そんな彼女がリリースする新作『アネモネ』は、前作『カリン』と同じく全曲新曲で構成された6曲入りのミニアルバム。プロデュースも長年の音楽的パートナーである伊藤ゴローが全体を手がけ、川谷絵音(indigo la End、ゲスの極み乙女。ほか)と高野寛もそれぞれ1曲ずつをプロデュースしている。
作詞家には原田郁子、土岐麻子、高橋久美子、能町みね子ら個性豊かな面々が参加。軽やかで涼しげな夏の空気をまといながらも、詞の奥底には、静かな内省と人とのつながりへのまなざしが息づく。「他者」の言葉を通して自分自身を見つめ直す、そんな本作の背景にある「創作への喜び」と「関係性の豊かさ」について本人に話を聞いた。
高野寛が作詞・作曲及びサウンドプロデュースを手がけた「頬に風」
「夏らしさ」とドリームポップ
─前作からわずか7カ月でのリリースとなる本作『アネモネ』の制作には、どのような経緯があったのでしょうか。
原田:『カリン』は秋冬をイメージした作品でしたが、『カリン』を制作する段階で、次は春夏をテーマに「対」となるような作品を作ろうという話になっていました。普段は10曲前後のアルバムを1枚で出すことが多いのですが、「6曲ずつ、2枚に分けてみては?」という提案をレーベルディレクターからいただいて。
10曲を2枚に分ければ少しは楽になるかな?と思っていたのですが、(伊藤)ゴローさんいわく「分けても大変さは変わらなかった」そうです(笑)。2作で世界観をしっかり分ける必要があったので、1枚の中でトーンを行き来するのとはまた違う難しさがあったみたいですね。それでも私としては、とても良い試みだったと思っています。
─2枚とも植物の名前がタイトルになっています。その理由や、『アネモネ』という言葉に込めた思いがあれば教えてもらえますか?
原田:今お話ししたように、今回は「対になる作品」というコンセプトがあったので、どこか共通したモチーフがあるといいなと思っていました。いろいろな言葉を探す中で、「植物の名前が合いそうだね」と。
私はいつも、言葉の「響き」や「見た目」といった感覚的な部分をとても大切にしてきました。それと季節感も考えましたね。本当はもう少し早い時期に出す予定だったのですが、夏に近いリリースになったので、より「夏らしさ」を感じられる言葉にしたくて。それで選んだのが「カリン」と「アネモネ」でした。意味というよりは、音や印象、文字の佇まいがしっくりきて、割とすぐ決まりましたね。

Photo by Taro Mizutani
─このところ酷暑が続いていますが、原田さんにとって「夏」のイメージというと?
原田:子どもの頃は、夏が大好きでした。でも今は……さすがにキツくなってきましたね、体力的にも(笑)。それでも、夏が来るとどこかウキウキする気持ちは残っていて。少しずつ気持ちが上がっていくというか、元気をもらえる季節だなと思います。
─楽曲についてもお聞きしていきます。高橋久美子さんが作詞した冒頭曲「Driving Summer」は、ドリームポップのような浮遊感があって個人的にとても好きなテイストでした。
原田:私もこの曲、大好きなんです。ドリーミーでポップな曲をいつか歌ってみたいという気持ちがありましたし、今作でも「ポップ」は大きなキーワードの一つでした。「ポップ」というと、代表曲の「ロマンス」を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、もちろんあの曲も大切にしつつ、今回は「今の自分に合うポップ」を探していたように思います。そんな中で生まれたのが「Driving Summer」でした。
メロディにしっかりとした存在感があって、伴奏がなくても成立するような、歌そのものの力がある。これは、今回のアルバム全体でも大事にしたい要素でした。ゴローさんのギターも本当に素晴らしくて。
─アルバムの1曲目にこの楽曲を選んだのも、そうした思いの表れですか?
原田:そうですね。プリプロの段階で、「この曲を1曲目にしたい」と私から提案しました。長く聴いてくださっている方にも、「あれ? 今までとちょっと違うかも」と感じてもらえたら嬉しいですし、若い世代の方にも届きそうな曲なので、新たな入り口になればいいなという思いもありました。
歌に関しても、ここ数年続けているボイストレーニングの成果をすごく感じられたんです。以前は小さく歌おうとすると息を使いすぎてしまうことがあったのですが、今回は息を抑えながらもしっかりと伝えられる「ちょうどいいバランス」が少しつかめた気がして。レコーディングの時に、ただ歌うだけでなく仕上がりを意識しながら「このパートはこのくらいの音量で」「このニュアンスで」と細かく調整できたのも、今回が初めてだったかもしれません。そうした感覚をようやくつかめて、とても楽しかったです。
土岐麻子のディレクション、川谷絵音との3度目タッグ
─『アネモネ』の制作にあたって、リファレンスにした楽曲はありましたか?
原田:「Driving Summer」は明確なリファレンスなどほとんどありませんでした。大人っぽいポップとか、ドライブミュージックとか、あるいはダンスミュージック……いろんな言葉が思い浮かびましたが、どれもしっくりこなくて。最初は「こんな感じ」というイメージすら、まだ曖昧でした。
そんななか、たまたまNetflixか何かで観ていたドラマで、クラウデッド・ハウスの「Dont Dream Its Over」が流れてきたんですよ。
─土岐麻子さんが作詞を手がけた「私を隠す森」は、メタファーが散りばめられたファンタジックな楽曲です。
原田:土岐さんとは以前、『ルール・ブルー』というアルバムで作詞をお願いしたのですが(「ping-pong」)、今回はプリプロの段階から参加していただき、レコーディングではボーカルディレクションまで担当してくださいました。それが本当にありがたくて。「ちょっと遊びで作ってみたんです」と、AIで生成した幻想的な森の画像をスタジオで見せてくださったのですが、それが詞の世界観そのもので。視覚的にもイメージを共有することができたんですよね。
たとえば「Aメロは部屋の中にいるイメージで、徐々に外へ出ていって、サビで一気に風景が開けるように」といったふうに、情景をすごく具体的に伝えていただきました。声の出し方についても、土岐さんが歌う時に意識してること、例えば、顔の真ん中に声を集めて歌うイメージだったり、呼吸の仕方など、教えてくださって。
─自分以外のボーカリストからディレクションされることに、抵抗などありませんでしたか?
原田:まったくなかったです。土岐さんは今もご自身でボイストレーニングを続けていらして、そこで得た知見やコツをとても丁寧に伝えてくださいました。単にテクニカルなアドバイスをされるのではなく、私のことを理解した上でのディレクションだったからこそ信頼できますし、なにより土岐さんのことを、私自身とても好きなんですよ。教えていただいたことはノートに書き留め、今も大切にしています。
─川谷絵音さんとのタッグは、今回で3回目ですね。「ヴァイオレット」「カトレア」と来て……。
原田:「阿修羅のように」というタイトルを見て、まず驚きました(笑)。これまでの「花の名前シリーズ」とはまったく違うしインパクトもありますよね。楽曲もテンポが速く、細やかな音の動きに満ちたエネルギッシュな印象でした。
歌うときは、とにかくテンポに飲み込まれないことを意識しました。演奏は熱を帯びていても、歌はあくまで冷静に。そうしたバランスを保つのが本当に難しくて……。
─前回の対談で川谷さんは、「例えばロミーのような、ミニマムで少し暗い感じのダンスミュージックが、知世さんにすごく合うんじゃないかなと勝手に思っていて」とおっしゃっていましたよね。この曲は、その方向性が反映されているように感じます。
原田:そうなんです! あの対談の後すぐゴローさんのマネージャーと話をして。「ダンスミュージック、いいかもしれないですね」と盛り上がり、川谷さんにまたお願いすることがその場で決まりました。だから、あの対談があったことが今回、すごく大きかったんですよ。
─それはとても光栄です。3曲目ともなると、川谷さんとの信頼関係もより深まったのでは?
原田:はい。せっかくなので、「仮歌を聴かれて何か気になる点があれば是非アドバイスをください」と、川谷さんにお伝えしました。すぐに「原田さんの優しい歌い方を変える必要はなく、もうちょっとリズミカルな成分を足すとさらに良くなると思います」とか、サビの歌詞のアクセントを付けるポイントだったり、具体的なフィードバックをくださいました。それを受けて録りなおしたことで、ぐっと良くなったと感じています。
作り手の思いを直接聞いて、それを歌に反映できるのは本当にありがたいことです。土岐さんとのやりとりもそうでしたが、川谷さんもとても丁寧に、心を込めて作品を作ってくださっているのが伝わってきて。だからこそ私も全力で応えたいと思える、そんな幸せな時間でした。
原田郁子と長崎の記憶、能町みね子と大人のラブソング
─原田郁子さんが作詞を手がけた「いつもの坂道」も印象的でした。長崎出身の原田さんと福岡出身の郁子さんが、子どもの頃の情景を一緒にたどっているような感じがして。
原田:まさに、そんな楽曲になりました。最初に郁子さんから届いたのは、長崎をイメージして綴ったスケッチのような文章で、そこに「子どもの頃の長崎の思い出は?」「夏の記憶は?」といった質問が添えられていたんです。それを読みながら記憶をたどっていくうち、どんどん思い出が蘇ってきて。気がつけば、かなり細かくお返事をしました。
完成した歌詞が郁子さんから届いたのはレコーディングの前日だったのですが(笑)、私が書き込んだメモの言葉をほとんど全部入れてくださったんです。驚いたし感動しましたね。子供の頃に住んでいた五角形の屋根の家も入っているし、「これは、私の歌だ」と心から感じられました。きっと自分で書こうと思ったら、こうはならなかったと思うんです。郁子さんのフィルターを通すことによって、単なる長崎の記憶ではなくて、ある意味「心象風景」というか、心のふるさとへと昇華されたんですよね。本当に、鳥肌が立つような体験でした。
─歌詞の中には、長崎弁も印象的に使われていますね。
原田:そうなんです。郁子さんが「せっかくだから長崎弁を入れたい」とおっしゃってくださって。〈お供えもの けむり 「おると?」「おらんと?」「おらんすけん」〉のところ、聞き慣れない人にとっては異国の言葉のように感じるんじゃないかな(笑)。最初、地元の言葉を歌にすることに少し照れもあったのですが、メロディに乗せて歌うと意味よりも音の響きが先に耳に入ってきて。ごく自然に歌うことができましたね。
─原田さんご自身は、長崎にはどれくらい住んでいたのですか?
原田:14歳までです。実際にいた時間は意外と短いのですが、子どもの頃に見た風景や体験って、ずっと心に残っているんですよね。今回歌詞に出てくる情景も、私と姉にしかわからないような、とても個人的なものばかり。でもそれを郁子さんが丁寧にすくい上げ、言葉にしてくれたことが本当にうれしくて。とても不思議で、かけがえのない体験でした。
─「pitter patter」の歌詞は、能町みね子さんが手がけています。能町さんは同郷のゴローさんと昨年ユニットを結成し、『全青森ツアー』を開催していましたよね。
原田:そうなんです。私は直接お会いしたことはないのですが、ゴローさんが能町さんと打ち合わせをしてくださり、書いていただけると聞いたときは本当に嬉しかったです。〈つまらないことも話してね/そんな話こそ聞きたいの〉〈まとまらないことも話してね/そんな話こそ聞きたいの〉というサビの歌詞が、心にすっと入ってきました。
人と会うときに、「忙しいのに申し訳ないかな」とか、「時間を奪ってしまうんじゃないか」と、どうしても効率のことを考えてしまいがちですよね。でも、なんでもない話をダラダラとできる相手がいるって、実はとても幸せなこと。あるいは何も話さなくても、ただ一緒にいられる時間がある関係性が、どれだけ貴重か……。この歌詞を読んであらためてそう思いました。かわいらしくて、それでいて深い「大人のラブソング」になったと思いますね。

Photo by Taro Mizutani
伊藤ゴローとの刺激し合える関係
─本作は、他の作詞家による詞であっても、どこかとても「内省的」な印象を受けました。原田さんご自身の内面が強く反映された作品だという感覚はありますか?
原田:おっしゃるように今回は、それぞれの方がそれぞれの視点で「私」という素材をじっくり考えてくださったのだと思います。何が私に合っているのか、どういうものがしっくりくるのかを丁寧に見極め、言葉にしてくださった。そんなふうに、「他者」のフィルターを通して見た「私」をあらためて見つめ直すような感覚があって、それがすごく楽しかったんですよね。
結局、自分一人で自分のことを考えてみても、案外よくわからないことって多いじゃないですか。周りの人の方がよくわかってくれていたり、見えていたりすることがある。例えば自分のダメなところはすごく気になるし目についてしまう。でも、自分自身の「いいところ」を自分ではなかなか見つけられない。それを見つけていくことが、実は大事なのだなと今回改めて感じました。
─今のお話にも通じますが、最近は情報があふれすぎていて、何を信じてどう選んでいくかが難しい時代でもありますよね。そんな中で、原田さんは作品作りを通してどんなことを大切にしていますか?
原田:今お話ししたように、自分一人ではなかなか視野を広げられないけれど、だからといって広げすぎてもダメだと思うんです。情報や理論があふれているからこそ、そこで何を選ぶかが問われる時代だなと。
何が正しくて何が間違っているか、結局のところ誰にもわからないし、絶対的な基準みたいなものもない。最終的には「自分自身が好きか、嫌いか」というごく素朴な感覚に立ち返ることが大切じゃないかなと思っています。
─そういう意味では、ゴローさんとの長いパートナーシップは本当に尊いものですね。
原田:そう思います。積み重ねてきた信頼もあるけど、常に何かしら新鮮さもあって。会う頻度は決して多いわけでもないのに、会えばいつも「この人はすごいな」と思わせてくれる。そういう尊敬の気持ちがあるからこそ、例えば制作の途中で「あれ、これはどうなっていくのかな……?」と多少不安になる時があっても(笑)、最終的にはいつも期待を超えてくれるんです。
私自身も、そうやって変化し続ける存在でありたいですね。「あ、こういう一面もあったんだね」って、ゴローさんに思ってもらえたら嬉しいし、逆に私もゴローさんの新しい面を発見したい。そんなふうにお互いに刺激し合える関係じゃないと、やっぱりモノづくりって面白くないですから。そういう意味でも、今の私たちの距離感や関係性はちょうどいいのかもしれないですね。
原田知世
『アネモネ』
2025年7月23日(水)リリース
再生・購入:https://tomoyo-harada.lnk.to/anemone

初回限定盤(UHQCD、スリーヴケ―ス&ミニ・フォトブック付):¥3,520(税込)

通常盤(SHM-CD): ¥2,860(税込)
原田知世『アネモネ』リリースツアー 2025
2025年11月9日(日)大阪・東大阪市文化創造館
2025年11月13日(木)東京・LINE CUBE SHIBUYA
ツアー特設サイト:https://www.red-hot.ne.jp/sp/haradatomoyo2025/