「ノーザンファーム育成時代は、気が付けばご飯を食べるのを丸一日忘れるくらい、仕事と乗馬技術を磨く練習に没頭している時期もありました」
 そう語ってくれたのは、かつてノーザンファーム空港の育成部門で調教スタッフとして働いていた阿部タマミさんだ。現在は運送業界に飛び込み、大阪で20トントレーラーを運転しているという。


競馬界出身の28歳女性が「20トントレーラー運転手」に転身し...の画像はこちら >>
 特殊な経歴を持つ彼女に、競馬界で学んだことや、20トントレーラーのドライバーになった理由について聞いてみた。

18歳で競馬界に飛び込んだときの苦悩

 ノーザンファームといえば、「世界に通用する強い馬づくり」をモットーに、サラブレッドの生産などを手掛ける世界屈指の牧場。ここ10年だけでも、アーモンドアイ、イクイノックス、ドウデュースなど数多の世界的名馬を輩出している。

競馬界出身の28歳女性が「20トントレーラー運転手」に転身したワケ「街中を走っているとビックリした顔で見られます」
ノーザンファーム時代のタマミさん
 ノーザンファーム空港は、主にノーザンファームで生産された1歳馬の馴致から調教を行う育成部門。タマミさんは入社2年目にシロニイという白毛馬を担当し、ダノンキングリーミスターメロディ(生産は海外だが、ノーザンファームで育成)、ノーヴァレンダといった、のちのG1勝ち馬にも調教で跨っていた。

 群馬県で生まれ育ったタマミさんが初めて馬に興味を抱いたのは8歳の頃。気付いた時には乗馬クラブに通い始め、中学では学校のテニス部と掛け持ちをしていたという。

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8歳のときから通っていた群馬県馬事公苑にて
 さらに埼玉県の私立高校に越境入学した際は、廃部になっていた馬術部を自ら復活させ、3人の部員とインターハイ出場も果たした。

 そんなタマミさんが高校卒業後に就職したのがノーザンファームである。

「高卒でノーザンファームに就職し、最初は男馬(オス馬)の厩舎に配属されました。もともと乗馬は得意だったのですが、若い男馬のパワーは物凄くてコントロールするのが大変で……。自分は男の人に比べると非力なので、最初の1年くらいはよく振り落とされていましたね。男の人に力で勝てないなら技量を磨けばいい。
そう思ってからは昼食も取らずに隣接する施設で乗馬の練習に行き、午後も仕事終わりに乗馬の練習をするなど、ひたすら練習を続けていました。今でも北海道を訪れた際にかつての上司に会うと『あそこから這い上がる力は本当に大したもんだ』と笑ってくれます」

2頭のサラブレッドとの運命的な出会い

 血のにじむような努力を重ねたタマミさんは、ノーザンファーム空港で2頭のサラブレッドと運命的な出会いを果たす。重賞も勝っていた当時現役のクルーガーと、引退後にノーザンファームで乗馬として余生を過ごしていたデルタブルース(04年菊花賞 1着、06年メルボルンC 1着)の2頭だ。

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ノーザンファーム時代のタマミさん
 クルーガーとデルタブルースに共通していたのは、オーストラリアで活躍した実績があること。タマミさんは、日本とは違い多くの女性が活躍するオーストラリアの競馬に興味を持ち始め、次第に海外を志すようになる。

 入社から6年以上がたち、育成スタッフとして充実した日々を送っていたタマミさんだが、タイミングを見計らって当時の上司に競馬留学をするために退職する意思を伝えた。しかし、当時は新型コロナウイルスが世界を混乱に陥れていた2020年頃。結局、その後も1年ほどはノーザンファームで働き続けたという。

「しばらくは“ヤメルヤメル詐欺”のような状態になりました(笑)。でもコロナ禍が収まりかけたので、最終的には円満退職して、オーストラリアに行く準備を始めたんです。でもその直後に今度はオミクロン株が流行してしまって……。結局、退職後も半年ほど日本に足止めを食らってしまいましたね」

オーストラリアでも競馬の世界に

 そして半年ほどたったところで、ようやくオーストラリアへの渡航許可が下りた。

「オーストラリアには1年ほど滞在するつもりでした。時間も限られているので、現地で吸収できることは何でも吸収しようと。
最初はメルボルンカップの開催地で知られるフレミントン競馬場で、名門ダニー・オブライエン調教師のもと、トラックライダー(調教助手)として半年ほど働きました。

フレミントン競馬場は都市部にあり、競馬場から高いビルや観覧車などが見えます。それが早朝の調教時、夜景から朝焼けで照らされてキラキラと光るのがとても好きでしたね」

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フレミントン競馬場時代に撮影した写真


馬乗り修行に終止符を打つことに…

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オーストラリア時代のタマミさん
 日本とは全く別世界の競馬に魅せられたタマミさん。現地では多くの人や日本では考えられないカルチャーとの出会いも果たす。

「オーストラリアは多国籍文化のため、競馬場で働く人たちも非常に国際色豊かです。言語や考え方、ライフスタイルも本当に様々で、早朝は競馬場で競走馬に乗っている女性が実は子育て中のお母さんだったり、医学部の学生だったり、まさに老若男女が入り乱れていました。そんな環境でスタッフが現場を仕切り、馬の管理を含め現場スタッフをまとめて引っ張っていたのは私よりも若い女性。男女関係なく活躍できる環境は新鮮でした」

競馬界出身の28歳女性が「20トントレーラー運転手」に転身したワケ「街中を走っているとビックリした顔で見られます」
バララット競馬場時代の一枚。オーストラリアではレース後の馬の筋肉をほぐす意味で「湖調教」や「海調教」が名物とのこと
 そしてタマミさんが後ろ髪を引かれる思いでオーストラリアを離れたのは2023年の夏。実は前年の夏に調教中の落馬事故で腰椎を骨折してしまい、数か月間の療養を余儀なくされていた。

「3ヶ月ほどで馬に乗れる状態まで回復しましたが、周りにも大ケガをしたライダーや残念ながら亡くなってしまったライダーがいました。私自身もいつか馬に乗れなくなる可能性があるなら、大きなケガをする前にここで馬乗りの修業にいったん終止符を打とうかなと。まだ体力も気力もある20代のうちに、他のことも挑戦しておきたいと考えるようになりました

「20トントレーラー」を運転することになったワケ

 そして日本に帰国後、タマミさんが行き着いたのは、思わぬ乗り物だった。

「なんとなく大型の乗り物に乗りたい気持ちがあり、帰国後に『大型一種免許』や『けん引免許』などを取得しました。その後、運送業者の募集を見つけて応募したことがきっかけで、今は大阪で20トントレーラーに乗っています」

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20トントレーラーを乗りこなすタマミさん
 馬と離れ、運送業者に飛び込んだタマミさん。
通常は普通のトラックから乗り始めるようだが、タマミさんは入社していきなり20トントレーラーに乗ることになったようだ

「話を聞く限りでは、大半のドライバーさんは小さいトラックからスタートして、中型トラック、大型トラックと順序を経てトレーラーに行き着くのですが、私はそれを全部すっ飛ばして未経験から全長16メートルもある20トントレーラーを運転することになりました。私、大型や中型の運転の癖がなかったのが逆によかったみたいです。上司がそれを見抜いて大型に乗るきっかけをくれたので、とても感謝しています。前例もほぼないようで、実際、拠点先で他のドライバーさんたちからはドン引きされますし、大阪の街中を走っていても人からよくビックリした顔で見られますね(笑)」

馬と車、乗るときに共通している“意外なこと”

競馬界出身の28歳女性が「20トントレーラー運転手」に転身したワケ「街中を走っているとビックリした顔で見られます」
今後は大型二輪免許を取得する予定とのこと
 さらに、馬に乗っていた経験が今の仕事に思わぬ形で生きているという。

「馬と車に乗ることは、全然違うようで結構似てるところがあるんです。たとえば体全体でバランスを取る感覚とか、外の景色をみながら五感を使って情報を感じることとか。馬に乗ってきた経験があったから乗り物に対する抵抗もなく、トレーラーの運転もすんなり入っていけたのかもしれません(笑)。ただ、馬と違って遥かに高い目線で遥かに巨大な車体を動かす感覚を磨かないといけないので、それはまた違った勉強になります」

 馬やトレーラーなど、さまざまな乗り物を乗りこなしてきたが、次なるターゲットもすでに見つけているようだ。

「大型二輪の免許を取りたくて、休日に教習所に通っています。順調ならもうすぐ取得できる予定です。いずれスズキのハヤブサに乗りたいと思っていますが、そのために今は貯金をしています。そして人生の最終目標は飛行機を操縦することなんです
オーストラリアで知り合った友人と一緒にオーストラリアで操縦士の免許を取る約束をしています(笑)」

馬たちが教えてくれた「無限の可能性」

 取材中も終始、明るい笑顔で答えてくれたタマミさん。側から見ると型破りにも見える阿部さんの生き方だが、28年の人生を振り返って、最後にこう語ってくれた。

「ずっと男性社会に身を置いてきたため、周りから『女性はやめておいたほうがいいんじゃない?』なんて言われることもありました。トレーラーも大型バイクもそうです。でも私にとっていつもそこにあるのは自分との闘いで、最初はできなくても、常に技術を磨いていくことが本当に楽しいんです。これまで乗ってきた馬たちが教えてくれたように、自分の心持ち次第で自分自身に無限の可能性を与え続けられると思っています

 情熱に従って学ぶことを楽しむ。白雲自在に生きる情熱のタマミさんなら、いつか飛行機をも超える意外なモノを乗りこなしているかもしれない。

取材・文/中川大河

【中川大河】
競馬歴30年以上の競馬ライター。競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。競馬情報サイト「GJ」にて、過去に400本ほどの記事を執筆。
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