2026年9月30日、新宿・歌舞伎町のイベントホール「新宿FACE」が21年の歴史に幕を下ろす。
プロレス、格闘技、演劇、音楽ライブ、歌舞伎――収容人数は500人と、決して大きくはない空間で、ジャンルを超えた表現活動を受け止めてきた。


「もともと、“5年間限定”で営業する予定だったんです」

そう語るのは、新宿FACE支配人の小川愉可さん(52歳)だ。

“歌舞伎町の空きテナント”が”プロレスの聖地”になるまで。惜...の画像はこちら >>

「5年間だけ」のプロジェクト

2005年7月にオープンした新宿FACE。

「歌舞伎町再開発の一環で始まったプロジェクトでした。それが、5年が経ち、再開発が立ち消え、10年になり、20年になり、現在21年になったわけです」

このまま繁華街のど真ん中で様々なイベントの受け皿になり続けるのかと思いきや、そうは問屋が卸さない。新宿FACEが入る「ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町」は竣工から約55年経つ。年月を重ね、給排水など建物内部の設備も老朽化。建て替えの可能性は数年前から議論されていたというが、正式な決定は急だった。

「建て替えが決まったのは今年の年明けで。心構えはありましたけど、閉館まで1年もないとなると、さすがにバタバタしてしまいました」

新宿FACEは、1年先まで予約を受けており、閉館決定時にも10月以降の予定が動いていた。

「もっと早く知っていたかったですね(笑)。“なんでこんなことに”って感じです」

笑い飛ばしながらも、その言葉には21年間を支えてきた人間としての無念さがにじんだ。

堺屋太一氏の提案が、形になった

“歌舞伎町の空きテナント”が”プロレスの聖地”になるまで。惜しまれつつ9月末で閉館する「新宿FACE」支配人を直撃
プロレスファンおなじみの会場が、あとわずかで見納めになってしまう
新宿FACE誕生の背景には、作家で経済企画庁長官も務めた堺屋太一氏の存在がある。

この場所にあったのは、ライブハウス「新宿リキッドルーム」だったが、振動などの問題から営業継続が難しくなり、空きテナントとなった。

ビルオーナーの関係者(当時)と親交があった堺屋氏は、大のプロレスファン。
それゆえに「プロレスができる会場はどうか」と提案したそうだ。

こうして、着席型でプロレスも開催できる会場が構想された。

ただし、プロレスだけで年間365日を埋めることは難しいため、舞台、芝居、音楽なども積極的に受け入れる方針に。「何か一つに特化しない」会場として歩み始めたのだ。

来るもの拒まずの精神は現在も変わらず、公演の半分ほどはプロレスや格闘技などリングを使うもの。残りは舞台を中心としたステージ公演だ。

印象深い“新宿FACEならでは”の公演

約21年間で印象に残った公演を尋ねると、小川さんは意外にもプロレス以外の公演を挙げた。

一つは、山本耕史主演の舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』だ。

「舞台であるニューヨークの裏路地が歌舞伎町に似ているような気がして。古びたライブハウスが登場するのも、新宿FACEにも合うなと思って、すごく印象に残っています」

2019年に上演された、中村獅童らが出演するオフシアター歌舞伎『女殺油地獄』も記憶に刻まれている。

「FACE特有のセンターステージを有意義に使っていただきました。伝統芸能である歌舞伎の公演は、改めて襟を正すというか。エンターテインメントを発信する側の姿勢を学んだ期間でしたね」

記憶に残るトラブルも

もちろん、21年間には穏やかな思い出ばかりではない。

「2022年1月、ビル内の別テナントでボヤが発生しました。
ちょうどプロレスの興行中で、試合中だったと思うんですよね。突然、火災ベルが鳴って」

新宿FACEはビルの7階にある。出演者、スタッフ、観客を1階まで避難させなければならなかった。

「幸い、怪我人はいませんでした。毎月やってくださっているプロレス団体さんの公演だったので、皆さんスムーズにいきましたね」

試合を止めるタイミングは難しかったが、判断の基準は明確だった。

「3.11の東日本大震災も経験しているので、公演中であっても人命を第一という意識は常に持っていました」

さらに、こんな珍事件もあった。

「あるレスラーが取材で連れてきたペットの蛇が逃げ出しました。1週間後ぐらいに、うちの事務所でひょっこり出てきて(笑)。ちょっと一騒ぎありましたね。公演中の客席に現れず、胸をなでおろしました」

無茶も楽しむ団体にとっては代えがたい会場

“歌舞伎町の空きテナント”が”プロレスの聖地”になるまで。惜しまれつつ9月末で閉館する「新宿FACE」支配人を直撃
20周年興行の際に撮った集合写真
新宿FACEをホーム会場の一つとして利用してきたプロレス団体は多い。

堺屋氏の縁もあり、OZアカデミーの尾崎魔弓とは、オープン当初から長い付き合いが続いてきた。

閉館を伝えたの反応は、いたってシンプルだったという。

「『どうしよう』という感じですね。
ホームリングとしていただいている方も多いので、今後はどの会場で興行を開くべきかが一番大きな悩みどころだと思います」

DDTプロレスリングも、長年の利用者だ。

「閉館に向けた対応を行っている際、DDTの高木三四郎さんから“協力するので最後までがんばりましょう”と声をかけられまして。その言葉をいただいた時から、“最後までしっかりやらなきゃな”という思いが強くなりました」

DDTといえば、常識にとらわれない興行でも知られる。

「リングの周囲にテーブルを並べ、ビールを販売する“ビアガーデンプロレス”もその一つです。最後の試合では、飲んだ空き缶を全部集めて、リング上で使うんです。ほかの会場では許されないようなことをやっていますね(笑)」

止めるどころか、一緒に楽しんでしまうのが、新宿FACEのスタッフなのだ。

「お客さんはすごく喜んでいるので。基本的には、お客さんを楽しませる手助けをするのが私たちの仕事だと思っています」

我々は特徴を作らないという信念

では、新宿FACEの特徴とは何だったのか。

「私たちは特徴を作らないようにしているんですよ」

特徴を決めるのは会場ではなく、イベントの主催者だ。

「赤い公演がやりたいと言ったらそこに合わせる。翌日は白い公演がやりたいと言ったら合わせる――。多種多様な公演をやってこられたのが特徴ですよね」

自分たちの色を押しつけないからこそ、新宿FACEには、出演者や主催者それぞれの“色”が刻まれていったのかもしれない。

最後に刻む「銘心鏤骨」の思い

“歌舞伎町の空きテナント”が”プロレスの聖地”になるまで。惜しまれつつ9月末で閉館する「新宿FACE」支配人を直撃
「銘心鏤骨」
9月30日、最後の自主公演には「銘心鏤骨」というタイトルがつけられた。


題字を書いたのは、中村獅童。先述したオフシアター歌舞伎をきっかけに生まれた縁だった。

「タイトル通り、骨まで刻み付けたいというところがあります」

小川さんが望むのは、ただ盛大に終わることではない。

「出演者の方たちもFACEへの思い、会場への思いがあると思います。私たちFACEの人間も、みんなが感謝の1日にできたらいいなと思っています」

正直、もっと続けたかったのではないか。

「ありますね。でも、ビルの古さもあって、お客様の安全面を考えた時に、致し方ないという感じですね」

ただ、小川さんは「終わり」だけを見ていない。

「ここから文化を発信してきたという実感もあります。またどこかで、私たち自身がこの文化の火を灯せるようにしたいと思っています」

当初“5年間だけ”の予定だった会場は、21年間にわたって多くの人の表現を受け止め続けた。プロレスの熱狂も、歌舞伎の緊張感も、舞台の拍手も、すべて同じ場所に刻まれている。

9月30日、新宿FACEという“箱”は幕を閉じる。だが、そこで生まれた文化まで消えるわけではない。
小川さんの挑戦に注目したい。

<取材・文/櫻麗(おうれい)>

【櫻麗(おうれい)】
新潟県出身。フリー記者。池袋のスナックでチーママとして働きながら脚本家を志すも挫折。業界新聞の記者、自治体の広報誌などの制作ディレクターを経て独立。現在は歌舞伎町ホストのSNS運用ほか、アングラ、夜職、歌舞伎町カルチャーを主な取材領域に記者として活動中。表には出にくい人間模様を追い続けている。猫と過ごす時間が至福 X:ohreindb
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