「兄貴が持ってくる事業は必ず研究途中で膨大なお金が発生しちゃうんですよ」と語る猪木啓介さんと遺品の赤いネクタイ
アントニオ猪木について書かれた本は山ほどあるが、猪木家の末弟・猪木啓介氏が書いた『兄 私だけが知るアントニオ猪木』は、肉親ならではの距離感と視点で"等身大のアントニオ猪木"を描いた一級資料だ。
感情的になりすぎず、クールな語り口で、実弟が猪木の素顔を明かしているのだから、格別のおもしろさである。
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――この本を読むと、知らなかった情報がどんどん出てきて驚きました。まず、猪木家がブラジルに移住した理由について、生前の猪木さんは「家業が傾いたから」と語っていましたが、真実はそうではないんですか?
啓介 拓殖大学貿易学科出身の長兄・寿一が「海外に出たい」と言い出したんです。そして、寿一を最もかわいがっていた祖父の寿郎が「一緒についていきたい」と言い、「じいさんが行くんだったら皆で行こう」という話になったんです。
――初めて知る情報といえば、「新宿伊勢丹襲撃事件」が起きた経緯も驚きでした。結婚する啓介さんのために、(当時猪木の妻だった)倍賞美津子さんが「必要なものがあるでしょう」と皆で伊勢丹に出かけたら、日常をブチ壊すようにタイガー・ジェット・シンが襲撃してきたという。事件後、新間寿さんは「なんで助けに入らなかったんだ!」と啓介さんを怒ったそうですね(笑)。
啓介 いや、助けるどころじゃないよね。あんな体のでっかい人たちが暴れてたら(笑)。
――本の中で、啓介さんはこの件を深く考察されています。シンは狂虎のイメージを定着させたけれど、実はあの事件を"つくった"アントニオ猪木のほうが狂気を持っていた、と。啓介さんはシンが襲ってきた時点で「兄貴の狂気はすげえな」と思ったわけですか?
啓介 全然思いません。そんなのわかってなかったし。
――また、この本にはアントン・ハイセル事業についての詳細も書かれていました。プロレス界だけに安住せず事業を展開し続けたアントニオ猪木の生き方についてはどう思いますか?
啓介 兄貴が持ってくる事業は必ず研究途中で、出来上がったものじゃないんですよ。だから、研究のために膨大なお金が発生しちゃう。
アントン・ハイセルをスタートするとき、僕は「2億円規模で始めて徐々に大きくしていこう」と言ったら、「てめえ、この野郎。肝っ玉小さいこと言いやがって。40億だ!」って、人がいっぱいいるレストランで怒られてさ(笑)。
ただ、ハイセルをきっかけに始めたブラジルでの事業は、一時期すごく調子良かったんです。アガリクスという健康食品が飛ぶように売れて。
なのに、「そんな田舎に閉じこもってないで、日本に来い!」と手伝わされたのが、永久機関。で、帰国して調べてみたら案の定、ダマされてるの。そのとき、もう3億円くらい使わされててね。
――ファンも「猪木さん、また始まったか」と思いました(笑)。
啓介 完成発表会見でお披露目に失敗したとかもあったんでしょ? そのとき、僕はブラジルにいたから知らないのよ。だけど、その後自分もスケベ根性出して日本に戻ってきたからいろいろやってね。
だから僕、発電機つくれるんです。アントン・リブだってレシピは僕が作ったから。料理うまいんですよ、僕(笑)。本当、兄貴のせいでいろんな勉強をさせられました。
――啓介さんだけでなく、アントニオ猪木に尽力した人は多いですよね。新間寿さんや永島勝司さん、上井文彦さんといった歴代の側近たちについて、啓介さんは「兄貴の寵愛を受けた人間は必ずと言っていいほど増長して『私あってのアントニオ猪木なのだ』と錯覚してしまう」と評されました。猪木さんは、そんな側近の人たちの振る舞いをどう思っていたのでしょう?
啓介 やっぱり喜んでいたわけじゃないと思いますよ。でも、中には新間さんのことをすごくおだてる人がいたわけじゃないですか。
そうして、だんだんと自分が主役みたいになっていくわけだから。
――晩年の猪木さんをサポートした存在として、"最後の妻"橋本田鶴子さんもいます。
啓介 兄貴は優しくしてくれる女性にちょっと弱いんです。特に、橋本さんは何から何まで全部やってくれて、兄貴にとっては天使だったでしょうね。
でも、女性としては見ていなかった。それは僕だけじゃなくほかの人にも言っています。「あんまり好きな女性じゃない」って。
――え、猪木さんがですか?
啓介 言ってる。いろいろやってくれるから文句は言わないというだけ。でも、彼女は「アントニオ猪木はすべて自分のもの」と勘違いして、周りにひどいことを平気でしてね。
――猪木さんに田鶴子さんを紹介したのは、永島さんだと聞いたことがあります。
啓介 僕も永島さんから聞いた。でも、彼が兄貴に電話しても橋本さんに邪魔されてつながらないようになったって。だから、「一番悪いのは永島さんだよ」って本人に言ったよ(苦笑)。
――猪木さんは、ずっと美津子さんが好きだったんじゃないかという気がするんですよね。
啓介 そう思います。倍賞といたときはいつも明るかったよね。
――この本を読んで、泣いてしまった箇所があるんです。娘の寛子さんが、火葬されてお骨になった猪木さんを見せたら「やっぱり私の元に帰ってきたのね、アントン」と美津子さんが語りかけた場面。プロレスファンからすると、あのふたりこそベストカップルでした。
啓介 僕もそう思ってた。ええと、何かの用事でラスベガスに行ったときだったかな? その帰りにビバリーヒルズへ食事に行くと、「啓介!」って呼ぶ人がいるのよ。
「こんな所で俺を呼ぶ人はいないはずなのに、誰だ?」と思ったら、倍賞だったわけ。
――離婚後、ふたりが偶然再会したなんて運命的ですね......。最後に、啓介さんにとってアントニオ猪木はどんな兄でしたか?
啓介 すごく優しい兄貴でした。いろいろなことを勉強させられて、普通の人では味わえない......いろんな苦労も当然ありましたけど、兄貴のおかげでたくさんのいい経験をさせていただきました。本当に感謝しかないです。
■猪木啓介(いのき・けいすけ)
1948年生まれ、神奈川県出身、東京都在住。猪木家の末弟として横浜市に生まれる。1957年、一家でブラジルに移住し5歳上の兄・寛至(アントニオ猪木)らと農園労働に従事。1971年に帰国し、翌年旗揚げされた新日本プロレスに入社。営業を担当する傍ら「アントン・ハイセル」などブラジル関連事業に携わる。闘病生活を送ったアントニオ猪木の晩年を支え、その最期を看取った
■『兄 私だけが知るアントニオ猪木』講談社 1980円(税込)
アントニオ猪木がこの世を去って2年半――。これまで沈黙を貫いてきた実弟・猪木啓介が、「人間・猪木寛至」のすべてを明かした一冊である。

『兄 私だけが知るアントニオ猪木』講談社 1980円(税込)
取材・文/寺西ジャジューカ 撮影/鈴木大喜