―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
今回の舞台は、出会いの場として名高い恵比寿横丁。人と人が出会う瞬間を見届けようと、著者はひとり足を運ぶ。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」

そして恋は生まれてく【恵比寿駅・恵比寿横丁(飲食店街)】vol.49

「マッチングアプリでやり取りした相手と会うことになったけど、待ち合わせ場所に行ったらブロックされていました」という悲しい報告をたまに聞く。しばらく人間不信になりそうな話である。

「でも、多少騙されたとしてもマッチングアプリとかないと、効率悪いんですよ」と若い友人に言われたこともある。人との出会いに効率なんて言葉を使いだしたら終わりだろうがよ、と思いながら、確かに現代社会は猛スピードで現在を過去に変えていくし、恋を全力で楽しめる年齢というのもまた限られているし、そういう考えも必要よね、と私は菩薩の表情でこれを受け入れるのである。

 昔は昔で、出会いを求めて日々街に出る狩人のような人はいた。

 社会人になりたての頃、同僚のうちの数人はよく「恵比寿横丁」に出かけていた。恵比寿駅の西口から歩いてすぐのところにあるその飲み屋街は、出会いの場としてかなり有名らしかった。

 あれからもう15年近くたったけれど、今でも「恵比寿横丁」は健在らしいと、噂で聞いた。

 コロナ禍を乗り越え、自治体がマッチングアプリを開発するディストピアみたいな未来になっても生き残った「恵比寿横丁」。人と人が出会う瞬間をリアルタイムで見たくなって、足を運ぶことにした。


 夜7時。引き戸をくぐって中に入ると、最初に感じたのは「視線」だった。

 この横丁は細い通路の両脇にオープンなつくりの飲食店が20店舗近く連なっている。どの店に入っても中央の通路を歩く人の姿は見えるので、歩行者は自然と、ランウェイを闊歩するモデルのように注目を浴びやすくなる。

 今年40歳を迎える私でも視線を感じたことから、若い女性や男性が歩くものなら、なかなか大変なことになる。店の内外にいる狩人たちが一斉に目を光らせ、どうにか一緒に酒を飲めないかと行動し始めるのである。

 私はすでに何組か先客がいるバーで足を止めて、奥のテーブル席に座った。ハイボールと自家製ピクルスなんかで晩酌しながら、それとなく観察を続けた。

 私の周りには、男性同士、女性同士で飲んでいる2、3人のグループが多かった。

 彼ら彼女らは一見、内輪での会話を楽しんでいるように見えるが、実はその目は常にテーブルの外側に向いていて、どうやらグループ内での会話なんてほとんど興味がないようだった。

 そんなのおもしろすぎるだろ、と思っているのは私だけらしく、目の前にいた男性2人がとてもスマートに隣の女性たちに声をかけると、女性たちもまんざらでもない様子でこれを受け入れて、すかさずテキーラのショットで乾杯を始めた。「ああ、これが出会いの瞬間だ」と私は口を開けてその様子を見届けてしまった。
ディズニーのパレードでも見ている気分だった。

 そんな様子で、店にいた男女はほとんどが「ぷよぷよ」みたいにくっついてしまうと、気づけば私の卓だけがポツンと残されていた。東京はなんて恐ろしい街なんだと久しぶりに思った。

 辺りを見回すと「ナンパ禁止」の張り紙はいくつか見ることができて、決して公認ではないのだと胸を撫で下ろす。しかし、彼ら彼女らはあくまでも「相席」しているらしく、恋に屁理屈はつきものなのだと妙に納得してしまう。

 なんだか得体の知れない敗北感を覚えながら会計を済ませた。空いた私の席に、すかさず別の女子が滑り込む。すぐに男子たちが声をかけに行くのを見て、恋は令和になってもフットワークが重要なのだと、雑な学びを得て帰った。

出会いの場として名高い横丁を観察しに行ったら、私の席だけがポ...の画像はこちら >>
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

※週刊SPA!2026年7月21日・28日合併号より

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。
好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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