―[新日本プロレス社長・棚橋弘至のビジネス奮闘記~トップロープより愛をこめて]―

新日本プロレスの人気プロレスラーにして「100年に一人の逸材」と言わしめ、プロレスラーを引退したばかりの第11代社長(’23年12月就任)棚橋弘至が、日々の激務のなかでひらめいたビジネス哲学を綴っていく。今回は「東京ドーム超満員札止め」について。
’16年に掲げた目標は、自身の引退試合でついに実現した。棚橋社長は2月の時点で、この9年越しの悲願達成をどう受け止め、次に何を見据えていたのか。夢がかなうまでの軌跡と、その先への思いを綴る。以下、当時寄せられた原稿を掲載する。

vol.64 ’16年に誓った夢「東京ドーム超満員札止め」への軌跡

 僕の引退試合が行われた1月4日の東京ドーム大会から、1か月が過ぎました。時間の流れをとても早く感じます。

 社長専任になった今は、さらに毎日が早いです。出社して、全力で仕事をして、「今日はランチどうしようかな?」と考える。昼下がりの会議中に「お腹減ったなぁ」とも思うけど、終業時刻の18時まではグッと我慢。

「東京ドームを超満員にします」棚橋弘至社長が振り返る9年越し...の画像はこちら >>
 こうしたことを書いていると「棚橋はちゃんと仕事をしているのか?」「ただの食いしん坊じゃないか!」と思われそうですが、ちゃんとやってますから。

 ……食いしん坊は当たってますけどね(笑)。

 さて、ドーム大会から1か月が過ぎ、大会の収支報告が上がってきました。

 観客数は4万6913人(全席完売)。
昨年のドーム大会が2万4102人だったので、大幅に伸びたことになります。

 僕が「東京ドームを超満員にします!」と、とある大会の試合後にコメントしたのが’16年。その後、プロレス業界のビジネスが順調に伸びていっていたところでのコロナ禍でした。

 ’19年に新日本プロレスは過去最高の売上高を記録したので、’20年での下がり幅は厳しかったですね。

 その翌年の’21年の1・4東京ドーム大会は、観客動員も制限して、声を出しての応援も禁止。許されるのは、拍手のみ……と、とても厳しいものでした。観客動員も7801人と過去最低。

 この時期は、僕自身、かなり打ちのめされていました。

「東京ドームを超満員にします」棚橋弘至社長が振り返る9年越しの悲願達成と次なる一手
このあと、いっぱいになったんですって! ©新日本プロレス
 試合も練習もプロモーションもあらゆることに全力で取り組み、そうした積み重ねの中でようやく新日本プロレスが、みんなに楽しんでいただけるものになれた、と思えた直後だったので……。

 このときの悔しい気持ちをずっと持っていました。

 社長に就任したあとの’24年、’25年のドーム大会は、そこそこ健闘はしましたが、まだまだ満員には届かず。

 僕は大学生のときに、1995年の新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面対抗戦と1998年のアントニオ猪木さんの引退試合を観に行っていたので、東京ドームの超満員の景色を2回見ていたわけです。


 本当に東京ドームが超満員になったときの歓声は、地響きのような大きさがあり、会場が揺れたかのようでした。

 僕が夢見ていた「東京ドームの超満員札止め」が、自身の引退試合……というのは、なんとも皮肉なものですが、後輩たちにその景色を見せることができたというのは、今後の大きな財産、モチベーションになると信じています。

 となると、勝負は来年の1・4東京ドーム大会ですね。何か、超満員札止めになるようなアイデアを絞り出さなくてはいけません……。

 う~ん。棚橋が現役復帰したら、超満員札止めいけますかね!?(ダメ絶対!)

今週のオレ社訓 ~This Week’s LESSON~

勝負は来年の東京ドーム大会。超満員へ向けて動きだす!

<文/棚橋弘至 写真/©新日本プロレス>

―[新日本プロレス社長・棚橋弘至のビジネス奮闘記~トップロープより愛をこめて]―

【棚橋弘至】
1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)。’26年1月4日を以て現役を引退。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」
編集部おすすめ