柔道の連覇含む五輪5大会メダリストで、長嶋茂雄さんとも親交の深い谷亮子さんが3日、長嶋さん死去の一報を受けて哀悼の意を表した。

 谷さんはスポーツ報知の取材に「驚きました。

言葉が出てきません」と大きなショックを受けたことを明かした。母・和代さんからの一報で知ったそうで、取材に動揺を抑えながら気丈に対応した。「選手の時からたくさん励ましてもらいました。試合前には個人的に激励会を開いてくださったり、試合の後は祝勝会も。真っ赤なバラの花を100本プレゼントしていただいたこともあります」と谷さん。初めて五輪金メダルを手にした2000年シドニー五輪の直前にも「激励の手紙をいただきました」という。シドニー五輪後の日本シリーズでは、巨人・長嶋監督、ダイエー(現ソフトバンク)・王貞治監督のON対決が実現。その第2戦に始球式を務めたことも忘れられない思い出だ。

 「長嶋さんから、日本シリーズでの始球式のオファーを直接いただいて…。長嶋監督、王監督おふたりからはずっと応援いただいていて、試合前には『勝利の女神が来てくれた』というお言葉を偶然にもお二人からいただいたんです。うれしかったです。懐かしいけど、めちゃくちゃ覚えています」と振り返った。

 「長嶋さんは、お会いするたびに、大会のテーマになるようなことを何げない言葉で送ってくださいました。中3の福岡国際(1990年12月)の試合も見てくださっていて、その印象がおありになっているようで、『誰もができないことを経験されている。その経験が亮子ちゃんをより成長させてくれるんだ』などと優しい言葉をいただきました」

 谷さんは現役時代、YAWARAちゃんと呼ばれる現役時代から長嶋さんと面識があり、長嶋さんが報知新聞社客員として取材に訪れた1992年のバルセロナ五輪では銀メダルを獲得。金メダルを獲得したシドニー五輪中には長嶋さんが監督としてセ・リーグ優勝を果たしており、手紙をもらったこともあって、ひときわ大きな思い出として胸に刻まれている。次女の三奈さんともテレビ朝日の記者時代に取材で知り合い、以降は「亮子ちゃん」「お姉ちゃん」と呼び合う“姉妹”のような関係に。2003年7月、プロ野球選手の谷佳知さんとの結婚式には、長嶋さんは次女の三奈さんとともに出席するなど、長嶋家とは公私ともに親交があった。

 「何でもプラスに変えられる方でした。笑顔がすてきで、いつも元気をいただいた。長嶋さんは私にとっての英雄。お会いするだけで、笑顔から力をいただきました。もし、長嶋さんを一言で表すとしたら、『不滅の笑顔』です。そして、多くの方たちからこれからも愛され続ける人だと思います」と谷さんは長嶋さんの笑顔を思い浮かべながら、冥福(めいふく)を祈っていた。

 谷さんは3日夜、夫で巨人でプレー経験もある佳知氏とともに長嶋さんの自宅へ弔問に訪れた。

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