大相撲の元大関・2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。

17日に日本相撲協会などが発表した。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。1967年に初土俵、80年に大関に昇進し、父の元大関・初代増位山と史上初の「親子大関」として話題に。現役中から美声を生かして歌手デビューし、「そんな夕子にほれました」などがヒットした。2013年に日本相撲協会を定年退職。歌手活動を本格的に行い、ちゃんこ店を経営するなど異業種でも活躍した。

 技巧派力士として土俵を沸かせ、甘い歌声でミリオン歌手になるなど、多芸多才だった増位山さんが天国へ旅立った。関係者によると、2022年末に体調を崩し敗血症と診断され、入退院を繰り返しながらリハビリを続けていた。所属するゴールデンミュージックプロモーションによると「最期まで活動復帰できることを強く望んでいた」というが、ステージ復帰はかなわなかった。「相撲を愛し、歌を愛し、たくさんの方々に愛していただいた人生でした」と悼んだ。

 増位山さんは、元大関・増位山の長男として生まれ、67年初場所で初土俵。技巧派で、左右の内掛けは名人技と評された。

80年の初場所後に大関に昇進し、史上初の「親子大関」として大相撲の歴史の一ページに名を残した。81年春場所で引退し、後に父から三保ケ関部屋を継承。元大関・把瑠都、元小結・浜ノ嶋らを育てるなど、後進の指導に努めた。

 甘い美声を生かし、現役時代から歌手としても活躍。1972年、「いろは恋唄」でデビュー、74年に「そんな夕子にほれました」、77年は「そんな女のひとりごと」がいずれも100万枚を突破。元横綱・北の富士の「ネオン無情」(67年)、元大関・琴風の「まわり道」(82年)などヒット曲を出した現役力士はいるが、ミリオン2曲を持つ関取は増位山さんだけだ。

 85年以降は日本相撲協会が副業での歌手活動を原則禁止したことから、テレビで歌うなどの活動はしていなかったが、規制が緩和された07年に再デビュー。13年に協会を定年退職すると「親子で大関になれたことが最大の思い出。歌を通じて社会貢献したい」との思いから歌手活動に注力。「増位山太志郎」の名義で再スタートを切り、14年には日本レコード大賞企画賞を受賞した。

 歌手活動と並行し、墨田区に「ちゃんこ増位山」を経営。店内には土俵が置かれたロケーションに加え、しょうゆベースのちゃんこ鍋の味わいにはファンが多く、ミシュランのビブグルマンにも選出。

増位山さん自身も店内の土俵で歌声を披露することなどもあったが、コロナ禍をきっかけに閉店していた。現時点でお別れの会は予定していない。

 ◆増位山 太志郎(ますいやま・だいしろう)本名・沢田昇。1948年11月16日、兵庫県生まれ。父の初代増位山が師匠を務める三保ケ関部屋に入門し、67年初場所で初土俵、70年春場所で幕内となり、後に大関(在位7場所)に昇進。右四つ、下手投げ、内掛けを得意とした。技能賞5回、金星4個。81年春場所で引退。72年に歌手デビューし「そんな夕子にほれました」などがヒット。2013年に日本相撲協会を退職し、本格的に歌手生活を送った。現役時代は182センチ、118キロ。

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