歌手の美川憲一が12日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜・午後1時)に出演し、今は亡き芸能界の恩人への思いを明かした。

 この日、司会の黒柳徹子が「1999年に92歳で亡くなった淡谷のり子さん。

びっくりしますけど、今年で二十七回忌を迎える…。あっという間ね」と口にすると、昨年6月に歌手生活60年を迎えた美川に向かって「思い出の人形を持ってきてくださったそうですけど」と話しかけた。

 陶製の淡谷さんの人形を大切そうに披露した美川は「これ、淡谷さんのお部屋のリビングに飾ってあったんです。『これ、欲しい』て言ったら、『いいわよ、持ってきなさい』って。いただいて、今、宝物で」と淡谷さんの声色をまねて話した。

 淡谷さんとの出会いについて「(1966年に)『柳ヶ瀬ブルース』がヒットした時に対談をやったんですよ。ブルースの女王と夜の貴公子って。ちょうど淡谷さんがお仕事の帰りで化粧をバッチリしてたの」と回顧。「5分くらい遅れていって『すみません』って言ったら『あら、いいのよ』って。すごい化粧してるから私が後ずさりしちゃったら、『あんた、私の顔、怖いの?』って。『怖いです』って言ったら『正直でいいわね~』って。それからのお付き合い。

かわいがっていただいて」と笑顔で振り返った。

 「たくさん教えていただきましたけどね。自分を通しなさいって。豪邸を建てて住まないようにって。それはウチ(家)を建てて安心しちゃって、仕事もおろそかになるからって。だから、絶対にウチは建てないようにって」と、その教えを明かしていた。

 黒柳と2人で1977年、70歳の誕生日に「徹子の部屋」に出演した際の淡谷さんの映像を見届けると「信念を持ってる。すごい大人っぽいですね」と、しみじみ。「素敵よね」と、つぶやくと「最後にお会いしたのはオウチに行って、その時はベッドに寝られてて。ちょっと体調を崩してる頃だったのね。『淡谷さん、来たわよ』って言ったら『ありがとうね。いろいろありがとうね。

感謝してるわよ。本当にいいお付き合いをしていただいて、ありがとうね』って言って。それが私、最後だったの」と回顧。

 「私の師匠であり、姉であり、母って言ったら、ちょっと語弊がありますから。いろんなものを人生で。越路吹雪さんを紹介していただいたり、本当にいろんなことがありましたからね。神様のような存在です」と話していた。

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