◆報知プレミアムボクシング ▷激闘の記憶 第3回 畑山隆則VS坂本博之

 報知プレミアムボクシング「激闘の記憶」第3回は元WBA世界ライト級チャンピオン畑山隆則(横浜光)の初防衛戦をピックアップ。ガッツ石松(ヨネクラ、元WBC世界同級王者)以来、26年ぶり2人目のライト級チャンピオンとなった畑山は、初防衛戦の相手に「平成のKOキング」坂本博之(角海老宝石)を指名。

ともに実力、人気で日本ボクシング界のトップにいた2人の対戦は、試合前からヒートアップ。2000年10月11日、横浜アリーナに1万6000人を集めたWBA世界ライト級タイトルマッチは、ファンの期待通りに初回から魂の打撃戦を展開。10回、左フックからの右ストレートで畑山が初防衛に成功(KO10回18秒)するが、2人の壮絶な10回の攻防は、後世に語り継がれる名勝負となった。

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 映画のワンシーンを見るようなラストだった。10回、畑山の左フックからの右ストレートがヒットした瞬間、それまで耐えに耐えていた坂本がスローモーションで背中からキャンバスに崩れ落ちた。レフェリーがカウントを数えると、青コーナーから棄権を申し入れるタオルが投げ込まれた。世界タイトルマッチ初防衛戦というよりも、畑山にとっては「坂本選手に勝つ」「日本人ライト級最強を証明する」という気持ちで臨んだ一戦。試合直後には、達成感からか「もうやることがない」と本音を漏らしたほど、幸福感に満ちていた。

 坂本戦の4か月前の2000年6月11日(有明コロシアム)、畑山は1年ぶりの再起戦でいきなりWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑戦して8回KO勝ち。スーパーフェザー級に続き2階級制覇を達成した。ガッツ石松(ヨネクラ)以来、26年ぶりのライト級王者誕生にわくリング上で、驚くべき発言をした。「初防衛は坂本選手とやります」。

令和の時代ならまだしも、当時は世界戦のリングで次戦の相手を名指しするなどの行為は皆無に等しかった。それでも、どちらが最強かをはっきりさせたいという畑山の強い気持ちが、行動を起こさせたのだ。

 ボクシングスタイルも対照的だった。フットワークを使いコンビネーション、時には体を密着させて打ち合う畑山に対し、坂本は愚直に前に出て左右のフックで相手をなぎ倒す。どちらもファンの心に刺さるスタイルを確立していた。世界戦の発表会見。お互い視線を合わさず、室内には殺伐とした空気が流れていた。坂本は「別に友達じゃないから」と一切、会話をせずに会場を後にしている。

 2人は過去に3度スパーリングをした経験がある。そして、ライバルの実力をそれぞれインプットしていた。坂本が感じた畑山の印象は「俺はあれぐらいのパンチでは倒れない」というのが本音だった。坂本は陣営と策を練り、左のガードを下げたスタイルで試合に臨むことを決断する。

多少パンチは受けるだろうが、左フックを出しやすいスタイルで勝負をかける策を打ち出した。

 対照的に過信せず己を知った畑山からは、名言が飛び出した。

 「彼(坂本選手)は自分の顎に自信を持っている。ボクは顎に自信がない。彼はパンチがある。ボクは彼よりパンチがない。だから勝てるんです」

 ガードを固め、一発のパンチが相手より弱いならば連打、コンビネーションで勝負する。相手を過小評価してガードよりも攻撃に重点を置いた坂本は、畑山の術中にはまっていった。

 開始のゴングが鳴ると、初回からすさまじい打撃戦がスタートした。お互い相手の出方を見るどころか、いきなり上下にフルパワーのパンチを交換した。畑山は坂本の下がった左ガードを確認すると右ストレートを何度もヒット。それでも天下一品の頑丈さを誇る坂本は、ひるまず前進して左右のフックをチャンピオンのボディーにたたきつけた。

ただ、骨のきしむような打ち合いでも、ガードを固め、確実に連打する畑山に流れが傾き始める。8回終盤、畑山の連打に坂本がロープに詰まる。9回、坂本は左耳から出血し、平衡感覚を失う。そして10回、衝撃的なラストを迎えた。

 2人の人間性も重なり、この一戦は日本ボクシング史上、屈指の名勝負といわれている。ボクシング界は「畑山時代」に入り、世界戦4度目の敗戦となった坂本でさえ、価値を下げる黒星にはならなかった。現在、畑山はジムのゼネラルマネジャー、ボクシング解説者、坂本はジム会長として後進の指導に励み、それぞれボクシング界発展へ尽力している。

 ◆畑山 隆則(はたけやま・たかのり)1975年7月28日、青森県青森市生まれ。青森山田高に野球のスポーツ推薦で入学するが、先輩部員と対立して1か月で退部。その後、ボクサーを目指すために高校も中退して上京。93年6月にプロデビュー。全日本スーパーフェザー級新人王となり、96年3月に東洋太平洋同級王座を獲得。

98年3月にコウジ有沢(草加有沢)を下し、日本同級王座を獲得。同年9月に崔龍洙(韓国)を下し、WBA世界同級王座を獲得。2000年6月にはWBA世界ライト級王座を獲得し、2階級制覇を達成。プロ戦績は24勝(19KO)2敗3分け。身長173センチの右ボクサーファイター。

 ◆坂本 博之(さかもと・ひろゆき)1970年12月30日、福岡県田川市生まれ。幼少時に両親が離婚し、児童養護施設で育つ。高校卒業後に本格的にボクシングを始める。91年12月14日に初回KOでプロデビュー。93年2月に全日本ライト級新人王となりMVPにも選ばれる。その後、日本、東洋太平洋同級王座を獲得。世界には4度挑戦したが、王座獲得はできなかった。

通算成績は39勝(29KO)7敗1分け。身長170センチの右ファイター。2010年8月8日に東京都荒川区西日暮里に「SRSボクシングジム」をオープン。

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