この武装蜂起は「南昌蜂起」または「南昌暴動」、中国では「八・一起義」と呼ばれる。
1924年、中国国民党と中国共産党は、北方軍閥を倒して国民革命を推進するという目標のもと、一回目の協力体制(第一次国共合作)に踏み切る。しかし国民党を率いる蒋介石は次第に反共姿勢を強め、27年4月に上海で共産党を弾圧するクーデターを発動した。
国民党左派と連立でつくった武漢政府から離脱した共産党は、周恩来を首班として前敵委員会を組織。8月1日、国民政府の北伐軍から寝返った賀竜、葉挺、および南昌の公安局長を務めていた朱徳が率いる総勢約2万人の部隊が蜂起した。
3時間の激しい戦闘のすえ、蜂起部隊は敵兵1万人を殲滅して南昌を占拠し、革命委員会を設立した。しかし数日後には国民党軍の包囲を受けたため南昌を放棄し、広州への転進を余儀なくされた。南昌蜂起において共産党が初めて自らの軍隊を持ったことから、中国では8月1日は「建軍記念日」とされている。(編集担当:梅本可奈子)
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