記事は、1955年ごろの日本国内の様子を撮影した写真をいくつか示した上で「感慨を覚えるのは、当時日本は敗戦からわずか10年の時間しか経過していないにもかかわらず、すでに戦争の陰影から完全に抜け出し、国力を日一日と高めており、まさに発展の黄金期を迎えていたことだ」とし、45年に無条件降伏した敗戦国の面影は微塵も感じられないと伝えた。
そして、横須賀の街並みを撮影した写真では、道路がきれいに保たれていること、工場の出勤風景が活気にあふれていることを紹介。また、東京の繁華街からは「戦争で失敗した暗い影は全く見られず、大量の自動車が行きかっている」ことが分かるとしたほか、書店に本を求めて多くの客が訪れる様子に「当時の日本の経済発展状況を推察することができる」とした。
記事はその上で、53年から79年までの日本における工業の年間平均成長率が10.9%に達し、同じ時期のドイツの5.7%、フランスの4.2%、米国の4%、英国の2.5%をはるかに上回るペースを記録したと紹介。特にのちの長期的な高度成長を生んだ50年代の発展は、米国による援助が不可欠だったとし、49年から51年にかけて米国が「占領地域救済基金」、「占領地域経済復興基金」といった名目で日本に対して23億米ドル規模の融資や物資を提供したと伝えた。
また、50年6月勃発した朝鮮戦争による特需も、日本の産業を活気づかせるきっかけの一つになったとし、「このような天賦の好機が、日本経済を飛躍的な発展に導いたのだ」と論じている。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
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