広陵高校野球部による暴力行為と、それをめぐる高野連の対応は、またしても私たち日本人の致命的な弱点を白日のもとにさらしたのです。
SNSで告発された“暴力行為”
8月7日のNHK報道が、その時系列を示しています。今年1月下旬に寮で1年生部員に対して、2年生が4人がかりで「胸やほおをたたいたり胸ぐらをつかんだりするなど」の「暴力を伴う不適切な行為」があったことが発覚。今年3月に高野連から厳重注意を受けていた、という流れです。しかし、この報道以前から、SNS上では暴力行為の詳細を告発する投稿が、すでに話題を呼んでいました。カップラーメンを食べただけなのに、正座をさせられ、10人以上から殴る蹴るの制裁を受け続けたのみならず、なかには自分の性器を舐めるよう命じた上級生もいたとの証言もあり、衝撃が走っています。
この証言が事実だとすれば、学校の部活動において、戦争捕虜に対する拷問のようなむごたらしい制裁が行われていたことになります。
そして、なぜそんな暴力が日常化していたのか。その背景には、一体何があったのでしょうか?
“しつけ”と勘違いする暴力の連鎖
広陵高校の“暴行”には、計画的な悪意がありません。部員の総意が自然に形成され、合法的なしつけのような感覚で行われている。だからこそ、闇は深いのです。広陵高校野球部のカルチャーを揺るがぬ伝統にするために、度を越した行為が常態化する環境が整ってしまっているのです。エスカレートする正義のもとに、暴力による戒めを黙認してしまう。これは日本的な組織崩壊の典型例なのです。
なぜこういうことが学校の部活という閉鎖的な空間で起きてしまうのか。そんな深刻な問いを投げかけている一件だと捉えなければならないのです。
ここで思い出すのが、先の大戦の教訓です。
昭和を代表する評論家、山本七平の『日本はなぜ敗れるのか―‐敗因21ヶ条』という本でした。第二次世界大戦で敗北を喫した日本軍の組織運営に、致命的な弱点があることを論じています。
高校野球を神聖視する精神性と密接につながっていることがよくわかる一冊です。
戦時中から続く“芸”と“しごき”の文化とは?
山本は勝利を収めている間の日本軍の強さの根拠は、非常にもろい精神性にあったと断じています。それが、日本ならではの“芸”のみが通用する状況しか想定しない見込みの甘さだと分析するのです。<小銃・機関銃・手榴弾の存在する現在の戦闘において、その殺傷能力が一メートル余しかない日本刀を戦場で使い、その“芸”を活用して、バッタバッタの百人斬りをやって、刀も折れねば本人が負傷もしない、ということを信じ得た>(p.182)、限定的な状況から生まれる理不尽な精神性に過ぎなかった。そして、その非科学的な思考ゆえに、破滅的な敗北を喫したのだと見ている。
山本は、軍隊のみならずあらゆる日本的な組織が必然的に崩壊する構図を浮き彫りにしているのです。
なぜならば、<“芸”は結局、いわゆる“しごき”を中心とする一対一の徒弟制度的教育方法でしか伝授できない。>(p.195)ものであり、組織の人員が入れ替わったときに、その場限りの“芸”はゼロになってしまうからです。
よって、残るのは有効的な戦術、戦法の蓄積ではなく、“芸”を仕込むときの名残りである“しごき”の風土だけであると、山本は言っています。
この視点から高校野球を考えると、それが山本が言う“芸”と同じであることに気づきます。スポーツの一種ではあるけれども、「高校」という冠がつくと、特別な意味や物語性が生まれる。『熱闘甲子園』などの番組を見て、競技以外のストーリーで涙する人がいるのがよい例です。
すると、それは純粋な競技というよりも、高校3年間の期間にしか輝きを放てない、そのはかなさを野球を通じて表現するための“芸”になります。けたたましいサイレンと礼儀正しさのコントラスト。強烈な真夏の日光を浴び、泥まみれで脚がけいれんしながらも、笑顔を絶やさず苦しみに耐える姿に感動する見世物が、高校野球という“芸”の本質だからです。そして、それは人間教育という大義名分のもとに、無節操に正当化されている。
その“芸”を追求する集団が各校の野球部なのだとすれば、それは山本七平が指摘したように、脆弱な組織になるのも当然の話です。勝者よりも敗者の物語が共感を呼ぶのも、全く同じ構造だと言えるでしょう。
しかも私学の強豪校となれば、より濃密な文化と強い閉鎖性を持つようになります。だからこそ広陵高校の暴力行為も、こうした日本人に染み付いた精神的背景を踏まえて考えなければなりません。
“ガイアツ”頼みはもうやめるべき
今回の一件を受けて、SNSには『これをBBCが取材すれば高校野球なんて吹っ飛ぶ』という投稿もありました。しかし、いつまでも“ガイアツ”に甘えているわけにはいきません。
出場した以上、筆者としては全力で広陵高校を応援します。せめて最後くらいは皮肉を効かせてほしいものです。広陵高校が優勝すれば、高校野球は終わるでしょう。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4