言語哲学者の藤川直也氏(45)=東大大学院総合文化研究科准教授=が、著書「誤解を招いたとしたら申し訳ない」(講談社、2420円)で、政治家の言葉遣いなどを例に挙げながら、言葉の本質について論評している。「永田町」、「霞が関」で横行する“謝罪もどき”、責任回避の言葉は国境を越え、SNSの世界でも広がっている。
藤川氏はこれまで、哲学のちょっと「浮世離れ」した問題を専門にしてきた。ある時、父親から「僕でもわかるものを書いてくれ」と言われたことが、一般向けの本を書く契機になったという。
「一番身近で、かつ皆が見ている言葉。それが政治家の言葉でした」
タイトルにした「誤解を招いたとしたら申し訳ない」は、繰り返し耳にする“謝罪表現”だが、藤川氏は、それを「条件つき謝罪」と呼ぶ。
「精神医学者アーロン・ラザールは、こうした表現を『謝罪もどき』と呼びました。謝罪するそぶりを見せつつ、実質的には逃げている。責任を果たすどころか、謝罪に伴う責任を回避する装置として機能しているのです」
ここ10年で最も「がく然とした」という言葉の一つが、2019年に安倍晋三元首相が国会で発した「広く募ってはいたが、募集はしていない」という発言だった。
「意味の操作を堂々と行い、言葉の力をないがしろにする態度が透けて見えました。言葉の責任が軽んじられる風潮は、米国のトランプ大統領にも通じます。間違いを指摘されても『フェイクニュース!』と連呼し、自分に都合の良い言葉だけを繰り返す。
日本の政治家たちが好んで使う「テンプレート」が「仮定の質問にはお答えしかねます」という表現だ。これを「責任逃れの典型」と指摘する。
「日常生活で『仮定の質問には…』なんて言ったら異様ですよね。たとえば、妻に『明日、雨だったらどうする? 』と聞かれて『仮定の質問には答えられない』と返したら、普通は会話が成り立たない。外交や安全保障のような特殊な場面ならともかく、自身の政治資金の使途までこうした言い回しで逃げるのは、誠実さに欠けます」
こうした言葉の使い方が、近年はさらに“進化”したと分析する。「責任回避」から「言質踏み倒し型」へ。言葉のステージが変わったという。
「言質を与えないように発言を避ける“予防線型”から、与えた言質などないかのように振る舞う“踏み倒し型”への移行です。(公職選挙法違反などでメディアから追及されている)斎藤元彦知事は『真摯(しんし)に受け止める』を多用しますが、行動が伴わなければ、言葉の責任の踏み倒しになってしまいます。言葉だけで終わった“つもり”になる危うさがあります。不利な指摘を『フェイクニュース』『捏造(ねつぞう)』と断じ、開き直る“攻撃型”も目につきます。こうした態度は、借金しておいて『借りたっけ?』ととぼける、借用書を突きつけられても『オレの字じゃない』と否定するようなものです。
これらの言説を説明する比喩として、「犬笛」と「イチジクの葉」という言葉がある。「犬笛」は表面的には普通の発言だが、特定の集団にだけ意味が伝わる暗号のような言葉。「イチジクの葉」は「外国人の友人がいるんですが」などの前置きで排外的発言を正当化するレトリックだ。
「どちらも表面上は無難でも、裏に差別や煽動(せんどう)の意図が込められています。政治運動や社会運動の中で、こうした言葉が日常化していて、日本でも同じ現象が起き始めています」
2020年の米大統領選後、トランプ氏は「議事堂へ向かおう」と支持者に呼びかけた。これにより議会襲撃が発生したことを「典型的な犬笛」と見る。
「彼は『平和的に行進するよう言っただけ』と釈明しています。事実そう言ってもいるのですが、文脈を見れば、あの発言が何を促したかは明白です。表面の字面ではなく、言葉と責任の関係性を見る力が必要です。熱狂的な状態では論理や責任が吹き飛び、言葉が煽動の道具になり得ます」
参院選が公示され、候補者たちの発言が日々飛び交っている。情報が氾濫し、時に暴走する時代。
「政治家ら著名人であれば、過去の発言と照らし合わせて実績を確認する。発言の背景にある利害関係を探ることが大切です。個々人のリテラシーを高めるのはもちろんですが、限界もあります。SNSなどのプラットフォームの責任、法的な制度設計も不可欠でしょう」
本の冒頭には、小沢健二の「意思は言葉を変え、言葉は都市を変えてゆく」(流動体について)という一節を引用している。
「悪意によって言葉が捻じ曲げられ、社会を壊すこともある。でも逆に、良い意思が良い言葉を生み、それが社会を少しずつ良い方向に導くこともある。言葉を“公共インフラ”として整備することの大切さを伝えたかったですね」
「セクシャル・ハラスメント」、「体罰」などの言葉の登場によって、長く見過ごされていた問題が可視化され、社会の是正が進んだ。言葉は単なる表現にとどまらず、現実を変える力を持つと信じている。
「分断を嘆くより、橋渡しになるような言葉を探す。それが今、社会に求められていることだし、哲学者の役割かもしれません」
◆藤川 直也(ふじかわ・なおや)1980年1月21日、三重県生まれ、大阪育ち。45歳。
藤川直也氏が選ぶ おすすめの一冊
◆「ガチガチの世界をゆるめる」澤田智洋著、百万年書房
「ゆるスポーツ」を作った方の本なんですが、ここ数年で読んだ本で一番感銘を受けた本です。
運動音痴かどうかって、人次第だと思いがちですが、実はそうじゃない。スポーツのルール次第で運動音痴かどうかも変わるのだということを「ゆるスポーツ」はあざやかに教えてくれます。
スポーツに限らず、今の社会の仕組みのなかで分かれてしまった“できる人とできない人”を、仕組みそのものを変えていくことで、同じ土俵に立てるようにする。社会を変えるって、こういうことだよなって気づかされました。