リトル・フィートは来たる2026年に「ラスト・フェアウェル・ツアー」を始める。半世紀以上の歴史を持つ偉大なるバンドも遂にその幕を下ろすわけだが、このツアーは数年をかける予定だそう。唯一残る創立メンバーのビル・ペインが76歳、最年長のフレッド・タケットは80歳といった年齢になったが、まだまだ元気なのである。
今ではジャム・バンドの先駆ともされ、そのファンは数世代に広がるが、リトル・フィートが70年代にどれほどの影響力を持ったバンドだったか、当時を知らぬ若い人たちには想像が及ばないかもしれない。ミリオンセラーのアルバムやチャートを上ったヒット曲はなく、商業的な大成功こそ収められなかったが、その独創的な音楽と演奏の高い技量が発揮された圧倒的なライヴ・パフォーマンスで、批評家に高く評価され、同業者から深い尊敬を受けた究極の「音楽家が認める音楽家」のバンドとして、大きな存在感を発揮していたのである。
幸いに70年代の代表的なアルバムが、デモやアウトテイクなどの未発表スタジオ録音と当時のコンサートのライヴ録音を追加した中身の濃いデラックス・エディションで再発されており、『セイリン・シューズ』(72年)、『ディキシー・チキン』(73年)に続き、去る11月に『アメイジング!』(74年)と『ラスト・レコード・アルバム』(75年)の日本盤が発売されたばかり。是非ともそれらに耳を傾けて全盛期のフィートの音楽を堪能してほしい。
Photo by Ian Dickson
結成から飛躍までの道のり
リトル・フィートは、ローウェル・ジョージという破格の才能を中心に、1969年に結成された。ロスアンジェルス出身だが、イーグルスなどとはかなり異なるユニークなバンドだ。ハリウッドの頽廃の香りを漂わせながらも、南部音楽の官能的な熱気もたっぷり。強烈なファンク・リズムを叩き出す一方、味わい深いカントリー・ロックも、複雑なジャズ/フュージョン的なインストも軽くこなす。フランク・ザッパ周辺にいただけあって、一般概念の枠を飄々と飛び越え、シュールなイメージに満ちた歌詞に風変わりなユーモアがある。
初期の看板は、シンガー/ソングライター/ギタリストのローウェル・ジョージのスライド・ギターだった。その個性的な演奏はデルタ・ブルーズを源とするスライド演奏の系譜から逸脱するもの。スライド・バーに重い金属のソケット・レンチを使うとか、コンプレッサーを通してサステインの効いた伸びやかな音を出すなどの技巧面の革新だけでなく、根本的な音楽へのアプローチに大きな違いがあった。彼はギターを手にする前にハーモニカや管楽器を演奏していたし、ラヴィ・シャンカールの音楽学校でシタールを学んだ。さらに、空手の修行から日本文化に興味を持ち、尺八を習っていたので、音楽の「間」を理解していた。その視野がとても広かったのだ。
ローウェル・ジョージ(Photo by Ian Dickson)
65年にローウェルは最初のバンド、ファクトリーを結成し、ザッパのプロデュースでシングルを出したあと、68年末から半年間マザーズ・オブ・インヴェンションに加わるなど、若き日にはザッパの近くにいた。多彩な音楽性を持ち、その豊かな音楽の素養を時に真面目に時に遊び心いっぱいに用いる師から多くを学んだはずだ。
リトル・フィートは、そんなローウェルがマザーズの同僚だったベースのロイ・エストラーダ、マザーズの関係者に引き合わされたキーボードのビル・ペイン、そしてファクトリーのドラマー、リッチー・ヘイワードと結成したバンドだ。プロデューサーのラス・タイトルマンに認められ、ワーナーと契約する。
71年のデビュー・アルバム『リトル・フィート』は、そのデモがLAの音楽界で評判を呼び、ザ・バーズなどに既に取り上げられていたローウェルの初期の名曲「ウィリン」他を収録。
このデビュー作は一般的にはほとんど知られずじまいだったが、やはりワーナーのA&Rで、当時はドゥービー・ブラザーズにヒットをもたらし、数年後にヴァン・ヘイレンをデビューさせるテッド・テンプルマンがとても気に入り、2作目『セイリン・シューズ』のプロデューサーに手を挙げる。ローウェルはもっとはっきりとしたメロディーと焦点の絞られたソングライティングを試み、ポップさを少し意識した結果、ひねくれ度合と親しみやすさの匙加減の良い名曲が揃ったアルバムができあがり、とりわけ英国でカルトな人気を得た。それ以降、ハンブル・パイのスティーヴ・マリオットをはじめ、来日アーティストから注目のバンドとしてその名をしばしば聞くようにもなる。
とはいえ、売り上げはそれほど伸びず、エストラーダが脱退。彼らはその機会にバンドを増強する。まず、ローウェルの学校の後輩で、主にブルーズを演奏していたポール・バレアをもう一人のギタリストとして加えた。そして、ベーシストにケニー・グラッドニーを見つけるが、彼がデラニー&ボニーのバンドで同僚だったパーカッションのサム・クレイトンを連れてきて、共に新メンバーとなる。2人ともルイジアナ州生まれで、新生フィートの南部志向にぴったりの人材だった。彼らはドクター・ジョンやアラン・トゥーサンの伴奏も務めていたニューオーリンズのバンド、ミーターズから学んだシンコペイションの効いたファンク色濃い演奏を聴かせるようになる。
その6人編成で、ローウェルがプロデューサーも務めて制作された73年の傑作『ディキシー・チキン』では、強力なリズム隊に支えられ、ポールの存在に助けられ、ローウェルはもっと自由になり、ヴァン・ダイク・パークスが「狂気のメリズマ」と呼んだ独特の節回しの歌唱とうねるスライド・ギターが全開となった。茶目っ気あるユーモアにニヤリとさせられる表題曲はすぐにロック・スタンダードになったし、ブルーズから学んだイメージを個性的に消化し、ちょっと飛躍させたローウェルの優れた自作曲が並んでいた。
心機一転の二作、日本に与えた影響
『ディキシー・チキン』は高い評価を受け、日本でも輸入盤店のベストセラーとなったが、商業的成功にはまだほど遠く、そんな経済的苦境から、バンドはいったん解散状態となる。だが、半年後にLAから遠く離れた街で安く使えるスタジオを紹介してもらったことから、再集合して心機一転のアルバムに取り掛かる。
74年の『アメイジング!』(原題:Feats Don't Fail Me Now)はその後のライヴのレパートリーに残る曲を多く含む、ローウェルとバンドの絶頂期をとらえたアルバムとなり、売り上げも伸びた。翌75年1月に欧州で行われたワーナー・ブラザーズ所属バンドの合同ツアーは伝説的で、彼らよりもずっと成功していたドゥービー・ブラザーズやタワー・オブ・パワーを圧倒する演奏を聞かせた(『アメイジング!』のデラックス・エディションにパリ公演を収録)。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが、彼らを「最も好きなアメリカのバンド」と語ったのは有名な話だ。
しかし、75年の『ラスト・レコード・アルバム』制作の時期から、ローウェルは肝炎やドラッグのやり過ぎで健康に問題を抱えるようになる。彼はビルやポールにもっと曲に貢献するように促し、バンドの音楽性に変化がもたらされる。演奏面でもビルのキーボードやシンセがもっと前面に出て、ウェザー・リポートの影響が感じられるジャズ・フュージョン色も加えられていく。
『ラスト・レコード・アルバム』期のリトル・フィート(Photo by Norman Seeff)
78年には長らく求められてきたライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』を発表し、遂に初来日を果たす。日本では、それまでに鈴木茂の『バンドワゴン』(75年)、矢野顕子の『Japanese Girl』(76年)といったフィートのメンバーを起用したアルバムがあったが、この頃には彼らの影響を受けた若い世代が出てきた。「いとしのフィート」という曲を歌ったデビュー時のサザン・オールスターズもそんなバンドのひとつだった。
ところが、突然の不幸が襲う。79年にローウェルは初のソロ・アルバム『特別料理』(原題:Thanks I'll Eat It Here)を携え、自分のバンドとツアーに出かけるも、その巡業中に心臓発作で急死した。享年34。早すぎる死に誰もが衝撃を受け、「ローウェル・ジョージがいなければ、リトル・フィートは存在しない」と、バンドは解散する。
リトル・フィート復活の過程と現在
それから7年を経て、86年にリトル・フィート復活のときがやってくる。たまたま全員がLAにいたので、解散以降初めて一緒に演奏してみたら、「目覚めのようなもの」をビルは感じた。ローウェルがいなくとも、そこには間違いなくフィートのサウンドがあったのだ。彼らは創立者の大きな穴を、以前からアルバムに参加していた売れっ子ギタリストのフレッド・タケットと元アメリカン・フライヤーのシンガー・ソングライター、クレイグ・フラーの2人で埋めて活動を再開。88年に9年ぶりのアルバム『レット・イット・ロール』を発表した。彼らの復活は大歓迎され、その後に歌手は女性のショーン・マーフィーに交替(93~09年)するも、順調に活動を続けていく。
そんなリトル・フィートに追い風が吹いてくる。90年代半ばから、ジャム・バンドと呼ばれる即興性の高いライヴ・パフォーマンスを重視するバンドを熱心なファンが追いかけるシーンが盛り上がり、彼らはグレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズ・バンドと共に、その先駆として再評価されるようになったのだ。
さて、近年のリトル・フィートは、2010年に創立メンバーのリッチー・ヘイワード、19年にビルと共にバンドを引っ張ってきたポール・バレアを病気で失ったが、新たなフロントマンに、グレッグ・オールマンのバンドのミュージカル・ディレクターを長年務めたシンガーでギタリストのスコット・シャラードという逸材を加え、その歩みを続けてきた。
24年には初めてサム・クレイトンが全曲でリード・ヴォ―カルを担当したブルーズ・アルバム『サムズ・プレイス』を発表。実のところサムは、ローリング・ストーンズの「ギミー・シェルター」の熱唱で有名なメリー・クレイトンの弟なのだ。そして本年25年5月、13年ぶりの新曲を集めたアルバム『ストライク・アップ・ザ・バンド』を発表した。彼らは老いてますます意気盛んで、「ラスト・フェアウェル・ツアー」が始まっても、その終わりは当分来そうにない。
『ストライク・アップ・ザ・バンド』収録曲「Midnight Flight」MV
リトル・フィート代表作デラックス・エディション
最新リマスター音源を収録したオリジナル・アルバムに加え、ファン垂涎のレア音源を追加収録
◎2025年11月リリース(輸入盤国内仕様/解説・歌詞・対訳付)
『Feats Don't Fail Me Now / アメイジング!』
詳細:https://wmg.jp/little-feat/discography/32042/
『The Last Record Album / ラスト・レコード・アルバム』
詳細:https://wmg.jp/little-feat/discography/32043/
◎好評発売中
『Sailin' Shoes / セイリン・シューズ』
詳細:https://wmg.jp/little-feat/discography/27844/
『Dixie Chicken / ディキシー・チキン』
詳細:https://wmg.jp/little-feat/discography/27845/


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