少年は4歳の時、非ホジキンリンパ腫という病気を発症した。一家は農村部に住んでいた。その時、現金収入に乏しいので父も母も、こどもの教育費用をためようと、故郷を離れて都市部で仕事をしていた。詳しくは伝えられていないが、農村部出身者が都市部に行っても、清掃作業や工事現場の作業員など、日本風に言えば「3K(きつい・きけん・きたない)」と言った、割のよくない仕事しか得られないことが一般的だ。故郷に残った祖父母が、孫の面倒を見ることがおおい。
ある程度は余裕ある生活ができるようになるはずだったが、少年の発病で状況は暗転した。医者は、骨髄移植を提案した。しかし、貧しい一家にとって、費用がかかる骨髄移植を受けさせるのは極めて難しい。両親は、投薬治療を求めた。父親によると、薬の副作用で息子が苦しむ様子を見ているのは、本当につらかった。
骨髄移植で病状は大いに改善した。父も母も安心した。ところが12歳になったとき、少年の首の部分に大きなこぶができた。病院で診察を受けたところ、非ホジキンリンパ腫の再発と分かった。
7年間の治療で、それまでに貯金した30万元(約521万円)は使い果たしていた。しかし、息子の病状はよくない。父と母は病院で、付き添うことにした。少年は化学療法を6回、手術を1回受けた。2014年9月には治療が終了。ようやく健康を取り戻せた。
ところが2015年12月、また発症してしまった。医師に「この病気を根本的に治せる可能性があるのは、骨髄移植しかありません。化学療法では再発する可能性が大きいのです」との説明を受けた。
病院側は、化学療法を続けて、病状が改善したら骨髄移植をする治療計画を作成した。両親は何も言わなかったが、治療のために借金を重ね、新たな借金のできるあてはない。骨髄移植を受ける金策は無理だ。
その晩、病室で息子に付き添っていた父親は眠れなかった。ずっと考えていた。見ると、息子も眠っていなかった。父親の方を見ていた。
息子は長い間、何も言わなかった。そして消え入りそうな声で「おとうさん。ボク、死にたくないよ。生きていたいよ。学校に戻って授業に出たいよ」と言ったという。
父親によると、息子に「それはできない」などと言うことは、とても言えなかった。そして、息子があんなに頑張っているのに比べて、自分はなんとだらしないのかと、心から恥ずかしく思ったという。
父親によると、「再び学校に行く」という息子の夢をなんとかかなえてやりたいが、新たに借金をするのは本当に難しい。本当に、どうしてよいかわからないという。
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中国では、治療費が払えないために、病院を出て自宅に戻り、死を迎える人が相当数いる。
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