TOKIOが25日、グループを解散することを公式サイトで電撃発表した。20日にメンバーの国分太一(50)が、コンプライアンス違反問題で活動を無期限休止したことを受けて城島茂(54)と松岡昌宏(48)で話し合い、31年間のグループ活動に終止符を打つことを決断した。

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 TOKIOは王道のアイドルロードをたどってきたわけではなかった。旧ジャニーズ事務所では男闘呼組以来のバンドスタイル。知名度とは裏腹にCDの売り上げは伸び悩み、先輩、後輩グループがオリコン1位を連発するなか、最初の1位はデビュー7年目の2001年、22枚目のシングルだった。初代現場マネジャーは藤島ジュリー景子氏。デビュー当初は5人で電車移動していたという苦労話も聞いたことがある。

 城島はインタビューで、事務所のタレントを“家族”と定義したうえで「僕らは期待通りの息子ではなかった。及第点をクリアできなかったからこそ、何ができるだろうかって考えたときに『体当たりするしかない』。それしか道がなかったんです」と初めてのレギュラー番組「ザ! 鉄腕! DASH!!」に活路を求めたことを明かした。

 雲の上の存在ではなく、第1次産業の従事者と一緒に汗をかき、苦楽をともにする。その姿に視聴者は共感し、国民的な人気を獲得していった。DASH村企画から始まった福島県との交流は、アイドルの枠を超えて、自治体や住民にも多くのものをもたらした。

 TOKIOの取材をするのは楽しかった。

20周年ツアーの武道館公演、夏フェスの取材では音楽性の高さに圧倒されたことを覚えている。一方でオフの飾らない人柄も好きだった。屈託ない無邪気なフリートーク、メンバー間の呼吸が実にしっくりきていて、長年蓄積されてきた信頼関係をつねに感じ取っていた。

 久々に取材の機会で顔を合わせたのは昨年10月末。「DASH!」が同11月に30年目に突入する際の取材会だった。国分は「もともと5人で(番組を)始めていって、僕らもこの時代の流れで今3人になった」と振り返り、感謝の言葉を口にしていた。本来なら、11月の番組30周年は盛大に祝われるはずだっただろう。番組は継続するというが、「TOKIO」としてのお祝いはかなわなくなってしまった。

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