納棺師歴18年のベテランが、なぜこの仕事を選び、どんな想いで亡き人と向き合っているのか。
納棺師の仕事とは?
納棺師と芸人とを行き来しながら独自の道を歩む「おくりびと青木」さんは、福島県の葬儀社に生まれた。高校卒業後、神奈川県内の葬儀専門学校に進学。並行して松竹芸能の養成所にも通い、納棺師と芸人、2つのキャリアを同時にスタートさせた。「小さい頃から葬儀の手伝いをしていたので、専門学校に入った時点で、ご遺体を見たり、触れたりすることへの抵抗感はありませんでした」
ご遺体を生前と同じような状態に整えるのが納棺師の仕事だ。髪をとかし、お化粧を施し、衣服を着せ替える。必要があれば傷の処置をすることもある。
一番の目的は、ご遺族が少しでも安らかな表情の故人とお別れができるようにすること。生前の面影を残した姿に接することで、遺族からは「いい顔してるね」といった言葉がこぼれるという。
「おだやかなお別れの時を過ごされる様子を見ると、この仕事をしていてよかったなと思います」
東京と地方で違う送り方

「地方では昔ながらの葬儀文化が根強く残っていて、ご家族が旅支度(仏衣などを身につけ、来世へ旅立つ準備を整えること)を手伝ってくださったり、故人との最後の時間を本当に丁寧に過ごされます」
一方、東京のような都市部では葬儀の形が簡略化し、火葬のみですませるケースが増えている。
「若い世代が増えた都市部では、葬儀の意味や作法に馴染みがないのでしょう。コロナ禍では、なるべく触れない方がいいという考えも広がり、葬儀の形がさらに多様化しました」
家族の形や事情により、遺族が葬儀に参加しない場合も。
「独居老人や生活保護を受けている方の場合、市や区の職員と葬儀社だけで見送ることもあります。また、ご遺族がいても『もう縁を切っているので』と、病院関係者と葬儀社だけで行うケースもあります。それぞれに事情があるのは理解していますが、やはり少し寂しさを感じてしまいますね」
死後の服は“コスプレ”でもOK

「昔は、葬儀社が用意した白い単衣や足袋などを着せるのが一般的でしたが、最近は故人の趣味や個性を反映した服を希望されることが増えています」
若い人なら洋服、仕事一筋だった人なら作業着など、時にはコスプレ姿で送られることもあるそうだ。故人らしさを大切にするという意味では、今の時代らしい流れかもしれないが、悩ましい場面に直面することもある。
「ある時、お顔を見て女性だと思っていたら、実はお体は男性だったんです。お化粧をする際、女性らしく整えるべきか、男性向けにするべきか悩みました。
でも、ご遺族に直接聞くのは失礼だと思い、生前に着用されていたであろう服やお名前などから推測して女性らしいメイクを施したところ……ご遺族の希望と異なっていたらしく、お叱りを受けてしまいました」
一番つらいのは若い命
時代の変化以外にも、頭を悩ませる場面は多い。そのひとつが、亡くなってから時間が経過しているご遺体への対応だ。「時間が経つと、どうしても状態が悪くなってしまいます。処置にも時間がかかりますし、必ずしもきれいに整えられるとは限りません」
また、事故などで身体に大きな損傷を負っている場合も同様だ。どちらのケースも、可能な限りの手当ては行うが、生前のような姿にまで戻すのはやはり難しい。
「遺族の方への説明も、すごく気を遣います。期待を持たせすぎてもいけないし、でも冷たく言いすぎても傷つけてしまう。
どんなケースよりも心が痛むのは、子どものご遺体に向き合うときだ。
「精神的に一番つらいのは、やっぱりお子さんですね。何歳でも人の死は悲しいけれど、小さなご遺体を前にすると、やるせなさが込み上げてきます」
納棺師の職業病?「祖母が亡くなっても涙は出なかったけど……」

「実家で一緒に暮らしていた祖母が亡くなり、僕が納棺を担当しました。悲しさや寂しさはありましたが、不思議と涙は出てこなかったんです。その時に、『もしかして、親や兄弟が亡くなっても泣けないんじゃないか』と自分の感情が心配になりました」
青木さんが最後に涙を流したのは、約3年前。ひとりの人間として深く傷ついた時だった。
「当時の彼女に浮気されて、振られたんです。結婚の話もしていたので、すごくショックでした………(笑)」
納棺師という仕事が“生”を意識させる
納棺師は「死」と向き合う仕事だが、いつの間にか「生きること」について考えるようになっていたという。「ご遺体と向き合い、ご遺族と接するなかで、残された方々の後悔や想いを垣間見ることがあります。“もっと話しておけばよかった”“あのとき、ああしてあげればよかった”——そんな言葉を、これまでに何度も耳にしてきました」
人は、いつ突然命の終わりを迎えるか分からない——。
その現実を身をもって知っているからこそ、青木さんは「やりたいことはやる」「思ったことは言葉にする」ことを大切にしている。
「当たり前のようですが、魂が抜け、ご遺体となった瞬間に動くことも、話すことも、食べることさえもできなくなってしまう。そう思うと、五体満足で動けること、誰かと話せること、美味しいものを食べられること……全部が“生きている喜び”だと感じます」
青木さんにとっての幸せとは、そんな何気ない日常にこそある。
「温かいお風呂に入ることとか、ふかふかの布団で眠れることとか。1日の疲れを取って『気持ちいいな』と思えるだけで十分幸せです。そういう生きてると感じる瞬間を、これからも大切にしていきたいですね」
納棺師芸人としての葛藤

「よく、『おくりびとのネタがあるんでしょう?』と振られます。確かにフリップを使った葬儀の雑学ネタはあるんですけど、説明が多くて話が長くなりがちなので、即興ではやりにくくて……。それにウケるとか滑るとかではなく、『へー』って言われます。不思議な空気になるので、正直僕の方が戸惑ってるかもしれません」
また、葬儀関連の専門業者と勘違いされることも。
「“おくりびとをしてる青木さん”と思われる方がけっこういます。そういった方は、テレビで僕を知って、後にSNSで芸人だと知るようです(苦笑)」
納棺士芸人として気を付けていること
そんな「おくりびと芸人」として活動する青木さんが、常に意識していることが2つある。「イジったり、バカにするような表現は絶対にしません。
そこには、笑いを届ける芸人としての本能と、死に向き合う納棺師としての責任、その間で揺れる葛藤がある。
「芸人としては、何でも笑いに変えたい気持ちがあります。でも、内容によっては笑いにできないことも多いんです。テレビ番組でも、『真面目に話してほしい』と言われることもあれば、『もっと明るく』と求められることもあります。どちらにも応えたいけれど、この辺りのバランスをとるのは難しいですね」
最後に今後の目標について聞くと、こんな想いを語ってくれた。
「お葬式と聞くと、『悲しい』『寂しい』『暗い』といったイメージをされがちですが、全部が全部そうじゃないんです。中には、『明るく送りたい』というご遺族もいます。葬儀には、本当にいろんな形があるんですよ」
まだまだ世間に知られていない納棺師だからこそ、その現場のリアルを、芸人という立場から伝えていきたいという。
「だから、あえてポップに伝えることも大事だと思っています。お葬式の世界をもっと身近に感じてもらえたら、それだけで意味があるはずです。僕がおくりびと芸人として発信する意味も、そこにあるんじゃないかと思います」
<取材・文/安倍川モチ子>
【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。