プロフィギュアスケーターの羽生結弦さん(30)が、7月19日にプロ転向から3年を迎える。3周年を記念した特別インタビュー第2回は「記録」と「ロンドン」。
羽生さんは4歳からフィギュアスケートとともに生きてきた。競技者時代は「記憶より記録」が根幹にあった。
「僕はスポーツとしてフィギュアスケートをやっていくなかで、結果を残すためにやってきました。もちろん、スケートを始めた頃の源流には、自分がうまくできた時に先生が喜んでくれたり、親が喜んでくれたり、誰かが喜んでくれたりがうれしくて、というのがあったことは間違いないと思っていて。それは多分僕の根本的な性格だから、ずっと変わっていないとは思います。でも、誰かが喜んでくれるイコールのところに、間違いなく結果っていうものが存在していました。結果を取ることによって誰かが喜んでくれる。だから、記憶というものよりも、やはり記録を取らなきゃいけない。五輪2連覇したっていう、その記憶というよりも、記録によって、記憶につながっているわけですよね。だから、そういう意味ではずっと、記憶よりも記録と僕は思っていました。自己満足になってはいけないっていう。その自己満になっちゃいけないっていうのは今も思っていることではありますけど、その質はちょっと変わってきたかな」
競技時代から応援を続けてくれているファンがいる。
「何億っていう人が存在していて、その何億っていう人たちが欲している言葉は、その人数分あるわけですよね。その全人々が欲しがっている言葉を僕は発することができないと思うんです。そこの誰かに、それぞれの人に、全員に届けられるような表現を求めてはいるけれども、それができないという諦めも若干あり。そこはちゃんと認めなきゃいけないんだなと。だから、自分のことを見たいなって思ってくれている人、自分の表現を知りたいなって思ってくれている人に対して『いやほんと、なんかいいもの見たわ』っていうものを持っていただけるようなものを、とにかく作り続けるっていうのが目標ではあります」
この流れで突然、言った。
「なんか僕、今すごいロンドンに行きたい人間なんです(笑)」
ちなみに羽生さんはロンドンに行ったことはない。Xに流れてきた街の景色が、目に留まったという。
「あの曇り空と、あの街並みだからこそ感じられるものたちがそこに存在していると思うんです。それと同じように海外の人から見たら日本の風景って独特だと思うんですよ。そういう風景の中にあるからこそ、それも込みのパッケージで届く表現っていうのが、きっとあると思っていて。
試合で海外に行くことは多かった。しかし観光に充てる時間はなかった。世界に触れたい、知識を蓄えたい。そう思うことが増えた。
「ヘルシンキのワールド【注1】はヘルシンキの空気ごとを感じたうえでのホプレガ【注1】だと思っていて。ニースのワールド【注2】も多分そう。地中海気候があっての、リゾート地みたいなところがあっての、仮設の体育館みたいなところでやったからこそのニースワールドがあって、みたいに自分は今思っていて。そういうことを今まで感じてはいたんだろうけど、あまり注目してこなかった。
【注1】2017年の世界選手権(フィンランド)でショートプログラム(SP)5位と出遅れたがフリー「ホープ&レガシー」で自身のフリー世界最高得点を更新。10・66点差を逆転し3季ぶり2度目の優勝。
【注2】17歳で初出場した2012年の世界選手権(フランス)は「伝説のニース」と呼ばれている。SP7位と出遅れるもフリー「ロミオとジュリエット」で自己ベストをマークし銅メダル。日本男子最年少の表彰台だった。