■研究者「手書き日記整理には膨大な労力」
王氏代理人によると、王氏は愛新覚羅・溥儀夫人の李淑賢氏の許諾を得た上で、溥儀の手書き日記や関連文章を使い、自ら収集した歴史文書や関係者への取材を加え、1996年に天津人民出版社から『愛新覚羅・溥儀日記』を出版した。同書は56万字の大作だが、溥儀の日記はうち3分の1程度で、残りは王氏による注釈などだという。
王氏によると、手書き日記の整理にも、膨大な労力を費やした。『愛新覚羅・溥儀日記』では、著者部分に「愛新覚羅・溥儀遺稿、李淑賢提供、王慶祥整理注釈」と表示した。しかし、同心出版社は2007年9月に出版した『私の前半生―付・10年日記』で、王氏が整理した溥儀の日記15万字分をそのまま使い、著者を「愛新覚羅・溥儀」として、王氏らを無視した。明らかな著作権侵害だという。
■親族激怒「溥儀研究者の“化けの皮”はがす」
一方、溥儀の親族は「王氏こそ、李淑賢夫人から資料をだまし取った張本人だ」と憤慨。溥儀の異母弟にあたる溥任氏の代理人の黎園氏によると、王氏は吉林省の雑誌『社会科学戦線』の記者だった時代、李淑賢夫人に「整理に協力する」などと言い、溥儀の日記と写真100枚など、大量の資料を持ち去った。現在も返却していないという。
黎氏は人民日報が1981年に掲載した記事、「道徳感が破壊された記者-王慶祥」を示し、「王氏が訴訟を起こしたことは、良い機会だ。『溥儀研究の第一人者』の真の姿を暴露する」、「多くの証拠を持っている」などと述べた。
黎氏によると、溥儀の日記の著作権は遺族のもので、王氏が「自分に著作権がある」と主張したことは、「日記を勝手に改ざんしたことを示す」もので、「親族にとっては、王氏が日記を破壊したことを意味する。
■ラストエンペラーの日記、これまでにも訴訟
王氏の訴訟により被告になった同心出版社によると、『私の前半生―付・10年日記』は、溥儀異母弟の溥任氏の許諾を経て出版した。「訴訟を起こされたが、まったく心配していない」という。
溥儀の日記については、これまでにも訴訟が起きたことがある。2007年に群衆出版社が『私の前半生』の書名で出版した際にも、溥儀の姪(めい)と称する女性が著作権を巡って訴訟を起こした。群衆出版社は「日記は無主財産」と主張して、現在も裁判で争っている。
写真は溥儀と李淑賢夫人。満州国の皇帝となった溥儀は日本の敗戦に伴い、ソ連軍に捕らえられ、東京裁判にも出廷した。1950年には中国(中華人民共和国)に身柄が渡され、戦犯として撫順収容所に収容されたが、1959年に特赦により出所。その後は一市民として生活した。李淑賢夫人と結婚したのは1962年。写真は1960年代に撮影されたものとされる。
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