原稿に自分のことを「私」と書いたところ、律儀な編集者の手で「わたし」に改められたことがある。
私はふだん自分のことを「わたくし」と称し、「わたし」とは言わないし、特に書くことはない。
編集の言い分は、「私」には「わたくし」という訓しか認められていないので、「わたし」は仮名書きにすべきだというのである。彼の感覚では一人称は当然「わたし」であって、「私」と書いたのでは「わたくし」と読まれてしまいかねないのである。ところが、当の私は、「読まれてしまいかねない」ほうの「わたくし」と読んでほしいのだから始末が悪い。
なぜそんなにこだわるのかは、話が長くなるから、ここには書かない。なんとなくしまりのない「わたし」よりも、引き締まった感じのする「わたくし」のほうが好きだから、とだけしておこう。「ネにもつタイプ」は翻訳家の岸本佐知子さんだが、私は「こだわるタイプ」ということにでもしておいていただこうか。
例によってわき道にそれるが、以前留学生と一緒に『伊豆の踊子』の朗読テープを聴いたことがある。朗読者は俳優の篠田三郎さんで、作者の川端康成さんの肉声によるものがほんの一部だけおまけに付いていた。文中の「私」を篠田さんはすべて「わたし」と読んでいる。一方の川端さんは「わたくし」である。ご存じのように作中の主人公の「私」は二十歳の旧制高等学校の学生である。
ところで、このほど文化審議会国語分科会漢字小委員会とかいう長たらしい名称の委員会の答申があって、来年秋には、この厄介な「私」の訓として「わたし」「わたくし」の両方が認められることになるらしい。内閣が告示するのだそうだ。
国事多難の折にほかにすることは、なんてイヤミはよしておくが、ワタクシ的には、「私」と書いて「わたし」と読むか「わたくし」と読むかは、読み手に任せておけばよいことで(どうしてもこだわるなら、読んでほしいように仮名で書けばすむことだ)お忙しい先生方が雁首をそろえて議論なさることもなかろうにという気がしなくもない。
言うことが矛盾しているようだが、私が愛用している「わたくし」は、一人称の代名詞としては長すぎるので困る。「わたし」と縮めたところで、大差はない。「おれ」「ぼく」ならいくらか短くなるが、前者はわざと尊大ぶった感じがするし、後者は漢字で書いた時の「僕」が連想させる意味がつきまとうので、好きになれない。
一人称に限らず、人称代名詞のような頻用される語は、短くて余計な連想を伴わないもののほうがいい。この点、英語にしても中国語にしても、すっきりしている。新聞やテレビ・ラジオの報道でも、英語ならhe、中国語なら「他」ですむところを、いちいち同容疑者はとか、同元社長はなどと報じている。これを「彼」としたのではどうも落ち着かない。多くの言語に通じているわけではないがこれほど未成熟な人称代名詞を使用している言語は、珍しいのではないだろうか。
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