元中日監督の立浪和義さん(55)が28日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(土曜・午後5時)に出演。PL学園入学前に別の高校への進学が決まっていたことを明かす一幕があった。
PL学園の主将として1987年の甲子園で春夏連覇の快挙を成し遂げた立浪さんは当時のチームメイト・片岡篤史さんと登場。MCの浜田雅功に「立浪さんの時代がPLは最強でしたか?」と聞かれると「おこがましいんですけど、新チームになってから公式戦は約30連勝ぐらいですかね」とニッコリ。
当時のPLは18人しか入部できない“狭き門”だったことを明かし、「井元(俊秀)さんっていうスカウトの方がいまして、全国探して選りすぐったいい選手だけ18名がスカウトされるんですよ」と口に。「PLに憧れて勉強して入学して、でも野球部に入れなかった例がたくさんあるみたいで。当時、みんなPLに憧れていたので集めやすかったと思いますね」と続けた。
ここでPLの誘いを一度断ったことが明かされると「大商大堺という高校がありまして、中学の時のボーイズリーグの監督と、そこの監督が親しい関係で(入学が)決まってたんです。でも、当時、桑田(真澄)さん、清原(和博)さんがPLで活躍されてましたので、やはり夢が諦めきれないというところで1回決まったところを、わざわざ中学の時の監督の家まで行って『やっぱりPLでやりたいです』って。超険悪なムードでした」と振り返っていた。