「俺より強い奴に会いに行く」をテーマに、アルコール依存症に苦しむ人たちを訪ねる番外編。今回取材に応じてくれたのは、横浜市に暮らす藤倉悟さん(仮名・46歳)。長年にわたる大量飲酒の末、アルコール依存症と診断され、これまで複数回の入院を経験している。
そんな彼は私に負けず劣らずの酒量で、一晩にスト缶を10本以上飲む日が続いた。500ml缶を10本飲めば、単純計算で5リットル。それだけ飲んでも、翌日には仕事が待っている。
「お酒を飲んで逆に目が覚めてしまい、寝ないで会社に行くこともザラにありました。会社は11時からだったのですが、ギリギリまで家で酒を飲んで、会社に行く途中のコンビニでもスト缶を1本買って、それを飲みながら出社していました」
時も場所も選ばぬ酒浸り生活
寝ていないのだから、もはや「迎え酒」ですらない。前夜から翌日の出勤まで、飲酒が途切れないこともあった。「会社に着くと上司からパワハラを受けます。もう、むしゃくしゃするので、昼休みになると『公園で飯を食ってきます』と言って急いで会社を出て、コンビニで飯も買わずに500mlのスト缶を買って、公園で飲んでいました」
仕事帰り、寝る前、出社途中、そして勤務中……。生活のほとんどの時間に、酒が入り込んでいた。
「職場で飲むのは良くないことだし、仕事があるのに寝ないでギリギリまで飲んでいるのも悪い。それは分かっているんです。でも、だんだんそういう常識とかルールみたいなものが、自分の中で『どうでもいいね』となっていくんですよ」
藤倉さんの場合、単に「酒を飲みすぎて理性を失った」というだけではなかった。酒を飲んではいけない場所、飲んではいけない時間、翌日の予定――。ひとつずつ「守らなくてもいい理由」を作りながら、生活全体が酒に侵食されていった。
どうして、そんなことになったのか?
育児放棄、暴力、夜逃げに耐えた子供時代
1980年、石川県金沢市で生まれた藤倉さん。父親は和食屋で働いていたが、幼い頃に両親は離婚。いったん母親に引き取られたものの、その後は父親と再婚相手の家庭で暮らすようになった。だが、その家庭は穏やかなものではなかった。
「父はまだ遊びたかったらしくて、全然家に寄りつかなかったんですよ。飲み歩いたり、麻雀したり、パチンコしたり、競馬も好きだった。家にもあまりお金を入れなかったので、再婚相手のストレスは相当なものだったと思います」
3歳上の姉は、再婚相手から血が出るほど殴られることもあった。
さらに、藤倉さんは小学校に入るまで、保育園にも幼稚園にも通っていなかった。幼い頃は、家でひとりきりで過ごす時間も長かった。
「入院中、この経験を臨床心理士に話したところ、『今だったら育児放棄あるいはネグレクトですよ』と言われました」
その後、父親は独立して和食屋を開業したものの、経営はうまくいかなかった。借金を重ね、藤倉さんが14歳のときには、家に借金の取り立てが来るようになった。
「あるとき、学校から家に帰ったら、両親がバタバタ荷造りしていて『もうこの家はダメだ!』と夜逃げの準備をしていました。それで、学校のみんなにお別れをすることもなく、手荷物だけ持って、次の日に電車で別の街へ行きました」
後年、アルコール依存症の治療を受けた際には、心理検査で幼少期の経験についても詳しく聞かれたという。もちろん、幼い頃の家庭環境や特定の出来事ひとつを取り出して、「これが原因で依存症になった」と結論づけることはできない。
ただ、人が酒に依存するまでの過程は、「酒が好きだった」「飲みすぎた」という言葉だけで説明できるほど単純なものでもない。藤倉さんの場合も、その後の人生で仕事や人間関係をめぐるさまざまな問題に直面し、そのたびに酒で気持ちを紛らわせるようになっていく。
だからこそ、「酒を飲みすぎた、だらしない人間だった」という一言だけで、藤倉さんが酒に依存するまでの人生を説明することもできないだろう。なぜ、酒を必要とするようになったのか? その背景までたどっていく必要がある。
ビールデビューは中学生で
「土曜日は学校帰りに500mlのビールと、スーパーのフードコートでたこ焼きを買って家に帰るんですよ。そして、3時から競馬中継を見るのが楽しみでした」
今なら明らかに問題だが、当時は制服姿でも酒を買えたという。友人たちと海岸で酒を飲むこともあり、すでにこの頃から二日酔いになるまで飲むこともあった。それでも、この時点では週1回程度。本人の感覚では、まだ「酒が好き」という範囲だった。
大学に入学すると、酒量はさらに増えた。学生寮には、今では考えにくいほど激しい飲酒文化が残っていた。
「新入生歓迎コンパで、上級生たちの前に立って大声で挨拶をするんですよ。それからどんぶりに入った25度の甲類焼酎を、一気飲みする。先輩からの酒は断れない雰囲気でした」
周囲の新入生が吐いてバタバタと倒れていくなかでも、藤倉さんは比較的平気だった。むしろ、他人を介抱する側だったという。
「その頃から酒はかなり飲んでいました。
酒に強かった。だからこそ、自分がいつか酒で生活を壊すことになるとは思わなかった。
酒は「お疲れ」の乾杯ではなくなった
酒は飲んでいたものの、まだ生活を大きく壊すほどではなかった。
「でも一度、飲みすぎた夜に会社へ戻って、床に吐いて翌日怒られたことはありましたね」
だが、本格的に飲酒と仕事の境目が消え始めたのは、その後、店長として転職した性的サービス店だった。
その店では男性スタッフが慢性的に不足し、長時間勤務が常態化していた。
「80時間ぐらい電話番をしている週もあって、しょっちゅう店に泊まっていました」
朝まで仕事をしたあと、そのまま昼から別のスタッフのシフトを埋め、さらに夜から自分の勤務に戻る。何十時間も職場にいる生活が続いた。
「店で仮眠しようとしても、落ち着かないから寝られない。そこで酒を飲むようになったんですよ。スト缶を5本買ってきて、2本飲む。
長時間労働のなかで仮眠するために飲み始めた酒は、いつしか仕事中にも手を伸ばすものになった。働き方が崩れるのと並行して、酒の飲み方もまた、少しずつ崩れていった。
過労、責任感、差し押さえ…負のドミノが容赦なく襲った
藤倉さんは実際の利益を受け取る経営者ではなかったものの、名義上の立場や店長としての役割から、当局とのやり取りを担わされた。
「今思えば『知らない』と言ってお店を辞めてもよかった。でも、ほかのスタッフや女の子たちに調査が行ったら迷惑がかかると思って、間に入っていたんですよね。税務当局とオーナーの板挟み。そのうち、どんどん病んできて、さらに酒を飲むようになりました」
店を辞め、別の会社へ転職しても問題は終わらなかった。前の勤務先をめぐる税金の差し押さえが、自宅や転職先の給与にまで及んだという。
「手取りが25万円なのに、半分くらい持っていかれたんです。会社の経理にも分かるし、周りの人の目もある。それに、13万円ぐらいで生活しながら働き続けるのも無理だと思って、その会社も辞めました」
「肝機能も対人トラブルも無縁」とはいかなくなった
つらい現実から逃れるように、500mlのスト缶を10本前後飲む。そんな生活を続けるうちに、貯金も底をついた。
藤倉さんはアルコール依存症とうつ状態を理由に生活保護を申請。それでも、酒はやめられなかった。
「もともと酒が好きなんです。それに、飲むと気が楽になる。だから嫌なことがあると、酒に逃げちゃうんですよね」
若い頃は、いくら飲んでも翌日には仕事へ行けた。暴れるタイプでもなかった。肝機能の検査でも、本人によれば大きな異常を指摘されることは少なかった。だから「自分は大丈夫だ」と思っていた。
そんなある日の深夜、酒を買おうと訪れたコンビニで店員とトラブルになった。警察が駆けつけたものの、その対応をめぐって、今度は警察に不信感を募らせるようになったという。
そこから、泥酔した状態で警察に電話をかけたり、警察署へ繰り返し抗議に行ったりするようになった。そのたびにほかの酔客と一緒に保護室に収容され、措置入院寸前までいったこともあったという。
一度怒り始めれば、また酒を飲む。酒を飲めば感情を抑えにくくなり、さらにトラブルを起こす……。「嫌なことを忘れるため」に飲んでいた酒が、今度は新たな「嫌なこと」を生み出すようになっていた。
ここまで生活が崩れたことで、藤倉さんはようやく本格的な治療を考えるようになった。
依存症病棟へ入院。治療を受け芽生えた気持ちの変化
こうして、藤倉さんは2022年8月から関東の依存症病棟に入院することになった。
入院時の診察では、自身がアルコール依存症になりやすい体質だと説明されたという。
「そこで『あなたは意志が弱いわけではない。強く自分を責めなくてもいい』と言われて、なんだか安心しました」
それまで藤倉さんのなかにも、「依存症になるのは意志が弱いから」という考えがどこかにあった。しかし、治療を受けるなかで、依存症は本人の意志の強さや弱さだけで説明できるものではないことを知った。
寛解しても、完治はしないのが“依存症”の恐ろしさ
こうして、依存症病棟に3カ月入院した藤倉さん。ただ、依存症は、病院に入れば「治る」というものではない。
病棟から出れば、コンビニには酒が並んでいる。飲み会に誘う友人もいる。嫌な出来事も起きる。それまで酒で処理していた不安やストレスも、そのまま残っている。
結局、その後も再飲酒と治療を繰り返し、別の医療機関も含めて、1カ月程度の入院を複数回経験した。
退院するときは毎回「もう飲まないぞ」と決意する。それでも、しばらくするとまた飲んでしまい、再び入院する。その繰り返しになった。
しかし、昨年夏からは断酒を続けていた。今年1月には「少し働いてみよう」と思い、横須賀の軍港関係の仕事を始めた。しかし、3週間ほどで退職。その後、企業向けパソコンのセットアップ業務にも就いたが、こちらも1週間で辞めた。
「仕事がうまくいかないとストレスを感じてしまいます。同時に『お酒を飲みたい』という気持ちにもなるのです」
酒をやめたからといって、人生の問題がすべて解決するわけではない。むしろ、それまで酒で覆い隠していた問題と、今度はシラフで向き合わなければならなくなる。
「やっぱり、僕の人生を振り返ると、酒に飲まれたというより、いろいろなトラブルが重なってしまったと思うんですよね。そこに、元来の酒好きが合わさって、嫌なことがあると酒に逃げた。それで、歯止めが効かなくなったのでしょう」
人生を壊したのは酒なのか。それとも、壊れかけた人生を支えるために酒が必要になったのか。その答えは簡単には出せない。
ところが、取材から2週間後、藤倉さんから突然、LINEが届いた。
「再飲酒してしまいました」
昨年夏から続いていた断酒が途切れた。
そして翌日、再びメッセージが届いた。
「昨日、一番搾り500とタカラ缶チューハイレモン350を2本、ストロングゼロレモン500を飲んだらあまり美味しくなかったし、ちょっと頭痛かったのですが(忌避剤ノックビン飲むの3、4日前に止めたけどまだ影響残ってるかも)、起きて宝焼酎あったかいウーロン茶割り飲んだら美味しくてたまりません」(全文ママ)
<取材・文/千駄木雄大>
―[今日もなにかに依存中]―
【千駄木雄大】
編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある
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