歌手の松田聖子(63)がシンガー・ソングライターの松任谷由実(71)と10年ぶりにタッグを組み、14日にデビュー45周年記念の第2弾楽曲「Stardust」を配信リリースする。

 同曲はホーギー・カーマイケルが1927年に作曲し、ミッチェル・パリッシュが2年後に歌詞を付けた米国のポピュラー音楽。

美しいメロディーとロマンチックな歌詞で知られるジャズのスタンダードナンバーでもある。

 ユーミンは「赤いスイートピー」を始め、「瞳はダイアモンド」「渚のバルコニー」など数々のヒット曲で作曲を手がけた“松田聖子史”に欠かせない存在だ(いずれも呉田軽穂名義)。今回、同曲の日本語訳詞を担当。2019年に「SEIKO JAZZ 2」コンサートを鑑賞した際、聖子の熱演からインスピレーションを受けたが、当時から温めてきたアイデアを反映させた。

 日本語訳詞の提供にあたり、ユーミンが聖子に1000字以上に及ぶ祝福のコメントを寄せた。

 【松任谷由実コメント全文】

 私は聖子さんを喜ばせたかった。勝手な想像だとしても、今の彼女の心情を自然に重ねられるような、この先ずっと愛し、傍らに置けるようなナンバーを提供できたらうれしいと思った。

 1980年代初頭、初めて松本隆さんから曲のオファーがあった時、あの頃私は“アイドル”というものが大嫌いで、仮想敵国のように思っていた、にもかかわらず、スーパーアイドル松田聖子への興味が勝って引き受けることにした。そして気づけば、「作曲家=呉田軽穂」としてずいぶん多くの楽曲に携わることになった。

 彼女はどんなグルーヴも世界観も、すぐに自分のものにしてしまうので、私はいつもスタジオで、複雑な小癪(こしゃく)な気持ちにさせられた(それが松本さんの狙いでもあったのだろう)。

 でも、「SWEET MEMORIES」を聴いたときには、あまりにも好くて、自分が関わっていないことをとても残念に思ったのを覚えている。

 当時は相当攻めたつもりの曲でも、松田聖子の表現力と人気は必ずナンバー1ヒットにさせ、それらは日本人の耳を裾野から耕していった。

まもなく登場して来るシティーポップ群に直接的な影響を及ぼしたのは確かである。

 カルチャーとしての影響力も絶大だった。ヘアスタイル、発言、恋愛。それだけに松田聖子が受けた世間からの風圧はすさまじいものだった(後に私も体験することになる風圧、でも、彼女が受けたそれには遠く及ばない)。彼女が打たれ、立ち上がろうとする姿は、理不尽な思いをしたことのある人たちにとって、どれほど大きな力になっただろう。今なお強い支持を集める理由のひとつ。そして、このSNSの時代には、決して現れ得ない存在だと思う。

 “アイドル”を真に貫いてステージに立ち続けて来たのは、松田聖子の他にはいない。“アーティスト”を自称して時々出てくる方がずっと楽なのだ。私は、同じショウビズ(show business)に身を置くのとして、あるときから彼女に深いシンパシーを抱くようになった。

 誤解があっても、ブランクがあっても、激烈なシーンを共に戦った戦友。痛みも喜びも、数々のスタンダードナンバーとなって、今日も日本のどこかで聴かれ、歌われている。

 「Stardust」は、遠く離れた愛する誰かを想(おも)う歌。きっと聖子さんに合うと思って、少し前から日本語に訳してみた。歌手の運命は100%、その声質で決まる。素晴らしくメルティーで爽やかな歌声の持ち主。聖子さんは、聖子さんの運命を生きるしかない。

 私の音楽人生は、松田聖子に出会えて本当に良かった。デビュー45周年、心からおめでとうございます!

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