中年を迎えて、“セカンドキャリア”や“親の介護”といった問題に直面する人は少なくない。「人生100年時代」なんて言葉がいかに社会で飛び交ったとて、人間老いには逆らえない。
40代以降に就ける仕事の選択肢は限られ、全く未知の業界に飛び込むことになる場合も。
『キャバクラ店員へとへと裏日記』(鉄人社)の著者である御厨謙氏(63歳・独身)は、認知症の母親のため7年間の介護離職と連戦連敗の転職活動の期間を経て、48歳でデリヘルドライバーの仕事にありついた。その後、セクキャバ・キャバクラの従業員に転身。店長や先輩たちは自分よりも二回り近くも年下で、戸惑うことばかりだったという。

現在も水商売の世界で働いているという同氏に、その紆余曲折の半生を振り返ってもらった。

母親の介護で履歴書に空白期間がある40代後半の厳しい再就活

親の介護で7年離職、40代後半でキャバクラ店員に転身した元営...の画像はこちら >>
――夜の世界がありのまま描かれていますが、若いライターの潜入取材ではないところがとても新鮮でした。営業職や介護の仕事を経験してきた男性が、自分の母親を介護するエピソードもリアルです。

御厨:ありがとうございます。いつか自分の本を出すことが夢だったので、とても嬉しいです。最初は自費出版も考えていたんですが、原稿募集している出版社に何社かメールしたところ、鉄人社の編集さんからご返信いただいて、1冊の本にまとめられました。

――認知症のお母様の自宅介護に限界を感じ、施設に入所後に久しぶりの就活をすることになったわけですが、やはり再就職はかなり苦労されたそうですね。

御厨:想像以上に厳しかったです。営業畑が長かったので営業職を最初は考えたんですが、ひたすら落ち続けました。


――ハローワークで紹介された会社に採用されても、布団の販売やリフォームなどの高額な契約を高齢者に結ばせるというブラックな会社ばかりだったそうで……。

御厨:良心の呵責もあって長続きしませんでした。追い詰められていたとき、友人の助言を受けてスポーツ紙を片っ端から買い、三行広告の求人募集から何とかデリヘルドライバーの仕事にありつけました。

――抵抗感はなかったですか?

御厨:正直、何も考えていなかったですね。とにかく自分にできそうな仕事なら、初めての業界でも挑戦してみようと。当時は余裕がなくヤケクソでした。

――42歳で介護離職をするまでは、具体的にどんなお仕事を?

御厨:大学を卒業し、大手オフィス機器メーカーで飛び込み法人営業を3年半。その後は大手通信会社に転職しました。いかんせん仕事が長続きしない性分で、食い繋ぎのバイトなども含めると、実は営業職を中心に現在は30社くらいの職歴があります。

――わりと転職回数は多めですね。

御厨:寝ても覚めても仕事のことばかり考えてしまい、最終的にどうしようもないくらい鬱憤が溜まって退職に至ることが多かったです。もう少し適度に力を抜きながら働ければよかったんですが、若い頃は今よりも生真面目な性格で、キャバクラなどの店で遊んだ経験も全くなかったです。


――となると、平均的な男性より夜遊びには馴染みのないタイプだったかもしれませんね。

御厨:会社員の頃、上司に1回キャバクラへ連れて行ってもらったことがあったんですが、後に自分が働くようになって「あれキャバクラだったんだ」と気づいたくらいでした。夜の歌舞伎町を歩いたこともなかったですね。

人生の苦労人が感じた、夜の世界特有の“働きやすさ”

御厨:最初のデリヘルに勤められたのはラッキーでしたね。自家用車で女の子を送迎して、ガソリン代を精算するかたちなので、デリヘルドライバーとして働くためには自分の車が基本的に必須です。私が未経験でも採用してもらえたのも、認知症の母の介護のために買った中古車があったおかげでした。

――「女の子に話しかけるのはNG」「女の子から話しかけてきたら聞き役として相手をする」というのがデリヘルドライバーの鉄則なんですね。

御厨:最初は心ひそかに「女の子とお近づきになれるかも」と思っていましたが、そんなほのかな下心も打ち砕かれたかたちです。

――店側が早めの到着時刻を客に伝えることが多く、無理な運転を要求されることも多かったそうで。

御厨:私が働いた店は、都内から大宮などにも系列店があり、店ごとにホームページも電話番号も違うんですが、実際はすべて池袋の事務所に電話がつながる仕組みでした。女の子もみんな池袋に待機しています。

なので、余計に急かされることが多かったですね。とりわけ運転が得意なほうでもなく、僕は3回目の免停を受けて、1年半で“円満退社”となりました。
免停が続くと仕事にならないので解雇されるんです。

――最後の交通違反は何だったんですか?

御厨:高速の走行中、後部座席の女の子がシートベルトをしていなくて。

――災難ですね。

御厨:運が悪かったです。

――50歳を目前に再び失業して仕事探しを始める時点で、営業や介護のお仕事は眼中になかったんですか? 本書を読む限り、キャバクラで働くことにかなり前のめりになっている印象を受けたんですが。

御厨:そうですね。夜の仕事は業態を問わず、風俗も水商売も独特の雰囲気があって、コツをつかめば不思議と働きやすいところがあるんですよね。緩いような、厳しいような。テキトーなような、ルーズじゃないような……。「夜の世界に馴染むと、なかなか抜けられないよ」と言われたことがありますが、その通りだと思います。

異例の経歴でキャバクラへ、内情は金銭トラブルも多い?

親の介護で7年離職、40代後半でキャバクラ店員に転身した元営業マンの紆余曲折「 コツを掴めば“夜の世界”は働きやすい」
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――キャバクラも最初はなかなか採用されなかったそうですね。

御厨:未経験でも車があれば働けるデリヘルドライバーと違い、キャバクラの男性従業員には年齢制限もあり、稀に面接をしてくれても不採用が続きました。
無料紹介所の求人誌を手に片っ端から電話を掛けまくっても、なかなか相手にされません。

――御厨さんのようにアラフィフの未経験者がキャバクラで働くケースは、あくまでレアケースということですね。

御厨:最初にキッチンとして働くことになったセクキャバの店長からも、「この年齢で未経験だとやはり難しいなあ」と言われていました。面接中のところに偶然通りかかった25歳のオーナー社長が、履歴書を見て「字が綺麗なやつは真面目だから悪い奴はいない」「しかも出身大学が俺と同じじゃん」ということで、私は運良く採用してもらえましたけど。

――当然お店では最年長者ですよね?

御厨:男性従業員も店長も20~25歳ぐらいでした。デリヘルもドライバーには同年代も多くて年齢は高めでしたが、内勤スタッフは若かったですね。セクキャバでの仕事は気に入っていたんですが、東京五輪に向けた取締強化に伴って閉店し、その後は系列のキャバクラで59歳まで勤務しました。

――法的にグレーゾーンのセクキャバも少なくないみたいですが、デリヘルドライバー、セクキャバ・キャバクラ店員と給与面は良かったですか?

御厨:いずれも月収は20万円程度でしたが、無一文からのスタートでしたし、ライフワークバランスはそれなりに充実していました。ボーイには社員もいて、フルタイムで働く代わりにバイトより割のいい固定給や担当のキャバ嬢からのインセンティブがもらえるという感じですね。社員と言っても、よほど大きなグループなどでない限り社会保険などはなく、普通の飲食店と同様、バイトのほうが休みの希望は聞いてくれやすいです。キャバ嬢は自営業扱いです。

――キャバ嬢も男性従業員も出入りは激しかったですか?

御厨:バックレて辞める人も少なくないですね。
なぜか借金を抱えている人も多いので、店長やマネージャーなどは売上金を持って飛ぶこともあります。ある店長が売り上げを持ち逃げして、1ヶ月分の給料が出なかったこともありました。

――介護施設に入所していたお母様が5年前に90歳で大往生され、セクキャバ時代も含めて約10年勤めた歌舞伎町のキャバクラの仕事も現在は辞めているとのこと。その後お仕事は?

御厨:池袋のキャバクラで少しだけ働いて、いまは介護事業者でアルバイトをしながら、某所のキャバクラでキャッチの仕事をしています。あと2年、65歳くらいまでは働こうかなと思っていますね。

<取材・文/伊藤綾>

【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
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