台湾原住民族とは、17世紀ごろに中国から漢人(中国人)が台湾に移り住むはるか昔から、台湾に住んでいた人々を指す。もともとは中国文化の影響を受けておらず、むしろ東南アジア島嶼部の古い文化との共通点が多いとされる。
「中華網」は、「清朝時代には、朝廷は文化レベルと居住地で『生番』、『熟番』に分類した。『高山番』、『平浦番』とも呼んだ」と紹介。つづいて「1895年の甲午戦争(日清戦争)の後、日本が台湾を侵略・占領した(開戦は1894年)。台湾総督府は“蕃課”を設置し、『番』をそれぞれ『高砂族』、『平浦族』と改称した」、「日本軍は高砂族地区に軍と警察を真鍮させ、自然資源を大規模に略奪し、高砂族人民を残酷に搾取した」、「日寇軍国主義の残酷暴虐な統治に対し、高砂族人民は一貫して抗日闘争を堅持し、1945年になって抗日戦争に勝利した」と紹介した。
戦後については「国民政府が台湾に移ったあと、『高砂族』は「高山族』または『山胞』との呼称に改められた」と記述した。
冒頭で紹介した写真には、山間部の道で犬を連れてたたずむ少年4人が写っている。写真上部には「銘々に蕃犬を連れて山見通を走る。彼ら多くは山豚、鹿を捕るのです。武勇を尚ぶ彼らは狩猟が第一の慰安です」との日本語が添えられている。日本統治時代の撮影と思われる。
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上記記事は、日本統治時代を体験した台湾原住民族の人々から聞こえてくる声とはかなり異なる。ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティー』に出演した高菊花(日本名:矢多喜久子/ツオウ族名:パイツ・ヤタウヨガナ)さんは、「将来に希望が持てた」日本統治時代と比較して、国民党統治時代のひどさを強調した。高さんの父は日本式の教育を受けた地元の名士だったが、終戦後も地域の向上のために努力したことで国民党に疑われ、罪状をでっちあげられて拷問されたあげく、死刑になった。
同作品では、漢人も国民党独裁時代のひどさを口々にした。酒井充子監督は、日本統治時代について「(同作品出演者が)美化している面はあると思う。その後の国民党独裁時代がひどすぎたからだ」と説明した。
日本統治下で発生した、日本人と原住民の「悲劇」として最大のものが霧社事件だった。1930年10月に、台湾中部山岳地の霧社でセデック族という原住民族が運動会を襲撃し、日本人約140人を殺害した。日本側は軍も投入し、報復的鎮圧を実施。セデック族は約700人が殺されるか自殺した。
台湾人のウェイ・ダーション(魏徳聖)監督は同事件を題材に映画「セデック・バレ」を製作(2011年公開)。ウェイ監督によると、同作品では「霧社事件」の史実を正しく伝えることに努めたという。
同作品では、日本による台湾統治の目的を「自国のための資源獲得」との見方をしているが、同時に台湾開発のために多くの日本人が努力したことも紹介している。統治、山間部に赴任した日本人警察官は現地の子のために教育活動も行ったが、同作品では「しっかりと学問をすれば将来が開ける」との理想に燃える日本人警察官も紹介している。
また、事件の直接のきっかけは日本人警察官の侮蔑的な態度に誇りを傷つけられたと感じるセデック族が武装蜂起したことだが、魏監督は直接の発端以外に、日本による近代化で、セデック族の生活様式が大きな変更を余儀なくされたことが事件の背景とした。ただし、日本による近代化を「悪」と決めつけていない。
同作品の製作にあたり、魏監督は現地住民に対して、エキストラ出演などの協力を要請した。その時の約束として「事実は事実として描く」、「原住民役には原住民を使い漢人を使わない」、「登場する原住民は中国語でなく原住民語で会話する」だたという。つまり、「セデックバレ」の描写は現地住民も「おおむね史実」と認めており、上記記事のように日本人が「高砂族人民を残酷に搾取」だけという見方は、少なくとも「台湾現地」の見方と異なるということになる。
なお、台湾では日本が「高砂族」という民族呼称を設けるまで、原住民族には「蕃」または「番」の文字を使った呼称が用いられた。清朝時代から「未開の異民族」の意がある「蕃」の文字が使われているが、上記記事は日本だけが「蕃」の文字をつかったかのように記述している。
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◆解説◆
「台湾原住民族」の呼称は、台湾での用語にもとづく。日本では「先住民族」との語が一般的だが、中国語で「先住民族」とすると「以前には存在したが、現在はいない民族」のニュアンスになってしまうため、「もともと住んでいた(そして今も住んでいる)民族」の意である「原住民族」が用いられる。同用語は1980年代からの民主化の流れの中での「原住民権利運動」により広く使われるようになった。
台湾には政府が公認したケースだけでも14の原住民族が存在する。中国大陸側は複数の民族をひとつとして高山族と呼んでいる。中国大陸当局は自国の民族構成について人口の9割以上を占める漢族と、“高山族”その他の55の少数民族から成るとしている。
台湾における「原住民族」の呼称が「元からいた民族。したがって権利を保証せねばならない」との考え方と密接に結びついているのに対し、中国大陸側の「少数民族」の呼称は、人口の多寡に注目した言い方であり、少なくとも用語については権利の問題とは無関係だ。
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台湾が初めて「中国政権」の影響を受けたのは清朝の時代だった。ただし、清朝は台湾統治を目的としていたのではなく、「反清復明」を掲げて清への抵抗を続けていた鄭成功と後継者の政権を撲滅させるために台湾に乗り出した。
そのため、清朝に台湾を「開発」しようとする意図はなかった。福建省などからは台湾に移る漢人が増えたが、清朝は自国民が台湾に永住することを嫌い、女性に対する渡航を禁止した。
清朝が支配していたのは、台湾における小さないくつかの拠点のみで、台湾全島を支配していたわけではなかった。特に原住民族は「化外の民」と称した。
1874年に台湾に漂着した琉球人54人が現地住民に殺害された事件でも、清朝政府は「管轄外」として取り合わなかった。そのため日本は台湾南部に派兵して、原住民を制圧した。
19世紀後半にり欧米列強の中国進出が盛んになると、清朝は国防上の理由から台湾を重視するようになり、1885年に台湾を福建省から分離させて台湾省を新設した。
なお、中国政府は尖閣諸島が古来より自国領だったと主張する論拠のひとつとして明代に編纂された、海洋地図集の「籌海図編」に尖閣諸島の一部の島が記載されていることを挙げるが、同地図集には、台湾の記載はない。(編集担当:如月隼人)
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