これにより英国は、香港・九龍半島の界限街(Boundary St.)以北、深セン河以南および付近の200余りの離島、いわゆる「新界(ニュー・テリトリー)」と呼ばれる地域を、99年の期限付きで清から租借した。
「香港」は大きく「香港島」「九龍」「新界」の3地域に分けられるが、清末のアヘン戦争の結果、1842年の南京条約で清は香港島を英国に割譲。さらに1860年の北京条約で九龍も割譲され、香港島と九龍が英植民地となった。
それから約1世紀後の1980年代、中英間で香港返還交渉が進められ、1997年7月1日、当初から期限付きの租借だった新界以外の地域も含む香港全域が中国に返還された。
なお、1898年の「拓展香港界址専条」では、「九龍城砦」に対する清の統治権が認められた。九龍城砦はもともと清軍の砲台が設置された要塞だったが、条約によって英国の主権が及ばない“飛び地”となり、次第に無法化していった。かつては“東洋の魔窟”とも呼ばれた九龍城砦だが、1993年から94年にかけて取り壊され、跡地に九龍寨城公園が建設された。(編集担当:梅本可奈子)
■今日は何の日 2007年6月9日掲載
・1981年:F4ヴィック誕生日
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