日本と中国は、歴史を通じて交流が盛んで、日本には古代中国を師と仰いでいた時期もある。中国メディアの百家号は20日、日本はある時期を境に「中国に対する態度を一変させた」と主張し、それは「明治維新」がきっかけだったとする記事を掲載した。
日中関係を示す最古の記録は、1世紀の中国・漢の時代にさかのぼるようだ。記事は、当時倭と呼ばれていた日本は漢に貢物を献上していて、後漢の皇帝・光武帝から授けられたものとみられる漢委奴国王印も残っていると伝えた。当時の日中関係は、中国のほうが立場は上だったと指摘したいようだ。
過去の歴史において、日中関係が最も良好だったのは、「遣唐使」を派遣していた時期だろう。日本は多くの留学生を派遣して唐の文化を全面的に学び、中国からも鑑真らが日本に渡り仏教の伝来に尽力した。記事は、「当時の日本は中国をこれ以上ないほど尊敬していた」と振り返っているが、この良好な日中関係は、日本が中国を尊敬し「中国から学ぶ」姿勢のうえに成り立っていたと言いたいようだ。
では「日本の中国に対する態度が一変した」きっかけはどこにあるのだろうか。記事は「明治維新」が変わり目だったと指摘した。まだ貿易により交流のあった宋の時代が終わり、2度の蒙古襲来、倭寇の出現、鎖国政策と、日中を引き離す出来事が長く続いたところに、明治維新によって日本が「全面的に西洋から学ぶ」ようになり、中国離れを決定づけたと振り返った。
そのころ清はアヘン戦争で惨敗し疲弊しており、「尊敬するには程遠い状態だったのも事実」と指摘しているが、中国人は日本が遣唐使を派遣して中国から学んだ時代を懐かしみ、日本は「変わってしまった」と不満を抱いているようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)