「第93回全日本自転車競技選手権大会ロード・レース」(6月22日、静岡・日本サイクルスポーツセンター)男子エリートで、小林海(まりの・31)=JCLチーム右京=が連覇を飾った。26年ぶりとなる偉業を達成した王者は、しかし、レース直後に引退を表明。
―全日本選手権での走りは見事だった。終盤に先頭集団が4人になった後、残り3キロ付近の上りで仕掛けて、最後まで競っていた山本元喜(キナンレーシングチーム)を引き離して独走。チームとしてのプランは?
「(チームメートの)鎌田(晃輝)が『序盤から行く』と言ってくれていて、自分も調子がいいことは周りに伝えていた。後半に人数が絞られた時、脚が残っていないということにはならないように話し合っていた」
―何度も仕掛けていたのは戦略?
「何が最善策なのかを考えると、アタックすることが一番だから」
―結果も内容も満足?
「自分のベストパフォーマンスだった。フィジカルだけでなく、チーム力をうまく使えたことも含めて。今まで磨いてきた技術、精神的なことや戦略的なこと、とにかく自転車に乗り始めてから培ってきたものはすべて出し切ろうと思っていたし、実際に出し切れた」
―引退の理由は?
「決めたのは全日本選手権の1か月半ぐらい前。シンプルに、自分は選手としてここまでかなと感じていた。体のパフォーマンスは伸びていくだろうけど、競技で結果を出して周りから評価されたり自分で納得したりすることが、もう必要ない。危険で苦しいことをしてまで何かを得られることがない、と判断した」
―なぜ全日本選手権をラストに?
「チームを6月で辞めようと思っていた。いい区切りになるし、自分の競技人生は結構、全日本選手権にとらわれていたから。
―印象深い反響は?
「表彰式で『辞める』と言った時の金子(宗平=群馬グリフィンレーシングチーム)の驚いた顔はすごかった。勝ったから表彰式で言ったけど、勝っていなかったら帰りの車の中で、しれっと言っていたかな」
―引退を決めてから、どういう心境で練習を?
「きついメニューや雨の日に『もう辞めればこんなトレーニングはやらなくていいんだ』と考えると、新鮮な気持ちになった。終わりが見えたら一瞬一瞬が、とても大事なもののような気がして。楽しかったし、不思議な感じだった」
―競技人生を振り返ると?
「散々だった。本当に何でこんなことをやってしまったんだろうと思うぐらい、めちゃめちゃ大変だった。いいことはあったけど、大変なことの方が多かった。自分と向き合う時間が長かったし、現実逃避をたくさんした」
―何が大変だった?
「日々のトレーニングや肉体的な苦痛よりも精神的な部分の方がつらかった。いい結果を出せなくて、原因が分からない時は苦しかった。それに自分は臆病なので、天候が悪くて危険なことが分かっている時は、レースの前日に怖くて眠れないことがあったりした」
―20歳の頃に父の母国・スペインへ渡って武者修行。海外での苦労は?
「よく行ったなと思う。
―苦労した経験はプラスになった?
「レベルが高い場所で、ほとんど何もうまくいかないながらも前に進もうとする経験は大事。ただし、海外に行くだけでいいというわけではない。そこで何をするのか、はっきり決めていないとダメ」
―今後はどんなペースで自転車に乗る?
「太りたくないから週に3~4日は乗りたい。乗っているのも景色を見るのも好きなので、ゆっくり走ろうと思う。今まで散々、戦ってきた。これからは何とも戦いたくない。趣味として自転車本来の楽しみ方ができたらいい」
―これから何をやるつもり?
「何も決まっていない。ただの無職。でも、やりたいことは結構ある。中学は後半ほとんど行っていないし、高校は3か月で辞めている。
―どういう勉強がしたい?
「まず高卒認定を取らないといけないので、その過程で変わるかも知れないけど、語学、文学、歴史に興味がある。自分は日本語以外にもスペイン語とイタリア語は話せる。使う言葉によって思考が変わることは、海外に行って感じていた。原書を読んで書いた人の考え方を自分なりに解釈して現地に行く。言葉とか歴史とか、そういうものに関わっていきたい」
―読書は好き?
「本も漫画も好き。今は『イリアス』(トロイア戦争を舞台にした古代ギリシャの叙事詩)を読んでいる。戦争が終わった後、そこからオデュッセウス(ギリシャ軍の知将)の冒険は始まる。そうか、自分の冒険もここから始まるのかなと。なおさら競技をやめないと、なんて」
―最後に応援してくれている人たちへメッセージを。
「長い間、いい時も悪い時も応援していただいて感謝しています。自分の走りとか考え方に興味を持ってくれていた方々にとって、何か意味があったならうれしいです。
◇小林 海(こばやし・まりの)1994年7月1日、千葉県浦安市生まれ。31歳。17歳の2011年に自転車競技を始め、13年夏から父の母国・スペインに渡った。16年にU23全日本選手権ロード・レース、同ロード・タイムトライアルで優勝。翌年にイタリアのNIPPOヴィーニファンティーニと契約しプロ転向。UCIコンチネンタルチームのジョッティ・ヴィクトリア・パロマーでの活躍を経て、コロナ禍の影響などで欧州から帰国した後、22年に国内プロシリーズのJプロツアーで6勝を挙げ年間王者に。24、25年の全日本選手権ロード・レースを連覇。171センチ、64キロ、血液型A。