「中国宇宙開発の父」、「中国誘導弾(ミサイル)の父」と呼ばれる銭学森氏が10月31日、北京市内で死去した。97歳だった。


 銭氏は1911年12月11日生まれ。上海交通大学で学んだ後、米国に留学し、カリフォルニア工科大学で博士号を取得。同大学で助教授・教授を務めた。米ジェット推進研究所の設立に尽力し、49年から55年まで同研究所で教授職にあった。

 米国籍を取得したが、55年に帰国。米国では1950年ごろからマッカーシズムが始まり、社会全体が「赤狩り」に狂奔(きょうほん)。銭氏は1930年代に中国共産党に入党していたため、米国の軍事秘密を中国に伝えた疑いが持たれた。銭氏は約5年間の間、自宅に軟禁状態で、研究活動はできなかったという。銭氏に対する疑いの真偽は不明。ただし、マッカーシズムでは証拠のでっちあげや偽証などが横行したことが知られている。

 帰国後、銭氏は中国科学院力学研究所を創設し、ミサイル・ロケットの開発に従事した。1959年には中国共産党に再入党。
1970年には、中国初の人工衛星「東方紅1号」の軌道投入に成功した。文化大革命期には迫害の危険にさらされたが、周恩来首相が保護した。

 銭学森氏は、科学技術では世界最高レベルにある米国で第1級の専門家として評価され、帰国後は母国の発展のために献身したとの理由で、中国では「国民的英雄」として尊敬されている。各メディアも同氏の死を大きく伝えた。2008年にノーベル化学賞を受賞した銭永健氏は、銭学森氏のおい。米国で生まれた。(編集担当:如月隼人)

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