関連写真:そのほかの姚明(ヤオ・ミン)に関する写真
13億人の期待を一身に背負う姚明が、祖国で開催される五輪に臨む。北京五輪では、中国代表として米国・スペイン・ギリシャなどの強豪と同グループで対戦することが決まっているが、本人は「プレッシャーは原動力になる。それを楽しんでやっていく」と決意表明した。
姚明は1980年9月、上海生まれ。両親とも元バスケ選手で背が高い(父は208センチ、母は188センチ)ためか、姚明は小さいころから同世代の他の子より成長が早く、4才のときには、すでに普通の8才の子よりも背が高かったそうだ。
両親の影響で9才からバスケットボールを始め、恵まれた身長と抜群な運動神経によって14才でプロ入り、18才で国家代表に選ばれた。中国プロリーグのCBAでは地元上海チームを率いて、毎シーズンごとにぐんぐんと成長し、ついに2002年にチームを優勝に導いた。
2002年6月、米プロバスケットボール協会NBAのドラフトで、米国以外の選手として初めて全体1位でヒューストン・ロケッツから指名され、王治ジ(ワン・ジジ)・巴特爾(バタール)に次いで3人目の中国人プレーヤーとなった。
しかし、中国のCBAよりはるかに攻守の転換が速く、体の強さがモノをいうNBAになかなか慣れることができなかった。移籍後初出場となった試合では11分出場したものの、得点ゼロ、2リバウンドに終わり、その後の数試合でも出場時間が増えたものの、低迷を続けた。
地元ファンからは「全体1位で指名された選手として史上最低」「背が高いだけ」などといわれ、さらにNBAの元スター選手で同チームの先輩であるチャールズ・バークレーから「姚明が1試合で19得点以上とったなら、僕はロバの尻にキスしてやるよ」などと厳しい言葉でからかわれたこともあった。
だが、姚明は8試合目となるレイカーズ戦で爆発した。23分の出場時間で、20得点を取り、チームを勝利に導いた。また10試合目のマーベリックス戦では、30得点16リバウンドと移籍後1ケ月で、個人初のダブル・ダブル(得点・アシスト・リバウンド・スティール・ブロックショットの5項目のうち2項目で二ケタを記録すること)を達成した。そして、11試合目のウィザーズ戦では初めて先発出場し、それ以来、ケガがないかぎり、先発センターの座を他人に譲ったことはない。
それから6シーズンが過ぎ、姚明は今、1試合平均22.2得点10.3リバウンドを保ってNBAトップレベルの選手に成長した。いまや海外で最も活躍する中国人スポーツ選手として、カンフースターのジャッキー・チェンとともに中国を代表する人物となっている。
姚明は北京五輪に対して、「チームメートとともに歴史的な成績をあげたい。メダルを取ることができれば最高だ。そのためには、すべてを犠牲にしてもかまわない」と述べている。
※この記事は、中国で唯一対外放送を行う国家放送局の「中国国際放送局(CRI)」による提供です。現在、38の外国語、中国国内の4つの方言と43の言語で、世界200以上の国と地域に向けて放送しています。URL : http://jp1.chinabroadcast.cn/
【関連記事・情報】
・姚明「五輪バスケで『銅』取りたい」―けが回復8割(2008/06/27)
・NBAの姚明選手、ろう人形で瀋陽の五輪展に出場(2008/06/24)
・2008年北京オリンピック特集
・社会>スポーツ・イベント>北京五輪:新着記事 - サーチナトピックス
・社会>スポーツ・イベント>姚明(ヤオ・ミン) - サーチナトピックス