―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

いま、彼女の前には、屈強なプロレスラーたちが列をなす。完全紹介制のフルオーダーで、国内外のトップ選手から指名が絶えない。
さらに、その腕を頼ったのはリングの猛者だけではない。あの世界的アーティスト、レディー・ガガの衣装制作にも携わった。リングコスチューム職人・Mami氏。30年以上にわたり、選ばれ続ける一着を生み出してきた彼女の仕事とは――
レディー・ガガの衣装も手がけた…プロレスラーが殺到する「リン...の画像はこちら >>

私が作るのは、晴れの日の「鎧」

 リングコスチュームは、ただ派手で丈夫ならいいわけではない。デビュー戦、タイトルマッチ、海外進出、そして引退試合――。レスラーにとって人生の節目を共にする一着には、その選手だけの覚悟や物語が宿る。30年以上にわたり国内外のトップレスラーを支え、レディー・ガガの衣装制作にも携わったリングコスチューム職人・Mamiは、その仕事を「晴れの日の鎧作り」と呼ぶ。華やかな一着の裏側には、選手が無事にリングを降りてくることを願う、職人の祈りがあった。

――リングコスチュームの世界に入ったきっかけは?

Mami:19歳のとき、アルバイト雑誌で「レオタード縫製、衣装制作」という募集を見つけたのがきっかけです。子供の頃から図工や手芸が好きで、「服を作る人になりたい」と思っていました。専門学校を中退してでも、どうしても縫う仕事がしたくて。

――プロレスの衣装であるとは知らなかったんですか?

Mami:書かれてなかったんです。その募集を出していたのが、後に7年間お世話になる(※1)豊嶋裕司さんの工房でした。
お芝居の衣装だと思って面接に行ったら、玄関に(※2)獣神サンダー・ライガーさんのポスターが貼ってあり、そこで初めて知りました。角の生えたマスクや全身タイツのような衣装が並び、「これが作れるなら、何でも作れるんじゃないか」とワクワクしましたね。

試合中に脱げるのは、絶対に許されない

――働き始めて、最初に驚いたことは?

Mami:素材も道具も、使うミシンも普通の洋服とは全然違ったことですね。まず素材の名前を覚え、先輩を手伝うところから始めました。半年ほどで女子プロレスラーの衣装デザインを任され、角や(※3)レガース作りも手伝いました。当時は納期が短く、新日本プロレスや全日本女子プロレス所属選手のテレビ用衣装を「明後日までに!」 と頼まれることもあり、徹夜も珍しくありませんでしたが、寝ないで働けることすら面白かった。

レディー・ガガの衣装も手がけた…プロレスラーが殺到する「リングコスチューム職人」の知られざる仕事
リングコスチュームは、プロレス選手が着用する衣装を指す
――普通の洋服とは、何が違うのでしょう?

Mami:技術、素材、耐久性、すべてです。巡業や遠征が続けば壊れてもすぐ直せないので、最初から壊れないように作る。スパンコールや柔らかいレースも使いますが、投げられても洗濯しても壊れず、試合中に脱げることも絶対に許されません。日本のコスチュームは丈夫で体に合い、かわいくてキラキラしている。それが海外でも評価されていると思います。

――マスクの本場・メキシコには長い歴史があります。どう違いを出していますか?

Mami:マスク専門の素晴らしいブランドをまねて競うのではなく、コスチューム全体で見せることを意識しています。
トータルで、その選手にしかない世界観をつくるのが私の役割。

――独立したのは、どんな経緯だったのでしょう?

Mami:工房には7年勤めましたが、独立するつもりはありませんでした。別の衣装屋さんでのスキルアップも考えていたのですが、ずっと忙しかったので半年くらいはのんびり休んでもいいかなって思って(笑)。辞める時、自分へのご褒美に工業用ミシンを一台買ったところ、担当していたお客様から「直接頼めないか」と声をかけていただいて。プロレスの仕事は師匠たちの領域だと思っていたので、ボクシングやキックボクシングのジムへ挨拶に回り、口コミで仕事が広がりました。一時期、後楽園ホールに掲示されたチャンピオン写真に写っている半分以上がうちのお客様だったこともあります。今は、ほぼ紹介制です。

――デザインは、どのように考えるのでしょう?

Mami:始めて10年目くらいまでは、言われたものにプラスアルファを加えればいいと思っていました。でも、同じ選手から3回、4回と注文をいただくと信頼関係ができて変わります。タイトルマッチなのか、海外進出なのか、デビュー何周年なのか。性格や体形、着る場面まで含めて考えます。

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エッジな人々
――これまでの制作で、印象に残っているものはありますか?

Mami:イギリスの女子プロレス団体「EVE」の大会ですね。
新日本プロレスでも活躍中のウィル・オスプレイ選手がプロデューサーをしていて、とても重要な大会があるから、「17人分をぜひマミさんに作ってほしい!」と依頼を受けたんです。日本なら本番の3週間前に試着・調整しますが、この時は前々日のフィッティングで細かな修正が出たんです。現地にミシンはない……。全部手縫いするしかないと絶望しました(笑)。

――本番は翌々日ですよね。そこからどうしたんですか?

Mami:現地に住む通訳の日本人女性が「ミシンを持っているし、24時間使えるスタジオもある!」と言ってくれたんです。しかも、日本で使っているものと同じ(※4)JUKIのミシンでした。「縫い物の神様が助けてくれた」と思いました(笑)。

――ちなみに年間では、どれくらい作るのでしょう?

Mami:顧客数にすると100~200人ほど。1年に一度の方も、シーズンごとに新調する方もいます。作ったアイテム数は1万点以上でしょうか。

――年間200着となると、ほぼ休む時間はありませんね。


Mami:ありがたいことに忙しくさせてもらっています。独立して2、3年目には、グレート・ムタの頭巾の注文が週20個来た時期があり、700~800枚は縫ったことがありました。まさに頭巾地獄(笑)。

晴れの一着、最後の一着だと思いながら作る

――一着の値段は、どれくらいなのですか?

Mami:国内旅行くらいの金額から、海外旅行くらいまで(笑)。トランクス一着なら5万円ほどから、フルセットでこだわれば100万円を超えることもあります。すべてフルオーダーなので、予算を聞き、その範囲で提案します。材料費が上がる一方で安く作る店も増えましたが、費用がかかってもこちらに頼みたいと思ってもらえるものを作り続けるしかありません。

――女子選手からの依頼も多いそうですね。

Mami:今は6、7割が女子選手のものです。女性の体のラインをどう見せればきれいか、どこを見せたいか、どこが不安なのかはわかる。「スカートを短くしたほうが脚がきれいに見える」といった提案をしながら、本人の希望と見栄えをすり合わせます。

レディー・ガガの衣装も手がけた…プロレスラーが殺到する「リングコスチューム職人」の知られざる仕事
選手がリングから、無事戻るのを祈りながら作ってます
――衣装を作るうちに選手との距離も近くなっていく、と。


Mami:作った衣装を着てリングに上がってもらえること自体が、普通の洋服作りにはない喜びです。話すうちに、怪我をしたと聞けば心配になるし、身内のような感覚にもなっていきます。だから私は、リングコスチュームを「晴れの日の鎧」と表現しているんです。

――「晴れの日の鎧」ですか。

Mami:プロレスや格闘技は怪我がつきものです。怪我や病気で二度と試合ができなくなり、自分が作ったものが最後の一着になるかもしれない。願うのは、選手が無事にリングを降りてきてくれることです。

――実際に「最後の一着」になったことも?

Mami:とある選手の、最後の試合衣装にも一部携わりました。「怪我なく帰ってきてほしい」という気持ちはいつも込めています。記念大会やタイトルマッチ、引退試合にはできるだけ応援に行きます。怖くて目を開けていられない場面もありますが、行ったら楽しもうと思っています。

――プロレスや格闘技以外の衣装を手がけることも?

Mami:あります。
東日本大震災後、レディー・ガガがチャリティで来日した際、原宿の(※5)Baby Doll Tokyoを通じてお話をいただいたんです。

――それはまたすごいですね。

Mami:(※6)緑川ミラノさんのデザインを実際に着られる形にする役割です。何着か作ったうち、フルセットがテレビ番組内で使われました。リングコスチュームで培ったフィット感や、デザインを立体にする技術があったから形にできたと思います。

――身につけた技術を受け継ぐ後継者は育っていますか?

Mami:この仕事には教科書がなく、素材を覚えるだけでも3、4年、すべてを任せられるまで10年以上かかります。今はスタッフと2人で作っていて、そのスタッフが後継者候補。やりたい人と必要としてくれる選手がいるなら、技術を残したい気持ちは強いです。

――これからもずっとミシンの前にいると思いますか?

Mami:年を重ねれば作れる量は減るかもしれません。それでも仕事は続けたい。選手たちが新しい舞台へ進み、その時代を一緒に生きている感覚があるから離れられない。今となっては天職かもしれません。

レディー・ガガの衣装も手がけた…プロレスラーが殺到する「リングコスチューム職人」の知られざる仕事
エッジな人々
【Mami】
リングコスチューム職人。Pleins Gaz代表取締役。19歳でシマスポーツのグループ企業M&Mカンパニーに入り、マスク、ガウン、レガースをはじめ、プロレス・格闘技衣装の制作技術を学ぶ。’02年に独立。舞台・芸能分野の衣装制作にも携わる

(※1)豊嶋裕司
プロレスのマスク、リングコスチューム制作の第一人者。初代タイガーマスクや獣神サンダー・ライガーのマスク、グレート・ムタのコスチュームを手がけた。Mamiが働いていたM&Mカンパニーを主宰

(※2)獣神サンダー・ライガー
1989年に新日本プロレスでデビューした覆面レスラー。国内外のジュニアヘビー級戦で活躍し、’20年に引退。引退後は解説者、タレントとしても活動している

(※3)レガース
すねや足の甲を覆う防具。キックボクシングでは打撃から脚を守るために使われ、プロレスでは装飾を施してリングコスチュームの一部としても用いられる

(※4)JUKIのミシン
工業用、家庭用ミシンを製造する日本のメーカー、JUKIの製品。同社は1938年創立で、縫製工場などで使われる工業用ミシンを世界各地に展開している

(※5)Baby Doll Tokyo
コスチュームデザイナーの緑川ミラノが’00年に原宿で始めた、「美と退廃」をテーマとするセレクトショップ。オリジナルコルセットを中心に、コスチュームやアクセサリーなどを扱う

(※6)緑川ミラノ
コスチュームデザイナー、スタイリスト。2000年からBaby Doll Tokyoを主宰し、コルセットを中心とした衣装制作を手がける

取材・文/金明昱 撮影/スギゾー

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