5月17日、中国証券監督委員会のサイトにおいて、企業10社の株式目論見書が発表された。その中には、禾豊牧業のものが含まれており、当該株式目論見書の中でも、最も目を引くのが、禾豊牧業の第五位個人株主の張鉄生の名である。


 当該株式目論見書によれば、遼寧禾豊牧業株式会社(以下、禾豊牧業)の主要業務は飼料の生産販売であり、今回取引所において6500万株程度が発行される。データによれば、第六位株主で、第五位の個人株主である「張鉄生」は、張鉄生は1950年に生まれ、禾豊牧業の最も重要な7人の発起人の一人である。現在禾豊牧業の3224万株を有しており、総発行株式数の6.8%を占めている。

 「張鉄生」はなぜ注目されるのか。この張鉄生は、中国人の一定世代以上であれば誰もが知る、文化大革命の期間中の1973年の高考(全国大学入試試験)において「白巻英雄(白紙答案の英雄)」として名を成した張鉄生と同一人物であるためだ。

 1973年の高考は文化大革命10年間の中で唯一行われた高考であった。
この年、遼寧省の知識青年であった張鉄生は高考への参加について推薦を受けた。記録によれば、最終科目の理科の試験で、張鉄生は三つの小問しか解けずに空白が残った。彼は問題用紙の裏面に「尊敬するリーダーへの手紙」を書いた。その手紙の中で張鉄生は、集団生産を放棄し部屋で勉強をするようなことができなかったために、高考の成績が思わしくないのだ、という事をせつせつと訴えた。

 この手紙により、張鉄生は評価され、最終的に彼は、鉄嶺農学院牧畜獣医学への入学と「白巻英雄」の称号を得る事となった。「白巻英雄」張鉄生の出現は、当時の学生募集の指導路線に大きな影響を与え、試験点数が高ければ高い程、学校は不要であるとされるようになり、入学者の多くは、成績が普通、あるいは中の下であった。


 この手紙が、毛遠新(毛沢東のおい、毛沢東の連絡員となった四人組のシンパでもある)の目にとどまり、張鉄生の運命は変わった。彼は大学入学後、共産党に入党し、江青との接見を果たした。江青は彼を「角のある石」とたたえ、併せて「私は、この石を使って人を打つだろう」と言った。張鉄生は、入学後当学校の共産党副書記を担当し、1975年には全国人民代表大会常務委員を勤めた。

 文化大革命中、四人組は張鉄生の「白巻」行為を絶賛した。四人組が打倒された後、張鉄生は、1983年錦州市中級人民法院の公判にて、懲役15年の最終判決を受け、1976年から刑期についた。


 文化大革命が終わった後に入獄した張鉄生は15年の刑に服した後、民間でビジネスを始め、禾豊牧業の株主となった。禾豊牧業の株式目論見書は、1993年2月に張鉄生と金衛東(禾豊牧業のオーナー)等四人が20万元を共同出資し、瀋陽市天地飼料工場を立ち上げた。1998年初頭、天地飼料工場は、金衛東傘下の瀋陽禾豊牧業有限公司(禾豊牧業の前身)と合併吸収され、張鉄生は瀋陽禾豊牧業の株10%を得た。

 2011年、禾豊牧業は1株あたり利益0.57元であり、禾豊牧業株の発行価額は約10元で、PER(株価収益率)を市場平均の20倍として計算した場合、張鉄生の所有する株式は3.2億元(約41.6億円)という巨額に評価されることになる。(編集担当:祝斌)