おめでたい結婚式。日本と中国、いろいろと違いはあるが、その最たるものは、中国には「閙洞房(ナオ・ドンファン)」という風習があることだろう。
結婚式や披露宴が終わってから新郎新婦が新婚の夜を迎える新居に、親しいものがおしかける、そして二人のなれそめを聞いたりしてからかう。「閙洞房」は文字通りには「新婚の部屋を騒がせる」というぐらいの意味だ。
もともとは夫婦の住む新居の邪気を払うことから始まったものらしい。また、若い青年に対する性教育の役割も果たしていたのであろう。
当初は、二人のなれそめを聞いたり、相手の頬にキスをさせるとか他愛の無いものであったろうが、それがだんだんとエスカレートしてきた。現在は、悪友たちによる「押し掛けバカ騒ぎ」の様相を呈している。
一緒に飲んだり食べたりのばか騒ぎならどうということもないが、新郎新婦に無理難題を言って困らせる、恥ずかしいポーズをとらせる。二人には受難のひとときだ。
しかし、来てくれているのは親しい人だ、あるいは今回の結婚式でお世話になった方々でもある。これからも長くつきあう友人だ。だから、少しぐらいのことには耐える。それに怒ったりしては度量が小さいと言われるし、お祝いの気分をこわしては自分たちの結婚が台無しになるではないか。
具体的には、では、どんなことをするのか。
おとなしいのでは、二人のなれそめを根掘り葉掘りたずねるとか、プロポーズを再演させるとか、それぞれの過去の恋愛歴を白状させる、あるいは新婦の胸にチョコレートで描いたハート印を新郎がきれいに舐めてとるとか、まあ他愛の無いものだ。
新郎に新婦の「生辰八字」つまり生年月日と生まれた時刻を言わせ、間違ったら新郎は馬になり新婦を乗せてはい回る。このぐらいまでは微笑ましい。
農村などでは乱暴なものもある。布団の中に蛙を放り込んでおいたり、真夜中に外で突如爆竹をならしてはやし立てたり、あるいは屋根にのぼって瓦を剥いで上から水をぶちまけるなどという迷惑なのもあるそうだ。
品のよいのから、目も当てられないような下品なものまで、ピンからキリまであるが、とかくこういうのは脱線エスカレートしやすい。なにしろ血気盛んな若い悪友が主役だ。
最近ではインターネットの中国版のユーチューブのようなところに「閙洞房」の映像がでている。話題として恰好で、面白いのだろう、ずいぶん沢山出ている。
私が見たのでは、結婚した二人がベッドの上で「数字の1から10まで、人文字を作らされ」ていた。1など、重なりあう形だ。
「“閙洞房”の新しい遊び方28式」などというのもウェブ上には出ている。
例えば「ハイヒール酒」というのがある。愛情の証しとして、新婦のハイヒールにお酒を注ぎ、それを連続3杯飲むというものだ。
新郎が今夜の「新婦のパンティの色を当てる」というのもある。当たったら、ご褒美として新婦がチラリとパンティを見せるという趣向。外れたら新郎には罰ゲームが待っている。これを当たるまでやる。
「寝室の鍵探し」というのもある。寝室の鍵を誰か友人が隠し持ったり、あるいは室内のどこかに隠す。それを新郎が探す。うまく探せないと、その都度新婦はお客に「チュッ」のサービスをする。
友人悪友を迎え、いろいろさせられるのは新郎新婦だけではない。介添え役の若い男女もまきぞえになる。中国では“伴娘、伴郎”という介添え役がつく。
介添え役は若い未婚の男女がやるのだが、彼らも「閙洞房」に巻き込まれる。本人は「ともかくここを乗り切れば」という思いがあるが、介添え役は、とくに若い女性の場合は、どうして私がこんな目にという思いも強い。普段は仲のよい友だちであり、知り合いなのだが、それが手で触ったり、へんなポーズを強いたりとやりたい放題、言いたい放題だ。こんなわけだから誰も介添え役などしたくない。そのため地方によっては「介添え役引き受けます」というビジネスまで生まれているらしい。
先日もやはりなり手がなかったのだろう、姉の結婚式で、妹が介添え役をしたところが、あまりの屈辱に耐えきれず、自殺をはかったという記事がでた(2009年5月31日付)。
<南京で介添え役の女性が湖に投身自殺>
おとといの夜10時ごろ、南京駅の前にある玄武湖に女の子が入って行くのが見えた。周りの人が気づいて助けを叫んだところ、近くにいた警官が湖に飛び込みなんとか女性を引き上げた。
それによると女性は20歳、陳某といい、河南省新郷の人。5月27日に両親とともに姉の結婚式に参加し、介添え役をつとめた。
「閙洞房」の時、客は新郎に陳さんを抱いてリンゴを食べるよう要求、また新郎に陳さんの上着を脱がせ、下着姿にした。さらに、新郎が左手で新婦を抱え、右手で陳さんを抱えて部屋に入るように指示し、また、どれほどご祝儀をもらったか調べるという口実で4、5人が陳さんの身体をまさぐった。また彼女をベッドに放り投げたりした。このような場面に出合ったことがない陳さんはこの屈辱に耐えきれず、突然家に帰ると言い出し、お父さんがいぶかしがって娘の後をついてきたところ、湖に飛び込んだという。(『南京晨報』による。)
遠くから南京にやって来た妹にとっては、客は見知らぬ人ばかりだったのだろう。またこの地方のやり方が度を越えたものだったのかもしれない。姉や姉婿のために頑張らねばという気持ちもあり、それがため無理に耐え忍んだところもあろう。
本来の「閙洞房」が、いつの間にか単なる「悪ふざけ」になり、どさくさ紛れに「うまいことをする」場に化している。
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」とは中国の名言ではなかったか。
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