歌舞伎俳優の中村鴈治郎(66)が、映画「国宝」(李相日監督、6月6日公開)で歌舞伎指導を担当した。撮影現場では女形の歌舞伎俳優役を演じた吉沢亮(31)、横浜流星(28)らに寄り添い、自身も上方歌舞伎の大物俳優役で出演。
作品資料の1行目。原作について「(原作者の)吉田修一自身が3年間歌舞伎の黒衣(くろご)をまとい、楽屋に入った経験を血肉にし、書き上げた渾身(こんしん)作」と説明がある。その取材、執筆をサポートしたのが、ほかならぬ鴈治郎だ。
吉田氏との出会いは10年ほど前。「歌舞伎のことを書きたいと言うから『しょっちゅう来るんなら、黒衣を作りましょう』と言ったんです。その日のうちに寸法を測りました」。上方歌舞伎の名門「成駒家」の当主は仕事が早い。それ以来、吉田氏は劇場の楽屋、舞台袖などで付き人として仕事をしながら、小説のイメージを膨らませていった。当時の吉田氏について「『黒衣を家でも着てるんです』と言ってましたよ。よっぽど気に入ったんですね」と笑った。
映画化にあたり、歌舞伎指導を引き受けた。「李監督とは、たくさん意見交換をしました。歌舞伎の所作はもちろん、楽屋に置いてある小物、舞台や客席の雰囲気まで、歌舞伎のシーン全般の責任を持ちます」。厳しい目を持つ歌舞伎ファンからの反応を気にしながら「賛否両論があるでしょう。でも、歌舞伎の記録映画ではなく、歌舞伎を題材にした人間ドラマですから。絶対に映画として成り立っていると思います」と太鼓判を押した。
吉沢と横浜は基礎から歌舞伎を学び、劇中劇で「道成寺」の白拍子花子、「曽根崎心中」のお初などを演じた。「彼らは本当に頑張った。精根尽き果てる思いだったと思いますよ。自然に動きたいけど、なかなかできなくて、もがく日々。それでも絶対に諦めず、ストイックに役と向き合う。その繰り返しでしたね。
2人が白拍子花子の扮装(ふんそう)で向き合うポスターが作品の世界観を表現している。「花子でありながら火花がバッチバチでしょ。女形だけど、男にも見える。これが何を意味しているのか。顔はきれいだけど、対峙(たいじ)するのは男と男。歌舞伎俳優として過酷な生涯を歩む2人を表現した、すごいポスターですよ」。劇中では「道成寺」で鐘に上るシーンもあり、臨場感のあるカメラアングルにも注目だ。
鴈治郎が演じた吾妻千五郎は、森七菜(23)が演じる彰子の父親。不遇な喜久雄(吉沢)に優しくアドバイスをする一方、彰子が喜久雄に恋心を抱いていることを知ると喜久雄に厳しくあたる。
今まさに歌舞伎座で8代目尾上菊五郎襲名披露公演が行われているが、今作でも襲名など役者人生の紆余(うよ)曲折、試行錯誤が描かれている。「せっかく名跡をもらっても、役がつかなくて葛藤する。役者にはそういうことがありますからね。吉田修一さんがよく取材してますよ」。出来上がった作品を試写でチェックすると「ジーンとして、立ち上がれなかった。心が揺さぶられました。2時間55分が長く感じない」と力を込めた。
喜久雄の養父で、俊介(横浜)の実父である花井半二郎役の渡辺謙(65)、当代一の女形・小野川万菊役の田中泯(80)も存在感のある演技を見せている。
原作の誕生前から携わり、映画の製作過程を間近で見守ってきた作品が、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品される。「映画を通じて、少しでも歌舞伎に興味を持ってもらえたら、うれしい」。日本の伝統文化を世界に発信する。
◆中村 鴈治郎(なかむら・がんじろう)本名・林智太郎。1959年2月6日、京都府生まれ。66歳。67年11月、中村智太郎を名乗り初舞台。95年1月、5代目中村翫雀を襲名。
◆「国宝」 任侠(にんきょう)の家に生まれながら、上方歌舞伎の大物俳優・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、女形の花井東一郎として芸の道に人生をささげる立花喜久雄(吉沢)の壮大な一代記。喜久雄は半二郎の息子・花井半弥(大垣俊介=横浜)と切磋琢磨(せっさたくま)していく。血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り、もがき苦しむ壮絶な人生の先にある感涙と熱狂を描く。2時間55分。