同作品は、中国の古典劇、昆劇の代表的作品『牡丹亭』への坂東玉三郎の取り組みを集約した。
玉三郎と昆劇の出会いは1986年4月、東京国立劇場での『牡丹亭』の日本初演だった。玉三郎は「とくに『離魂』の場面、杜麗娘が窓を開けて月を見る。雨がそぼ降り、雲がかかり『月も見えない』と、会えない恋人に対するはるかな思いを残して死んでいく。その雰囲気、表現に深い感動を覚えた」と語る。
玉三郎は京都・南座で2008年3月、かねてから抱き続けた「自ら杜麗娘を演じたい」という思いを実現させる。同年5月には北京でも日中合同公演。地元の人間でなければマスターは難しいとされる蘇州語を使いこなし、古典劇特有の演技や発生の約束なども、表現の「血と肉」に昇華した玉三郎の舞台は、中国の演劇人を驚嘆させた。
玉三郎を指導したのは、江蘇省昆劇院名誉院長の張継青女史をはじめとする同院の俳優ら。張女史も杜麗娘などを演じたら天下一品とされた昆劇俳優で、1986年の日本初演の際にも、杜麗娘を演じた。昆劇の真髄を日本に紹介したいという中国側の情熱と、それをストレートに受け止めた玉三郎の感受性と熱意が縁となり、20年あまりの時を経て合同の舞台という実を結ぶことになった。
そして09年3月には昆劇のふるさと、蘇州での公演が実現。蘇州だけでなく、中国各地からも観客が訪れた。印象的だったのは、「玉三郎によって、昆劇は新たな命を吹き込まれた」と評した観客が目立ったことだ。単に異国の俳優が昆劇を“学習”したのではなく、逆に昆劇に可能性を与えたとの、最大限の賛辞だ。
その他、京劇の伝説的女形(1894-1961年)の梅蘭芳に比して「梅蘭芳が昆劇の舞台によみがえったようだ」、「玉三郎は日本だけではく、アジアの至宝だ」などの声も、相次いだ。
シネマ歌舞伎特別編『牡丹亭』の監督は十河(そがわ)壮吉氏。これまで坂東玉三郎のテレビドキュメンタリーも多く手掛けている。本作品がスクリーンデビュー作。(編集担当:如月隼人)
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