悠久の歴史を持つ中国では、英雄視されている偉人は数多く存在し、「鄭成功」もそのうちの1人だ。中国や台湾では英雄と見なされており、福建省アモイ市のコロンス島では、鄭成功の巨大像が台湾の方を向いて立っている。
そんな鄭成功は実は「日本生まれ」で母親が日本人であることは有名だ。そして、鄭成功には弟がいて、ずっと日本に留まっていたことはあまり知られていない。中国メディアの快資訊派のほど、鄭成功の弟・田川七左衛門について紹介する記事を掲載した。
記事はまず、海商船団の頭領だった鄭成功の父・鄭芝龍について紹介した。長崎滞在中に田川マツとの間に2人の子どもが生まれ、のちに鄭芝龍は明朝に仕えるようになり、鄭成功は7歳の時に父のところへ行ったと伝えた。しかし、幼かった弟は母と共に日本に留まり、田川次郎左衛門と名付けられて日本人として育った。後の田川七左衛門のことだ。
兄の鄭成功は、明の滅亡に際して明朝再興のために尽力し、台湾を拠点とするにあたり台湾を占拠していたオランダと戦って勝利するなどの活躍をしているが、この活躍を陰ながら支えていたのが弟の田川七左衛門だったという。長崎で商売が成功していた田川七左衛門は、兄と手紙でやり取りを続けており、資金や物質面で兄を援助していたと伝えた。
中国で英雄視されている鄭成功が日本と中国のハーフであり、その弟が日本人として育ち日本で商売をしていたというのは、中国人からすると複雑な感情なのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)