午前12時23分ころ、高齢者が運転する車が、真菜さんと莉子ちゃんを撥ねる事故が発生した。「無事でいてくれマナりこ」――松永さんが14時半に送信したメッセージに、応答はなかった。
事件から7年が過ぎた現在、遺族として、松永拓也さんは会社員の傍ら精力的に講演活動などを続けている。家族との日々を振り返りながら、これまでの軌跡を辿った。
2013年に母の故郷で出会う
真菜さんの話をするとき、松永さんに柔和な笑顔が戻る。メディアで発言するときの緊張感から解放されたような、ほっとした顔だ。「真菜とは、2013年に出会ったんです。私の母が沖縄県出身で、はじめは親戚の知り合いとして出会いました。最初は一目惚れ。でも親しくなるにしたがって、言葉少ないけれど愛情に溢れたその人柄にどんどん惹かれていきました」
生前の真菜さんは人との縁を大切にした。たとえば親しい人間の誕生日などには、メールやLINEではなく、手紙を書いてお祝いの気持ちを伝えたという。
「まだ会社員になって年数も経っていなかったし、正直、経済的には潤沢ではありませんでした。でも、真菜に会いたい一心で、多いときには月に4回くらい沖縄県に飛行機で行きました。LCCの、しかも早朝6時とかのさらに安い時間帯の便に乗っていましたね。彼女も月1回くらいは東京に遊びに来てくれました。電話は毎日1時間くらいはしたと思います」
「いいよ」の日が大切な記念日に
「真菜には姉がいましたが、真菜が20歳のときに白血病で亡くなりました。私が交際を申し込んだのは、当然、結婚も視野に入る年齢です。自分がもしも沖縄県から出てしまうと、両親がさみしい思いをするのではないかと思って、答えはNOだったようです」
最後の告白のことを、松永さんはいまでも覚えている。2回フラれたあとの「ダメ元」での告白だった。
当然、結婚記念日もこの日に合わせた。2014年11月4日、2人は新たな門出を迎えることになった。2016年には莉子ちゃんも生まれ、家族が増える喜びにも出会えた。
永劫続くことを願った幸せは、高齢者が運転する一台の車によって粉々になった。2019年までの、4年と5カ月の結婚生活だった。事件当日、警察から電話がかかってきたときのことを松永さんはこう回想する。
「私が電話をしなければ」という悔い
「14時くらいだと思います。仕事をしていたら、スマホが鳴りました。相手は警察で、真菜と莉子が事故に遭ったのでとにかく来てくださいと。『生きているんでしょうか』と聞いても、答えられないようでした。無事でいてくれているのか――冒頭で紹介したLINEの文言は、そんな悲痛な思いで送られたものだ。だが病院に向かう電車のなかで、松永さんのスマホにニュース速報が飛び込んできた。そこに書かれた「心肺停止」の文字。松永さんは「電車内に、その場でへたり込んでしまいました」と俯いた。
つい数時間前、テレビ電話をした妻子が亡くなっているという現実。「あのとき、私が電話をしなければ、あるいは時間がズレていて加害者の車と出会わなかったのでは無いかと考えた時期もありました」。どこまでも自分を責める時期が続いた。
14時になると手が震えるように
犯罪被害者になって知った現実もある。病院に犯罪被害者支援室の担当者がきて、一緒に自宅まで帰った。自宅付近にいたのは、マスコミだった。「かつてのような、激しい取材行動はありませんでした。私が家の前に着くと、みんな道を開けてくれて、良識のある対応だったと思います。
たとえ月日が経っても、事件の後遺症からは逃れられない。事件後1カ月ほどは忌引休暇や有給休暇などを組み合わせることができたが、それ以降は会社員としての日々が続く。
「大々的に報じられた事件であり、私の身に何が起きたかを知らない人はいないわけです。そんななかで、周囲に気を使わせてしまうのは申し訳ないとずっと思っていました。けれどもやはり、事件からしばらくは、事故を知らせる警察からの着信があった14時ころになると、手が震えてきてしまうんです。そこで、トイレの個室に駆け込んでひとりで泣いていました」
事件当時、松永さん家族は、松永さんの親族が所有する物件を借りて住んでいた。だが事件後はどうしても同じ場所にいられない。
「いつものように真菜が料理を始めるんじゃないかとか、莉子が部屋からひょこっと顔を出すのではないかとか、頭ではあり得ないとわかっていてもそんなことを考えて、悲しくなってしまうんです」
思い出は見たいときにだけ…
「真菜と莉子の思い出が詰まったものは、箱を用意してそのなかに入れました。
これまでを振り返るとき、「周囲に恵まれた」と松永さんはしばしば語る。たとえば、事件直後のこと。地元が同じで中学校から一緒の友人が5人、やってきた。
「5人はただそこにいてくれたんですよね。それがとても心地よかった。私が『つらい』と言えば、『つらいよね』と。散歩に行こうと言えば、ついてきてくれる。莉子とたくさん遊んだ公園は、やっぱりつらいから通れないと言えばみんなで迂回してくれる。何か言葉をかけられるわけでもないけど、代わる代わる来てくれて、一緒に時間を過ごしました。みんな仕事をしていたし、家族を持っていた人もいるのに」
「ひとりで悩まないで」と言われて
そして、一般社団法人 関東交通犯罪遺族の会(通称:あいの会)との出会いもそうだ。「代表の小沢樹里さんをはじめ、多くの人たちに出会いました。樹里さんから最初にかけられた、『ひとりで悩まないでください』という言葉を、いまでも大切に感じています。
松永さんが活動を続ける背景には、何があるのか。
「中心にあるのは、家族ですよね。私にとって真菜は、その生き様に心から尊敬の念を抱いた人です。例えば腎臓の数値があまりよくなかった私のために『絶対に治してあげるから』と、いろいろ調べて手書きのレシピをノートにまとめてくれていました。実際、本当に数値は改善されたんですよね。愛情に溢れていて、こんな人に自分もなりたいと思える人でした。そして、2人のあいだに生まれた莉子は、本来であれば真菜と一緒に試行錯誤しながら将来をともに歩むはずでした。私が声をあげることで、少しでも規範意識が高まるのなら、不条理な死に泣く人が減ります。わずかでも明るい未来を展望できれば、と現在は考えています」
大きな悲しみを乗り越えてなお社会に貢献する姿に、人々は思わず感動さえ覚えてそれを口にする。だが松永さんは「褒めていただくことは多いけれど、私は強い人間でも立派な人間でもないんです」と話す。
正解も不正解もない、遺族の選択
そんななかで、松永さんのように活動を生きる力に変えていく人たちがいる。松永さん自身が言うように、「価値観はそれぞれ尊重されるべき」であり、犯罪被害者としての生き方に、正解も不正解もない。あるのはただ、松永さんがそれを選択したという事実だけだ。
事件が風化されることなく、事故のない社会を本気で望んで目指すことが、その生涯を賭けて活動している人たちに報いる唯一の方法であるように感じられる。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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