分に惹かれましたか?
川谷:日常のなんでもないことがすごく面白く書いてあったんです。自分の歌詞も結局伝えたいことは1つなんだけど、そのことをどんどん膨らませて書いたり、言ってることは同じなんだけど、それを手を替え品を替え違うものにしていく作業が僕はすごく好きだったりするので、エッセイでもそれが面白い形でできたらいいなと思って。『持っている人』っていうタイトル自体は(担当編集に)決めていただいたんですけど、「持ってる」っていう感覚はよくも悪くもあったし、書きたいことはいっぱいあったんです。
―キャッチコピーが「生きてるだけで、事件勃発!?」ですからね(笑)。
川谷:「これはさすがに書けない」みたいなこともいっぱいありますしね(笑)。でも初めて本を書いて思ったんですけど、やっぱり校正のプロの方がいて、「これはこう受け取られるかもしれませんよ」みたいなことを細かく言ってくれるのは、僕一人だと気づけなかった部分で、もっと多角的にものを考えないといけないと思いましたし、芸能人にもこういう人がついてたらネットでの炎上とか起きないだろうなとめちゃくちゃ思いました。
―実際の執筆作業はどうでしたか? わりとスムーズに、楽しんで書けたのか、それとも苦労したのか。
川谷:書き始めればわりとスラスラ書けるんですけど、書き始めるまでが大変でしたね。ネタはあっても、「これ本当に面白くなるかな?」と思ったり、どう書き始めればいいのかわからなくなったり。ラジオでしゃべることと書くことはまた違うので、書いたことでより面白くなることもあるなとか、逆にこれはラジオ向きだなとか、いろいろ考えるようになりました。
―ご自身で特に気に入ってるエピソードはありますか?
川谷:ウェブにも載せてる「上田さんの一言」は本当に面白かったんですけど、でもそれを文章にするのは結構難しくて。トークショーみたいな機会でもめっちゃ喋ってきた話で、トークショーで喋ると臨場感が出せて、ドイツの選手の動きの速さとかも身振り手振りでやるとわかりやすいんだけど(笑)、文章で表現するにはどうしようかなっていうのがありました。あと「労働過多になったカメラ」もすごく気に入ってます。もはや「ダックハンドラーのアリサ」って言葉が面白いなって(笑)。やっぱりふざけてるやつの方が書きやすいですね。真面目な文章を書いてるときはちょっと恥ずかしかった。
「労働過多になったカメラ」は、indigo la End「心変わり」のMVをオーストラリアで撮影したときのエピソードについて

「心変わり」MVに登場するアヒルのフレッド(写真左:Photo by Enon Kawatani)。「フレッドは基本的に言うことを聞いてくれず、ダックハンドラーのアリサの言うことすらも聞いていなかった」(「労働過多になったカメラ」より)
―歌詞とエッセイはもちろん違うけど、インディゴの歌詞を書くのとゲスの歌詞を書くのでもテンションが違うだろうし、似たような部分はあるのかも。
川谷:確かに、ゲスにも真面目な歌詞はありますけど、ゲスでふざけてるときの方が書きやすいですね。真面目な方がちゃんと考えないといけないし、エッセイもそうだなと思いました。人の名前を出すのはちょっと気を遣ったりするし、どこまで出していいんだろうな、とかもあって。
―週刊誌に追いかけられた話(「そんなでかい布」)だったり、かなり生々しい話も書かれていますよね。
川谷:「どういうところまで書くか」みたいな話は編集の方とはあんまりしてなくて、僕の中での判断だったんですけど、今回書いたカーチェイスの話はこれまでどこのメディアでも話してなかったんです。でも本当にすごかったんですよ。実際はあんなもんじゃないというか、車をぶつけられたこととかもライトに書いてますけど、結構やばいですからね。でもそういうのも知っておいてほしい部分だったというか、そういう裏側の話は今回エッセイという形だからこそ書けたのかなと思います。
ー意外な交友関係についても書かれていて、「みほ界の1位」での中山美穂さんとのエピソードも印象的でした。
川谷:美穂さんとは仲良くさせてもらっていて、結構しょっちゅう飲んでましたね。当時、美穂さん、石川セリさん、林真理子さん、中園みほさんたちとのLINEグループがあって、みんなでご飯に行ったり。あとは南野陽子さんともたまに飲んでいて、美穂さんと陽子さんは同世代なのに、2人で会ってるところは見たことがないなと思って、2人を同時に呼んだら、そのときすごくひさしぶりに会ったらしくて、それも印象的でした。本にもちょっと書いたんですけど、よく行くスナックがあって、そこで美穂さんがいつもシャンソンを歌ってたのもよく覚えてるし、美穂さんの周りにいる人とたまたま知り合うことが多くて、この本を書き終わったときくらいに知り合った清 竜人さんも美穂さんと音楽を作ってたり、不思議な縁があるなと思いますね。
ー「運動会に繋がれば」では「占い師のJOJO広重さんのところに定期的に通っている」「引っ越しを見るのが得意な方で、引っ越しのたびに方角を見てもらっている」という記述もありましたが、そんなに当たるんですか?
川谷:引越しは絶対にJOJOさんに聞いた方がいいです。
―これでも一部だとは思いますが、川谷さんの36年間が詰まった一冊になってますよね。
川谷:今はXとかで書いてもどんどん流れていくじゃないですか。mixiの日記は自分で読み返したりもできたけど、今はブログもファンクラブ向けのものしかやってないから、ちゃんと自分のことを書くブログは最近書いてなくて、そうなると何か起きてもメモらないとどうしても忘れちゃう。でもこうやってエッセイに詳しく書いておくと、自分でも振り返ることができるので、そういう意味でも書いてよかったなと思いました。おじいちゃんが生きてたらよかったなと思ったんですけどね。おじいちゃんは国語の先生で、本を出したりもしてたから、僕が本を出したらCDを出すより喜んでくれたんじゃないかなって。
―あとがきには「これから自己紹介用にこの本を誰かに差し入れで渡せたりする」とあって、そういうことも書きながら意識していた?
川谷:そうですね。なので、僕のことを知ってる人はもちろん、知らない人でも楽しめる内容にはなってると思います。発売前日に本には書いてないエッセイがウェブに上がったんですよ。「エッセイが出る前の気持ちを書いてください」って言われて、最終的に全然違うものになっちゃったんですけど、その中でも書いてるように、浅いところから深いところまで書いたので、いろんな人が楽しめるものになったんじゃないかなと思います。
長田カーティス、Ichika Nito、休日課長との出会い
―エッセイの中にはいろんな人物が出てきて、やはり一緒にバンドをやってる人のエピソードも色々出てくる中、個人的にはインディゴの長田カーティスさんとのエピソード(「気怠げなトム・ヨーク」)がグッときました。
川谷:長田くんは中二病なので(笑)、内面的には全く大人にならないんですよね。バンドに対しての考えとか、自分のギターに対してはどんどんストイックになってきてるんですけど、裏の努力を見せることをかっこ悪いと思ってる、ヤンキーみたいなところがあって。
―それこそ「麻雀大好きお兄さん」の感じは今も変わってない?
川谷:変わってないと思いますね。で、結局そういう精神性が自分とも似てるというか、お互いもともと暗い音楽が好きだったし、わかりやすい青春みたいな、「一緒に頑張ろう!」みたいなのは恥ずかしくて、そういう部分が似てるんだと思います。でも今「indigo la Endとは何か?」と言われたら、僕は長田くんのギターだと思ってるので、ずっと一緒にやってるのはそこが多分一番大きいかなと思いますね。
―初期の頃はベースとドラムがずっと定まらなくても、ギターはずっと長田さんだったわけですが、長田さんがやめそうになったときはなかった?
川谷:それはなかった気がしますね。でも精神性がどんどん変わっていったというか、まだインディゴに課長がいた時代は俺と課長がわりと長田くんにきつく言ってたんですよ。「もっと目立っていいから」とか、その当時は「歌を殺すぐらい弾いてくれ」って散々言ってて。そういう時期から、だんだん長田くんのプレイスタイルが今の感じに定まってきて、その定まったのが多分自分でもわかって、自分のギターがインディゴの色になってるっていう自覚が出始めてからは、ずっと変わらずにやれてるんじゃないかと思います。
indigo la Endは今年1月、ニューアルバム『MOLTING AND DANCING』をリリース
―「あのスフレチーズケーキ」では、ichikoroでともに活動しているギタリストのIchika Nitoさんとのエピソードも出てきますが、もともとの出会いはSNSですよね?
川谷:当時は藤沢でずっとレコーディング合宿をやってたんですけど、その合間にいろいろインスタとかを見てたときにichikaくんを発見して、DMを送ったら、「『オトナチック』のギターが好きです」みたいに返してくれて。そこからすぐに会って、遊びの延長線上みたいな感じでバンドを始めました。振り返ると、何かしらの転換期に一緒にやりたい人が出てくるというか、サーヤちゃんにしてもそうだし、大きな才能みたいな人に出会うと、一緒に何かやりたいなと思うタイプではあるんですよね。
―エッセイではichikoroでの中国ツアーについて書かれていますが、どんなことが印象的でしたか?
川谷:ichikaくん空港に手ぶらで来たんですよ。でも会場に着いたら中国のアイバニーズのスタッフがギターを持ってきてて、だからichikaくんはいつも使ってる自分のギターじゃなくて、その場その場のギターでやってるんです。同じモデルだったとしても、やっぱり違うじゃないですか?でもichikaくんはどのギターでもよくて、自分でギターを持ってきてないから、前日のホテルで練習したりとかもないし、かっこいいなって。
―勝手にですけど、四六時中自分のギターを弾いてそうなイメージでした(笑)。
川谷:エフェクターもハードケースじゃなくて、柔らかいナップサックみたいなのに入れてました(笑)。あとはやっぱり外国人とのコミュニケーションの取り方もうまくて、いろんな国に1人で行ってるから、それが経験としてすごい。すっごいフランクで、英語も喋れるのに、中国のライブでは全部関西弁で喋ってて、あれはとてもじゃないけど真似できないから、メンタルもすごいなっていうのはめっちゃ思います。
―音楽家として刺激を受ける部分も大きいでしょうね。
川谷:一緒に中国に行ったのはすごく刺激になりました。ichikoroはバンドだし、たまに歌ったりもするけど、ichikaくんはギター1本でコール&レスポンスみたいなこともやってて、ギターのフレーズを観客が全員歌うんですよ。あれが衝撃的で、やっぱり海外はちょっと違うなと思いました。ちゃんと楽器を、歌と同じくらい聴いてる感じがあるし、リズムで音楽を聴いてるなっていうのがあって、みんな各々でのって、盛り上がるところはちゃんと一斉に盛り上がってくれる。ichikaくんはそれをギター1本で作り出してたから、いろいろ可能性があるなと思いました。
ichikoroのライブ映像(2018年)サムネイルの右から2番目がIchika Nito
―あとはやはり休日課長とのエピソードがちょこちょこ出てきて、川谷さんが普段のプライベートで一番一緒にいる人が課長だと思うんですけど、もともとは大学の二個上の先輩ですよね。大学時代からそういう関係だったんですか?
川谷:いや、大学時代はそんなことないです。課長とはレミオロメンのコピーバンドで初めて一緒にやってるんですけど、それも課長が軽音部を引退した後だったし。indigo la Endでも一緒にやりましたけど、今みたいな関係性になったのはゲスを組んでからですね。大学生のときから課長が作ったカレーを食べさせてもらったりはしてたけど、でもその頃は500円払ってましたし(笑)。

ゲスの極み乙女、一番左が休日課長
―改めて、課長は川谷さんにとってどんな存在だと言えますか?
川谷:課長は一緒にいて一番楽なんですよね。本当に嘘がない人で、すごく真面目なので、そういう人は近くにいて安心する。笑いのツボも近いし、音楽も好きなものは似てるし。この前も2人で滋賀にうなぎを食べに行ったんですよ。京都に前乗りして、次の日に滋賀に行ったんですけど、前乗りの日も同じホテルに泊まって、夕方5時から飲み始めて、10時間ぐらい2人で飲んでたんですけど、全く会話が止まってないんですよね。自分でも不思議だなと思ってるんですけど。
ー課長とのエピソードだけでも1冊できちゃうくらい一緒の時間を過ごしてるでしょうね。
川谷:普段から一緒にいすぎて、めっちゃつまんない話ばっかりになると思いますけどね(笑)。
小籔千豊、サーヤとの出会い「生きてる限り人生は面白い」
―エッセイには出てきてないけど、小籔千豊さんも出会いとしては大きいのかなと。
川谷:最初にバンドに誘ってもらって、ジェニーハイをやるってなってから、2日連続ぐらいでご飯を食べに行って、最初に串揚げを食べに行ったのは覚えてて。その時まで小藪さんが肉を食べられないことも知らなかったので、焼肉は一緒に行けないんだと思ったのも鮮明に覚えています。よく飲みに行ったり、服の展示会に行ったり、誰かの誕生日会で一緒になったり、最初はそういうことの方が多かったんですけど、小藪さんはドラムをすごく真面目に練習してて、東京ではベッドとドラムしかない部屋に引っ越したんですよ。すごくストイックで、大阪で朝7時からレッスンして、そのあと新幹線に乗って東京で仕事とか、そういうこともあったみたいです。
―そういうストイックさ、仕事に対する向き合い方みたいなところでの信頼がある?
川谷:そうですね。課長とは違う真面目さというか、自分ができないことに関してしっかり向き合うんですよ。音楽に関しては自分は素人で、大きい会場でライブをやってるけど、まだまだ足りてないから、もっと頑張らないといけないって。もともと自分でドラムをやりたくて始めたというよりは、チャットモンチーのドラムの方が抜けて、でも「KOYABU SONIC」に出るから、「小藪さん叩いてくださいよ」から始まってて、そのきっかけであそこまで頑張れるのは、責任感もすごく強いんだろうなって。やっぱりどんな業界でも成功してる人には何かしらの成功の要因があって、それが精神性に表れてるというか、小藪さんからもそれを感じます。
―小籔さんとは仕事やバンドの話もよくするんですか?
川谷:いや、でもそこまでしないですね。芸人さんとはあんまりしないかもしれない。芸人さんは特にそのときのノリが大事だったりするから、オフなときにそういう話はあんまりしない感じはありますよね。

ジェニーハイのアーティスト写真、一番左が小籔千豊
―礼賛で一緒に活動しているラランドのサーヤさんはどうですか?
川谷:サーヤちゃんは両方ありますね。礼賛はサーヤちゃんが歌詞もメロディーも書いてるので、わりと密に話すことが多いかもしれない。ジェニーハイは基本的に僕が歌詞もメロディーも作ってるから、曲に関してはあんまり相談することもないんですけど、礼賛に関してはサーヤちゃんのビジョンもあるから、それを聞いたりすることもあるし。
―サーヤさんはお笑いも役者も音楽も、マルチに活躍していて、川谷さんも1つのバンドじゃなくて、いろんなことをやってたり、そういう部分でも共感がある?
川谷:そういう部分は似てるっちゃ似てるかもしれないけど、でもサーヤちゃんはすごく器用なので、本当に何でもできるというか、何でもできるのが器用貧乏になってなくて、何でもマックスでできてるんですよね。もともと子役をやってたのもあるんですけど、演技もめちゃくちゃうまいから、役者としてだけ見てもすごい、歌だけで見てもすごい、お笑いだけ見てもすごい。そういう意味ではちょっと別格な人って感じはありますけどね。
―サーヤさんとのことで、特に印象に残っているエピソードはありますか?
川谷:サーヤちゃんはお酒のエピソードが多いから、書けないことも多くて(笑)。この前も一緒に朝5時くらいまで飲んでて、そういうときは大体課長もいて(笑)、序盤は真面目な話をしたりするんですけど、後半は何の話をしたか覚えてないことが多いですね。この前も3人で飲んでて、最後2時間くらいスナックのママの結婚式の映像を見ながら無言で飲んでました(笑)。だから最近飲む頻度でいえば、課長の次に多いんじゃないかな。
―2024年に代官山UNITでリリースパーティーがあって、朝まで打ち上げをして、そのまま「ZIP!」に出演したことがありましたよね(笑)。
川谷:あれだけ飲んだのに、すごいなって。次の日「ZIP!」に出てない俺がきつかったですからね(笑)。
―サーヤさんにとっては礼賛の活動が精神面でプラスに働いている面も大きいようですね。
川谷:そうですね。サーヤちゃんだけじゃなく、礼賛のメンバーは一緒にいても全然飽きないです。他のバンドがそうじゃないわけではないですけど(笑)。
礼賛は2月に2ndアルバム『SOME BUDDY』をリリース
―『持っている人』というタイトルにはいろんな意味があるだろうけど、「縁を持っている人」というか、やっぱりいろんな縁があって、そこから川谷さんのいろんな活動につながってるんだなということも、このエッセイを読んで改めて思いました。河原シンスケさんとのエピソードが書かれた「パリで遊びたい」では、「生きてる限り面白い、そんな人生にするために僕は他人と関わり続けるんだと思う」と書かれていますね。
川谷:バンドを組んでからいろんな縁が増えていった感じがします。コロナを経て、前よりは飲みに行かなくなったけど、やっぱり縁が増えると書くことも増える。もちろん、書くために縁を増やしてるわけじゃないですけど、それが音楽に跳ね返ってきたりもするし、自分にとっては音楽を聴くよりも、人と会うことが一番のインプットかもしれない。それこそサーヤちゃんと出会って、一緒に音楽やりたいと思って、そこから生まれたこともたくさんあるし、人が人を呼ぶ感じもあるし。いろんなことがあったなと思いながらこのエッセイを書いてたんですけど、書き終わった後もいろいろあったから、第2弾も全然書けるだろうなって。これ書き終わったのは11月ぐらいで、わりと最近なんですよね。なのにまたここ2カ月ぐらいでいろいろあったから、書くことは無限にありそうです。
―「生きてるだけで、事件勃発!?」ですからね。
川谷:その都度メモっておいた方がいいなっていうのはめっちゃ思いましたけどね(笑)。

『持っている人』
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価格:1,650円(10%税込)
仕様:B6変形判/1C
発売・発行:株式会社KADOKAWA
購入:https://www.kadokawa.co.jp/product/322409001278/

礼賛
『SOME BUDDY』
再生・購入:https://raisan.lnk.to/smb

礼賛 ONEMAN LIVE 「礼賛と野音」
2025年6月28日(土) 東京・日比谷野外大音楽堂
2025年7月10日(木) 大阪・大阪城野外堂
先行URL:https://eplus.jp/raisan-yaon/
礼賛 オフィシャルサイト
https://ooooooooooxxxxxxxxxx.wixsite.com/raisan

indigo la End
『MOLTING AND DANCING』
再生・購入:https://indigolaend.lnk.to/MAD

indigo la End 15th Anniversary Special Series #3
『ナツヨノマジック vol.4』
2025年10月4日(土)山梨県 河口湖ステラシアター
2025年10月5日(日)山梨県 河口湖ステラシアター

indigo la End 15th Anniversary Special Series #2 ONEMAN TOUR 2025「藍のすべて」
2025年4月5日(土)千葉県 市川市文化会館 大ホール
2025年4月12日(土)香川県 サンポートホール高松 大ホール
2025年4月18日(金)栃木県 栃木県総合文化センター
2025年4月20日(日)静岡県 静岡市清水文化会館(マリナート) 大ホール
2025年4月23日(水)大阪府 フェスティバルホール
2025年4月24日(木)大阪府 フェスティバルホール
2025年5月2日(金)北海道 札幌文化芸術劇場hitaru
2025年5月10日(土)京都府 ロームシアター京都 メインホール
2025年5月11日(日)広島県 上野学園ホール
2025年5月17日(土)石川県 本多の森 北電ホール
2025年5月20日(火)愛知県 愛知県芸術劇場 大ホール
2025年5月23日(金)岡山県 岡山芸術創造劇場ハレノワ 大劇場
2025年5月24日(土)福岡県 福岡サンパレス ホテル&ホール
2025年5月31日(土)宮城県 仙台サンプラザホール
2025年6月1日(日)埼玉県 大宮ソニックシティ 大ホール
2025年6月8日(日)茨城県 ザ・ヒロサワ・シティ会館(茨城県立県民文化センター)
2025年6月20日(金)東京都 東京国際フォーラム ホールA
2025年6月21日(土)東京都 東京国際フォーラム ホールA
indigo la End オフィシャルサイト
https://indigolaend.com/