宋遼金元代史や中国法制史の研究者である李宝柱博士は23日、文献の研究にもとづき、秦の始皇帝の陵墓は約1000年以上前に盗掘されていたとする文章を発表した。

 始皇帝陵墓は陜西省にある。
周辺部分は調査され、大量の兵馬俑などが出土したが、遺体が安置されているはずの墓室部分は、本格的発掘が行われていない。

 李博士は、明代に編纂(へんさん)された「永楽大典」から清代に抜粋されたとする、宋代の記録「宋会要輯稿」に着目。同記録には◆唐末から五代十国時代にかけ、秦・始皇帝を含め、歴代皇帝28人の陵墓が盗掘された◆宋朝はそれらの陵墓をすべて修復。改めて棺や副葬品を安置した◆大量の人員を動員して作業を行った◆作業は970年9月に始まったが翌年2月になっても終わらなかった――などの記述があるという。

 唐朝の滅亡は西暦907年で、その後は分裂時代である五代十国時代。960年に趙匡胤が統一を果たし、宋朝を樹立した。

 始皇帝陵墓の墓室部分は、これまで音波測定や土壌サンプルの採取が行われており、墓室の壁の厚さが4メートルであることなどが分かっている。墓室周囲には、後から掘られたとみられる直径1メートル程度の坑道があるが、墓室からは距離があり、盗掘は失敗したとみられていた。

 李博士によると、宋代の本格的な修復からも1000年以上が経過しているので、「それ以降は盗掘されていない」とすべきところを「埋葬後、盗掘されなかった」と結論づける誤解が生じた。実際には1000年以上前の盗掘者により、始皇帝の墓は「開発済みだった」という。

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◆解説◆
 李宝柱氏は北京大学歴史学科に学び、歴史学で博士号を取得した。「宋代人口統計問題の研究」、「<宋史職官志>官品制度の補正」、「中国政治制度史綱」など、歴史学で多くの著作があり、業績は国際的にも評価されている。


 一方で、1980年代からは中国共産党中央に勤務。現在は同政法委員会宣伝教育指導室の主任を務めている。

 「永楽大典」は明代の14-15世紀に編纂された、中国史上最大規模の類書(百科事典)。2万2877巻・1万1095冊からなる膨大な書物だったが、19世紀末に発生したアロー号事件や義和団の乱で、大部分が失われた。ごく一部が、中国内外に散在。あるいは他の書物に引用される形で残っている。(編集担当:如月隼人)

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