長嶋茂雄さん(享年89)の故郷・千葉県佐倉市の西田三十五(さんご)市長(60)は、2019年の市長就任後も長嶋茂雄野球教室の継続をバックアップするなど尽力した。市長として直接会うことはかなわなかったが、実は長嶋さんと同じ小学校の出身。

幼少期には実家に招かれるなど、近所付き合いがあった。(取材・構成=樋口 智城)

 佐倉市内にある「長嶋茂雄記念岩名球場」。名誉市民授与を機に名付けられたこの球場には8年間、鍵が掛かっていた「開かずの間」があった。東京ドームの長嶋さんの監督室を再現した部屋。ソファ、机など当時使っていたものを譲り受け、同じレイアウトで復元した。西田市長は「長嶋さんにサプライズで見てもらうためにつくったのですが…。かなわなかった」とぽつり。さらにこうも付け加えた。「私はあの時の子どもなんですってことも、同時に伝えたかった」

 佐倉市立臼井小学校。長嶋さんの母校に西田市長も通った。小学生の頃、長嶋さんは現役時代の晩年だった。年末年始には必ず帰省し、軽いランニングをするのが恒例。

「僕らは元旦マラソンって呼んでいました。小学校の内周を走るのですが、聞きつけた子どもが100人くらい集まって伴走するんです」。終了後はお菓子やおもちゃをプレゼントしてくれた。

 長嶋さんは墓参りでも実家に帰省。そのたびに同級生や近所の親しい人を家に呼び、大広間に入りきれないほどの大人数で食事会を開いた。西田市長は長嶋さんの兄の娘と同級生で、1年生の時には「手をつないで帰ったこともある」ほどの仲良し。「ご近所さん」として、長嶋さんの実家に何度も呼ばれた。「ある冬にすき焼きが出されたのですが、牛肉だったことにビックリ。私の家では豚肉しか出なかったので」。長嶋さんに「もっと食え」と促され、ガツガツ食べると「食い過ぎだよ!」と突っ込まれた。「部屋いっぱいに人がいてワイワイ。みんなとおしゃべりするのが大好きだったんだなって、いま思いますよね」

 ある年の夏は小玉スイカが振る舞われた。

「よく見ると上の方が全部ない。みんなで『長嶋さんがおいしいところ全部食べたんじゃないの~』って笑いました」。冗談を気軽に言えるほど、身近な存在だった。「バスが近くの国道に並んで『ここが長嶋さんのご実家です~』とガイドが説明しているのを何度も見ました。でも私にとってはスターというより、ご近所の大人って感じでしたね」

 西田少年は2019年に佐倉市長に就任。市では「長嶋茂雄少年野球教室」が毎年秋に開かれ、再会を楽しみに待った。七輪と牛肉を持参し「あの時のすき焼き、覚えていますか?」と聞く計画まで練っていた。だが、同年の野球教室は豪雨災害で延期。長嶋さんからは電話で「頑張れ佐倉!」のメッセージが届いた。20年から3年間はコロナ禍で中止。以降は長嶋さんの体調が優れず、手紙のやりとりは続いていたものの、会うことはなかった。西田市長は「まさか会えないなんて思わなかった。

子どもの時の思い出話に花を咲かせたかった」と残念がった。 

 ◆西田 三十五(にした・さんご)1964年10月15日、千葉県佐倉市生まれ。60歳。拓大卒業後、91年に佐倉市議選に出馬し初当選。2003年には千葉県議員に初当選。4期務めた後、19年の佐倉市長選に出馬し初当選した。

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