―[貧困東大生・布施川天馬]―

 みなさんは「素数」がどんな数か説明できますか?
 私は素数と聞くたびに、『ジョジョの奇妙な冒険』第六部に登場するプッチ神父が素数を数えて平静を取り戻そうとする様子を思い出します。

 彼曰く「素数は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字」であり、彼に勇気を与えてくれるからだそう。


 さて、「1,2,3,4,5,6,7,8,9の中で、素数だけを選んでください」といわれたら、みなさんは正しく選べるでしょうか?

「1,2,3,4,5,6,7,8,9の中で素数だけ選べ」中学...の画像はこちら >>
 ヒントは、先ほどのセリフにもあったように「1と自分の数でしか割ることのできない数字」ですよ。

中学3年生の約7割が「素数」の意味を知らない

「1,2,3,4,5,6,7,8,9の中で素数だけ選べ」中学生の7割が誤答。全国学力調査で見えた“いまの子ども”に足りない力
答え
 答えは、2,3,5,7の4つ。

 1を選んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、1は1でしか割ることができず、「1と自分の数」の2つの数で割れないため、素数の条件を満たしません。

 この問題、実は先日行われた全国学力調査で中学3年生が解いたところ、正答率が驚きの32.2%だったそう。無回答率は0.7%。100人いたら、30人程度しか、「素数」の意味するところを分かっていないことを示します。

「生きる力」を重視するあまり、本当に大事で基本的なものを忘れてしまっているのではないでしょうか。

 今回は、基礎学力調査で明らかになった「忘れ物」に迫ります。

国語で正答率がガクンと下がる問題

「展示する作品は、どれもカイシンの出来だ」とあったとき、「カイシン」に当てはまる漢字として正しいのは、次のどれでしょうか?

①会心
②改心
③改新

 答えはもちろん①「会心」ですが、この問題も正答率は低く、35.7%しか正しい漢字を選べていません。ちなみに、無回答率は0.2%でした。

 さらに、国語の問題を追っていくと、40~60%程度の正答率が多い中で、ガクンと下がる問題に突き当たります。記述式の問題です。

 国語では全4問の記述問題がある中で、正答率は一番高いものでも31.2%。

 無回答率もほかの問題よりも高く、27%の生徒が無回答で提出している問題もあります。


 時間的な制約もあるでしょうが、そもそも「書く」ことが選択肢よりもハードルが高いため、手が遠のいている可能性があります。

 それぞれの記述問題は自由記述ではなく、テーマや条件が付帯しています。これらの制限を満たしている文章が正解となりますが、無回答率が1桁パーセントでありながら正答率が低いということは、「条件を満たせていない」もしくは「文法的に誤っている」など求められた答えとは異なる文章を出力していると読めます。

なぜ7割の中学生が記述問題を間違えるのか

 つまり、単純に文章が読めていない。

 文章力については様々要因があるでしょうが、ひとつは言葉の知識の欠如が大きいのではないかと私は考えます。単語や熟語など、パーツ単位の知識はもちろんのこと、一般常識的な知識・教養が欠けているように見えるのです。

 私が高校2年生だった時のことです。当時生徒会長だった私は、新入生向けの歓迎の辞を作成しましたが、その中で「杞憂に終わる」と書きました。

 私の中では一般常識にもほどがあると考えてのことでしたが、周りの同級生たちは誰も「杞憂」の意味を知らず、結局書き直すことに。ただ、高校生にもなって「杞憂」の2文字すらも知らないで、どうやって文章が読めるようになるのか、と疑問に思ったものでした。

 いま「詰め込み教育」は、親の仇のように扱われています。確かに、目的も与えずに知識をひたすら詰め込むことに意味はない。とはいえ、それは目的がないから問題だったのであって、「知識がある状態」自体は、良いものだったはずなのです。


 よく「地頭が良ければ~」とか「知識だけあっても~」などと、まるで思考力のほうが知識よりも優先するかのような物言いをされる方がいらっしゃいますが、本当に辟易します。

 地頭を現場で作業する能力とするならば、知識は建設資材です。どんなに技術があっても、道具がなければ人は働けません。

「思考力」という甘い言葉に惑わされるな

 本来、「思考力」とは、最低限の知識があって初めて活きるものであり、いたずらに思考力だけを追い求めても、中身のない張りぼてのような人間ができるだけでしょう。

 そして、思考力を身に着ける教育は、今のところうまくいっていないように見えます。本当に思考力が身についているならば、記述問題の正答率がもっと高くてもよいのではないでしょうか。

 私はいろいろな中高生を見てきましたが、やはり最低限の知識を持ち合わせているような方はあまり多くない。

 偏差値30とか40の子の話をしているのではなく、50とか60くらいの子でも、日常語彙、歴史的な事実、化学現象に対する知識など基本的な情報が欠落しているように見えます。

 見栄えのいい文句が席巻している今だからこそ敢えて言いますが、思考力なんて甘い言葉に惑わされず、知識を身に着ける方向へ回帰したほうがよいように感じられます。

 実戦形式で思考力を鍛える教育も考えられますが、様々なレベル感の生徒が数十人集まる公立校などでは、事実上不可能でしょう。

 結局、家庭教師や個別指導塾に行かせる余裕のある家庭の子どもだけが、マンツーマンの特別指導を経て、「思考力」を手にできる。格差は広がる一方ではないでしょうか。


 学習は確かに量よりも質が大事。とはいえ、質を保証するためには、最低限の量が必要です。まずは、知識を拡充するための「量」的な勉強を重視することが必要なのかもしれません。

<文/布施川天馬>

―[貧困東大生・布施川天馬]―

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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