―[あの日夢見た雲組]―

「僕が見たかった青空」、2023年6月15日に乃木坂46の公式ライバルとして結成したアイドルグループ(通称:僕青)だ。
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同グループはセカンドシングル以降、シングル選抜システムを採用。
メンバー21人(1名活動休止中)は、表題曲やメディア出演をしていく選抜の「青空組」と、ライブなどを中心に活動する「雲組」の2つのチームに分かれて活動してきた。

当連載「あの日夢見た雲組」では雲組メンバーに密着してきたが、8枚目シングル「FUNKY SUMMER」は、結成3周年を迎えるアニバーサリーシングルとして全員歌唱となった。そこで今回は、2枚目から3枚目シングルまで雲組で活動していた須永心海(すなが・みうな)とともに、4回目の出演となった世界最大のアイドルフェス「TOKYO IDOL FESTIVAL 2026(以下TIF)」を振り返っていく。

「チャンスを無駄にしたくない」勝負のセトリ

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
須永心海(すなが みうな)
「2度目の全国ツアー、そして初の野外ライブが終わって燃え尽きるというよりは、これからもっともっと僕青はライブのクオリティを上げていけるって思いました。現状に満足していたら終わりだと思います」

そう話すのは埼玉県出身、21歳の須永心海だ。僕青にとって4年連続の出演となるTIF。今年は2年ぶりに会場で一番大きいHOT STAGEでのパフォーマンス。「僕青の本気を見せる」と意気込んだステージ。一曲目に坂道AKBの楽曲「誰のことを一番 愛してる?」のカバーから始まるセットリストには会場からの驚きの歓声が上がった。

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「誰のことを一番 愛してる?」を披露するメンバー
「今回のTIFのセットリストはメンバー全員で意見を出し合って決めたんですが、『僕青じゃない曲から始めるのは本当にいいのか』という部分が私たちのなかでも意見がわかれました。なかなか決まらないなかで、最後は『このチャンスを無駄にしたくない。勝負に出よう』っていうひと言で最初に披露することが決まりました」

8月1日の夕方。僕青が登場する直前に雨がぽつりぽつりと音を立てて、ステージに上がる頃には土砂降りになっていた。
僕青のチャイムが鳴り響いたあと、会場を見渡した須永は久しぶりに頭が真っ白になったという。

「ステージに立った瞬間、奥までお客さんで埋まっていて、僕青のファンの方だけでなく、他のアイドルグループのファンの方たちで埋まっている光景を見た時に、久しぶりにすべてが飛んじゃったんです。出演回数を重ねるごとにTIFのありがたみや凄さを感じるようになっていたので。楽曲の世界観に入って、とにかく無我夢中でパフォーマンスしました。あとで本番の映像を見て、『こんなに歓声が上がっていたんだ』と驚きました。あと1曲目に入る前に音響トラブルがあったんですけど、メンバーの表情が誰もブレずにスタンバイしていて、全員が同じ気持ちでステージに立っているんだなと思いました」

「TIFに初出演した頃には絶対に味わえなかった感覚」

二曲目以降、「恋は倍速」「FUNKY SUMMER」など僕青の楽曲を続けてパフォーマンス。大雨でびしょ濡れになりながら、メンバーたちは互いに目を合わせて笑っていた。

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
「私を含めて長袖の衣装のメンバーもいて悩んだんですが、ほかのグループとの差別化を考えたときに、デニム衣装のほうが印象に残ると思ったんです。そこでメンバー同士で話し合い、今回は全国ツアーの衣装を選びました」(須永)
「河口湖ステラシアターでの青空野外ライブも大雨でしたし、なんか僕青らしいなって。もう楽しんだもん勝ちっていう感覚ですね。二曲目以降はスイッチが切り替わった感覚があって、自分でも不思議でした」

そして最後に披露した「君と見た空は」では、次に登場する≒JOY(ニアジョイ)のファンも一緒になってタオルを回して盛り上がっていた。「それはTIFに初出演した頃には絶対に味わえなかった感覚でしたね」。この3年間で培ってきたものが間違っていなかったとその光景を噛みしめた。

「僕青の青いタオルに加えて、ニアジョイさんの黄色タオルがいっぱい見えて、すごく新鮮だなと思いました。
TIFでたまたま僕青を見てくれた人もいると思いますし、そこで一緒にタオルを回したいと思ってもらえるようなパフォーマンスを私たちはできているんだと感じられて嬉しかったです」

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
僕が見たかった青空


いつも「心海の気持ちがわかる」と寄り添ってくれた父

僕青の元気印といわれるほど、いつも周りに笑顔を振りまく彼女。しかし、その明るさの裏には、想像を絶する喪失と、そこから立ち上がるまでの長い歳月があった。

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
僕が見たかった青空
小学校の頃は2歳上の兄からもらったおさがりのジャージを着て、公園を走り回って遊ぶようなおてんば娘だった。夢はアイドルか女優さんになること。テレビに映るAKB48を見て、憧れの渡辺麻友のハーフツインに髪型をして歌マネしている姿がホームビデオに残っていた。ただ、中学生になってからは恥ずかしくて人には言えなかった。

その夢を初めて誰かに口にしたのは、中学3年生の夏休み。父親から「コンビニに行くか?」と誘われた。いつもは断っていたが、その日は何かに導かれるようについていった。

「コロナ禍で中学3年の一学期まで学級閉鎖が続いていて、受験のスタートダッシュが遅れていて、夏まで進路が決まっていないというのも普通だったんです。高校の話になったときの流れで、『実は芸能に興味があって、アイドルに挑戦してみたいんだ』っていう話をしました。やりたいことがあったらチャレンジしてみなっていう両親だったので、『いいじゃん。パパは応援する』と背中を押してくれたんです」

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僕が見たかった青空
反抗期の真っただ中、母親とは意見がぶつかることが多く、2つずつ離れた兄と妹とも年が近く、真ん中に挟まれた彼女は対立することが多かった。
そんな愚痴を笑って受け止めて、救ってくれたのが父親だった。

「パパも兄弟の真ん中で、家族のなかで血液型も一緒だったから、考え方も似ていたのかな。どんなときも『心海の気持ちがわかるよ』と言ってくれていて、パパだけに話すことは多かったです」

暗闇から救ってくれた「妹の想い」

だが、夢を打ち明けた2週間後。父親が自宅で調子を崩して、搬送された病院で2日後に亡くなった。突然の別れだった。

「親戚が手を合わせに来てくれたりするときは明るく振る舞っていたけど、夜になると『パパがご飯食べれてないのに自分だけ食べるのはパパが可哀そう』と思ってご飯を食べられなくなったりとか。そういう心の波があって、体もついていけずに学校も休んじゃったりしましたね」

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僕が見たかった青空
現実を受け入れたくなくて、部屋に閉じこもっていた。「このまま私は高校に進学していいのか……」。そんな彼女を暗闇から救ってくれたのが妹だった。

「妹は何もなかったかのように学校に登校していて、お母さんに『なんでパパがいなくなったのに妹は普通に学校に行けてるの? 悲しくないのかな』って何気なく聞いたんです。そうしたら、『私が学校に行っている姿を見ていれば、ねぇねもまた学校に行けるようになるかもしれないから』っていう妹の想いをお母さんから聞いたんですよ。それを聞いて涙が止まらなかった。『私が立ち止まったらダメだな』と思って、また学校に行けるようになったんです」

働き始めた母親の助けに少しでもなりたいと、家事や妹の面倒も見るようになった。
高校に通いながら、複数のバイトを掛け持ちしていたという。

「バイト代はすべて貯金してました。自分のためというより、いつ家族に何かあってもおかしくないから、私も働いてお金を貯めようって思ったんです」

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僕が見たかった青空


合格しても自分を出して嫌われてしまうのが怖かった

高校を卒業したら就職しようと思っていた。「妹が小さい頃から幼稚園の先生になりたいという夢を聞いていたから、家のお金は妹の進学のために使ってほしかった」。ただ、進路を考え始めた高校2年生の夏にSNSで見つけた僕青のオーディションを読んで、父親との約束を叶えるために最後の挑戦をしようと思って受けた。

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僕が見たかった青空
「合格したと家族に伝えたとき、お母さんはあまりわかっていなかったけど、おめでとうと言っていました。まだ何も見えていないのに、高校3年の進路面談で先生に『卒業後はアイドルになります!』って言ったときは驚かれましたけど(笑)」

ただ、僕青に入って間もない頃はメンバーと目が合うだけで涙目になるぐらい馴染めなかった。

「私、高校の頃の記憶あまりないんです。クラスにも馴染めなかったし、思い描いたような高校生活ではなかった。そのときに、感情なんか隠して生きたほうが楽なんだなっていうのを感じちゃって。僕青に入ってからも自分を出して嫌われてしまうのが怖くて、黙っていることも多かったです」

歌もダンスも未経験、レッスンについていくだけでも精一杯。さらに僕青に選抜制度が導入された2枚目と3枚目シングルは雲組に所属したことで、新たな苦しさを抱えることにもなった。

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僕が見たかった青空

雲組にいる自分がアイドルでいる未来が想像できなかった

「雲組単独公演っていうのも初めてだったので、それがどういう風になるのかもわからなかったです。青空組になればメディアに出れて、プロモーション活動をしてっていう想像ができるけど、雲組にいる自分がアイドルでいる未来が想像できなくて。
それを雲組のレッスンでも態度に出してしまっていたので、そういう面ではすごく申し訳なかったなって思っていますね」

そんな態度を見かねてスタッフに呼び出されたこともある。「スタッフさんから『須永の強みって何?』と聞かれても何も答えられない悔しさで、さらに閉じこもっていきました」。そんな自分を救ってくれたのは、見放さないで声を掛け続けてくれた雲組のメンバーだった。今でもツラくなったら、思い出す雲組の光景がある。

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僕が見たかった青空
「私は振り付けとか立ち位置を覚えるのが苦手なんですけど、休憩になったらすぐに座りこんで、『この先やっていけるのかな』なんて考えていたんです。でも、山口結杏ちゃんは休まないで、鏡の前で何度も何度も振りの確認をしていた姿はずっと心に残っています」

2024年8月、バラエティ番組の「踊る!さんま御殿!!」に出演したことが、仕事に対する考え方を大きく変えるきっかけになった。

「本番はアンケートに書いた採用された台本にあることだけを喋れればいいんだと思っていたんです。でもスタジオに入ったら、毎日のようにテレビで見るタレントさんや芸人さんが話のネタをいくつも用意して、1度のチャンスを必死で掴みにきている。あの現場で圧倒された感じは忘れられないですね。その後に開催された『アオゾラサマーフェスティバル2024』でコーナーMCを任されたことで、『喋りでもっと僕青の魅力を伝えられるMCになりたい』という想いも芽生えました」

ティッシュ配りで決めていた「絶対ルール」

目の前のことに真剣に向き合うようになった。握手会ではファンのニックネームや会話内容をメモに残して、メディアなどの出演前には会話のネタとイメージトレーニングを欠かさない。

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「準備をすることの大切さを学びました。出演するだけで満足してちゃダメだし、もっとやらなきゃいけないんだって。
限られた時間を僕青のために使って会いに来てくれるファンの方に対しても感謝の気持ちが変わったんです」

現在、僕青は8月30日に開催される『アオゾラサマーフェスティバル2026』のチケット完売を目指すプロジェクト「僕青豊洲PIT完売計画」が進行中。デビュー以来、3度立ってきたステージだが、いずれも完売したことがない会場だ。4度目となる今年は、完売までのチケット数をホームページで公開するなど、彼女たちにとってこれからの命運をわける一日になりそうだ。

「3周年の青空野外ライブでも完売させたいと宣言しましたけど、この壁を超えないと、もっと大きい会場に行きたいとは言えない。今まで味わったことのないライブへの気持ちと、当日までわからない緊張感があります」

プロジェクトの一環として、各メンバーがひとりで街頭に立って宣伝のティッシュ配りも行っている。

「自分の中で絶対ルールがあったんです。それは、ティッシュの面ではなく、広告の面を上にして配ること。目的はティッシュを配ることではなく、僕青というアイドルを知ってもらうきっかけをつくること。その気持ちが根本にあったから、どんなに大変でも、へこたれることはありませんでした。お盆の新橋だったから、通行人が全然いなくて鳩に差し出したこともありましたけど(笑)」

グループのなかでも積極的に発言する彼女は僕青を引っ張る機動力にもなるが、その目立ちやすさがときに批判の対象にもなりやすい。

「そういうチクチク言葉を言われると心がグサッときてしまうし、辛いこともあります。でも、僕青のために行動し続けている人はいつか批判も言われなくなると思うんですよ。いつ僕青が見つかってもいいように、いろいろな場所に種をまいておく努力を積み重ねていくしかないです」

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僕が見たかった青空

「私は僕青に救われたな」って強く思える特別な日

そんな彼女の挑戦は広がりを見せている。10月1日に開催される『第3回SASUKEアイドル予選会2026』に僕青の代表として出場することが決まった。

「今やSASUKEの常連メンバーになった岩本理瑚ちゃんのように抜群の運動神経もないし、デビュー当時はターンもできなかったので、ファンの方から『なんで須永なんだよ』っていう意見が多いんだろうなって思うと怖かったんですよ。でも発表されたあとにSNSやブログに応援コメントがたくさん届いて。全部に目を通しながら、『私には支えてくれる味方がこんなにいるんだ』って感じられて、家でひとり号泣しちゃいました。その期待を背負って頑張りたいなと思って、毎日のように近所の公園で走り込みをしてます!」

サマーフェスティバル2026が開催される8月30日。僕青のメジャーデビュー日であり、同時に父親の命日でもある。

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
僕が見たかった青空
「今までは1番来て欲しくなかった日だったんですけど、僕青に入って笑顔になれる日になったので、あらためて『私は僕青に救われたな』って強く思える特別な日です。パパのことを思い出さない日は一日もないんですけど、毎年その日はいつもより近くにいる気がするんですよ。だから、アイドルの須永心海をずっと見守っていてねって伝えたいです」

アイドルの夢を叶えて4年目。あらためて、須永心海の強みを聞くと、彼女は笑顔で答えた。

「喋り、料理、人懐っこさ、愛嬌……。それから、今年3月に髪を短くしてイメチェンしてから可愛いって言われることも多くなりました(笑)。どこの現場に行っても、『須永がいれば明るくなるよね』っていう僕青の太陽のような存在になりたいなって思います!」

中学3年生のあの夜、父親に誓った約束は、今もステージの上で息づいている。

「毎年その日はいつもより近くにいる気がする」僕青・須永心海が8月30日に誓うこと
5thシングル「恋は倍速」のインタビューで自称・僕青の握手会女王を宣言した須永。今もその座は健在かと聞くと、「まだ私だと思ってます!」と朗らかに笑った

【須永 心海(すなが みうな)】
2005年、埼玉県生まれ。ニックネームはみうな。2023年6月15日に結成したアイドルグループ「僕が見たかった青空」(通称「僕青」)のメンバー。特技は料理で、「須永飯店」と称してキッチンカー企画でのレシピ考案や、飲食店とのコラボメニュー開発を手掛ける。8thシングル「FUNKY SUMMER」が発売中。デビュー3周年となる8月30日には「アオゾラサマーフェスティバル2026」の開催を控える。最新情報は公式HPをチェック。須永の公式X:@miuna_bokuao、TikTok:@sunaga.miuna_bokuao

<取材・文/吉岡 俊 撮影/後藤 巧、星 亘>

―[あの日夢見た雲組]―
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