私事ですが、本日母の手術に立ち会いました。がん転移の疑いが発覚したためです。
ここ数日は仕事も手につかず、集中しきれない日々が続いていましたが、不思議と母が手術室に入って以降は、霧が晴れたかのように頭が冴えわたり、溜まっていた原稿仕事がどんどん片付いていきました。
プロに任せたのだから、あとは泣いても騒いでも仕方がないと、腹をくくったのでしょう。
切迫した状況で「集中して受験勉強に取り組んでいた」日々
そう考えると、私の学生時代のことが思い返されました。東大を目指して受験勉強に励んだ18歳の秋のある日に、母の乳がんは発覚しました。予断を許さない状況でしたが、当時父は会社を辞めたばかりの無職であり、毎日日雇いのアルバイトで稼がざるを得なかったため、入退院や手術の付き添いは全て私の担当に。
抗がん剤の影響で足腰が立たなくなり、でもあまりの貧乏さにタクシーを拾うこともできず、結局いつもは片道10分で済む道を1時間半もかけて歩いたことを、今でも覚えています。
それでも、毎日受験勉強には集中して取り組めており、「家族や家庭が心配で勉強が手につかない」なんて日は、一日たりともありませんでした。
当時のことを話すと「そんな状況で受験勉強に集中できるなんて」と驚かれます。時には純粋な賞賛として、そして時には「家族が大変な時にも家庭を顧みない、血も涙もない勉強マシーン」への皮肉として。
確かに、そう捉えられるのも不思議ではありません。我ながら、あまりに現実離れしていて、脚色された武勇伝めいたものを感じてしまいます。ですが、本当に当時は目の前のことだけを考えていたし、家族を心配しつつも、勉強から心が離れることはなかった。
これこそが、私の仕事の速度が速くなった秘密かもしれません。すなわち、私は「考えなくてもいいことを考えない」ことで、脳のメモリを空けたのです。
考えても無駄なら考えない
みなさんは、2つ以上のことを同時に考えられますか? いわゆるマルチタスクですが、最新の研究によれば「マルチタスクをすると、能率が下がる」そうで、やはり一意専心こそが、集中のコツのようです。私が集中できたのは、きっと「勉強」や「仕事」などに集中したのであって、それ以外のことを全く考えなかったから。では、なぜ考えなかったのかといえば、「考えても無駄」だとわかっていたからです。
私がいくら心配しても、母の容体はよくなりませんし、手術がうまくいく作用が働くわけでもありません。もっと言えば、父の仕事が安定するわけでも、具体的な収入がアップするわけでもない。
私が考えたとしても、それで何の事態も好転しないのであれば、それはやるだけ無駄であり、なんなら頭がつかれて効率が落ちるだけ損でしょう。
もちろん、人間なのだから心配で頭がいっぱいになる気持ちもよくわかります。ただ、それはあまりにもプロを舐めすぎている。
私よりも何倍も人体の構造に精通している医者が「これは切るべき」と判断したならば、きっと「切ったほうが生存確率が高い」のでしょう。もちろん医療事故や診断ミスもあるでしょうが、素人の我々が勝手に判断するよりは、ずっと信用のおける判断のはず。
本当に頭が良い人の特徴
つまり、専門的なことはプロに任せるべきで、素人の我々は、ただ専門家を信用するしかできないのです。そのために、各職業の職掌は絞られているのであり、「プロ」であるからお金をもらうに値する仕事ができるのでしょう。
我々にできるのは、その専門家が信用できるかどうか人を見極めるまでで、それ以上の専門分野については、立ち入らないほうがお互いにとってよい。
私は、これまで様々な「頭の良い人」を見てきましたが、彼らに共通する特徴が「考えるべきことを絞っている」ことでした。
自分が考えなくてもよいことや、考えても無駄なことについては初めからないものとして扱って、本当に考えるべき問題だけにリソースを100%注いでいる。だからこそ、ひとつひとつの仕事を終わらせる速度やクオリティに差が出るのでしょう。
あえて問題を無視するコツ
「考えなくてもよいこと」を見抜く一つの方法は、「自分が○日(○時間)努力をして変わることか」を考えるといいかもしれません。例えば、母の病気に関しては、私が2年~3年程度勉強すれば医学部に入れるとして、そこから順調に医者になるルートを進んでも、自分で解決する力を手に入れるまでに最短で10年~15年はかかります。これでは間に合わない。
父の仕事や家計についても、とりあえずアルバイトや就職をして稼ぎを得ても、貰える額は精々20万に届けばいい方で、それでは家族3人を養うにはほど遠い。
であれば、私が本当に行うべきは、「自分のやりたいことに全力投球すること」であり、それ以外のことは全て無駄だと切り捨てられます。
6月は祝日が1日もなく、梅雨も重なって仕事に集中できない日々が続く方も多いのでは。一度、自分の手に負えない問題は、無視してしまうと心が楽になるかもしれません。
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。