今回は広東美術館で1930年代の現代アートを研究し、展覧会や収集活動を続けている蔡涛さん(広東美術館研究部副主任、キュレーター)。


――広東美術館ではどのような活動をしていますか?

 広東美術館は省立の美術館として1997年に誕生しました。
広州芸術博物館が古い美術作品を扱うのに対して、広東美術館は近現代美術専門です。3年に1度のトリエンナーレは2008年で3回目になりましたし、撮影アートの作品展も行いました。中でも私が力を入れているのは07年11月にかけて開いた『浮游的前衛』や08年4月に開いた『神秘的狂気』など、1930年代の広州の現代アートを発掘する活動です。

――1930年代の広州の現代アートとは?

 1930年代に主に日本の日大芸術学部に留学した経験を持つ画家たちが、当時のエコール・ド・パリの影響を受けて、アカデミズムの打破、シュールレアリスムを標榜した活動です。

<中華独立美術協会>

――中華独立美術協会というのが設立されたそうですね?

 中華独立美術協会は1935年に東京で中国人留学生画家が設立しました。メンバーは梁錫鴻、趙獣、李東平、曾鴻、ANDRE BESSINの5人で、彼らの周囲に30人ほどの画家がいて、中国にアバンギャルドを導入する活動をしていました。彼らはやがて上海に戻り、それから広州に移って展覧会を開きました。

――広州で開かれたのはなぜだったのでしょうか?

 中国の近代化の点で言えば、上海は外国の租界を中心に発達した都市で、広州は辛亥革命のように中国人にとっての先進の地でした。現代アートにおいても広州ではすでに1930年代から現代アートの展覧会が開かれていました。

――アバンギャルド導入の試みが東京で始まったと言うのは、日中の文化交流の観点からしても見逃せない足跡ですね。

 一方では上海事変が勃発したりと大変な時代なのですが、中国は近代化を必要としていましたから他方で日本経由で前衛を取り入れようとする活動があったわけです。東京に留学し、上海で広め、それから広州で広めていったようなトライアングルの関係があったのです。


――その後はどうなっていくのですか?

 40年代、50年代、60年代と中国はめまぐるしく変わるのですが、彼らは広州でずっと前衛アートの創作を続けました。80年代まで活動し続けた人もいます。

――50年代に展覧会などはできたのですか?

 それはできません。全部が秘密裡に描かれました。内容からして文化大革命が終わるまでの中国では危ない行為でした。

<30年代の前衛の足跡>

――中国現代アートと言えば70年代の文化大革命終了後に勃興するイメージがあるのですが、こうした話に触れると、見方を修正しなければなりませんね。

 彼らの作品がどうであるかよりも、30年代のこれまで光が当たらなかった中国人の海外における貴重な経験を残そうというのが私の活動の狙いです。今日の現代アートにつながる芽生えを文化大革命後ではなく30年代にまで遡ることができるかどうかも研究の目的ですが、遡れるかどうかに限らず、そうした歴史をのこしておきたいと思っています。

――最近の現代アートに対してはどう考えていますか?

 大変盛んではありますが、乱れていて、もっと落ち着いたものに取り組みたい思いがあります。特に05年以来、商業化が顕著になって、純粋に芸術を追求する取り組みが薄れた印象を受けます。

――1930年代とは全く異なりますね。

 彼らの作品がどうとか、今の現代アートの始まりと言えるかどうかなどよりも、彼らの前衛に対する情熱を残していきたいと思います。
日中関係が大変だった時代に花開いて、新中国建国後は発表ができずに、それでもなおかつ創作に打ち込んだ情熱です。


 写真は『浮游的前衛』展の様子(蔡涛氏提供)。(聞き手、文責:麻生晴一郎 企画:サーチナ・メディア事業部)

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