中国メディアの環球網は、ベトナムがグエン・タン・ズン首相が同国北部のクアンニン省にある白藤江(バクダン・ザン)の古戦場を遺跡として整備・保護することを決めたと報じた。

 白藤江では、3度にわたり、中国とベトナムの間の激烈な戦争の舞台になった。
938年の「バクダン・ザンの戦い」は、呉朝ベトナムが軍中国最南部を支配していた南漢軍と戦った。南漢軍は船に乗って到来し、上陸しようとした。ベトナム軍は海中に上端をとがらせた杭を打ち込み、海岸近くの森林に隠れて待ち構えた。

 満潮時に小舟を囮に出して、中国側の軍勢を引き寄せた。伏兵の出現に驚いた南漢軍は船で脱出しようとしたが、干潮になっており杭が船底を次々に突き破ったという。

  ベトナムでは同戦いの勝利が「ベトナムが独立し、自主的に発展することになった発端」とされているという。

 第2回目の「バクダン・ザンの戦い」は981年に発生した前黎朝大越(ベトナム)軍と北宋軍との戦い。ベトナムは緒戦で大敗したが、持久戦に持ち込むことに成功した。戦局はベトナム側に有利に展開しはじめ、北宋軍は陣内で疫病が流行するなどもあって撤退した。

 第3回目の「バクダン・ザンの戦い」は1288年に発生した、陳朝ベトナム軍と元軍との戦い。フビライ・ハーンの派遣軍は、それまでのベトナムに敗北しており、新たに指揮官に任じたトゴン将軍に「小国だからと甘く見てはいけない」と念を押した。

 元軍は進撃を続けた。
ベトナム側は各先頭「かなわない」と見ると退却したが、元軍の糧船の多くを沈没または強奪するなどで、苦しめた。バクダン・ザンでは938年の戦法と同様に、水中の杭と囮の小船、伏兵を用いた。さらに、火をつけたいかだを流すことで、元軍船を炎上させた。

 「バクダン・ザン」はベトナム人にとって、中国の侵略を撃退した「民族の栄光」を具現した土地と言える。同国政府は800億ドゥンの予算を計上して、2020年ごろまでに施設と生態の整備を行う。旅行地としても利便性を向上させ教育目的でも利用しやすくするという。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF。ベトナムの海岸風景と民族服の女性)


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